地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ウデヘ語

 黒沢明監督「デルスウ・ウザーラ」(アルセーニエフ原作同名書(長谷川四郎訳)の映画化、1975)の主人公デルスゥはゴリドだと自称する。シホテ・アリンの山中を一人猟をして歩きまわる山の民である。ところがゴリドといわれる人たちは主にアムール川の中流に住んで、漁労を中心として生活しているツングース系の、どちらかと言えば、川の民である。自称ではナナイという。この映画にはもう一つの先住民がよく出てくる。主な生業は猟。山と森とその生き物をよく知り、この地に古くから住んできた人々である。それがウデヘ人であって、山の民である。この人たちの住むシホテ・アリンの山というのは、アムール川と日本海に挟まれた深く豊かな森林で、ちょうど新潟・秋田の真向かいの山である。そこは、春になると日本の野山からツグミを始めたくさんの渡り鳥が帰っていく先でもあり、美しいアムール虎の居住地である。デルスゥはこの山を隅から隅まで知り尽くしている猟師として描かれているので、どうも自称と違って、とてもウデヘらしい。デルスゥをゴリドと自称させたのは原著者の創作なのかも知れない(津曲敏郎さんの示唆による)。

 ウデヘの人たちはかつて沿海州の深い森に広くばらばらに住んでいたが、ソ連時代に集団化されて三乃至四箇所に集められてしまった。猟は減り、猟師をやめる人が多くなり、若い世代は今では森林伐採や製材所や工業施設に雇われて、先祖の森を破壊する仕事に就いてしまったいる人も少なくない。またこの人たちは昔、交易の民でもあった。徳川時代の大名が珍重した「蝦夷錦」という宝物は中国の江南から運ばれて、ウデヘとナナイによってアムール川の河口まで運ばれ、そこからアイヌの手を経て松前の和人に売られたものだった。ウデヘの旧家には今でも古い蝦夷錦が残っている。

 ウデヘ語はツングース系の少数言語である。1989年の統計によると、ウデへ人の全人口は1902人とある。ウデヘ人が一番多く住む町はアムール川の支流ビギン川沿いのクラースヌイヤールで、人口約400人、ホル川沿いは160人、日本海岸のアグズ村には144人、少し北のアルセーニエヴォ村には50人という。ウデヘ語を話せる人は28%、50才以下の話者は例外である。それでも1930年代まではウデヘ語の文字を開発し、文法や教材を作る試みがあった。しかしその中心になったロシア人言語学者がまもなく粛正されてしまった。そのごウデヘ語は、数えるほどの人々によって何とか継承されてきたのだった。しかしごく最近になって地元人々が動き出した。1994年には日本人の考古学・歴史学・言語学の若い研究グループが大規模な調査を行った。その包括的な報告が佐藤宏幸編『ロシア狩猟文化史』(1998)である。ウデヘ語については、津曲敏郎さんや風間伸次郎さんが多くの聞き取りを文字にして出版してきた。こうしたたかまりの中で、ウデヘ人の手になる教材も作られた。しかしそれでも油断はできない。

 アムール沿岸は毎年森林火災に見舞われて、広大な焼け野原が広がっている。シホテ・アリンの奥では、到るところで大規模な森林伐採が続いている。一部は合法的に日本や中国に大量輸出され、多くは盗伐である。森の資源が失われると共に、ウデヘの猟はもはや成り立たない。それどころかアムール虎を含めた生態系がまるごと破壊されつつある。

 ウデヘ語はシホテ・アリンの森とともに生きてきた。佐渡の向かいの山とそこに住む人たちをしっかりと見つめていきたい。

《金子亨:言語学(2006年掲載)》