ハザーラ語
ハザーラ語というのはアフガニスタンに住むハザーラ族の話すペルシャ語系の言語です。公的にはダリー語の一部とされていますが、古くからの民族的マイノリティーであるハザーラ人は自分達の話すダリー語をハザーラ語と呼び慣わしています。
アフガニスタンではいくつもの言語が使われていますが、普通はパシュトゥー語とダリー語が主なものとされています。またこれらに加えてペルシャ語を公用語 に加えられています。パシュトゥー語はアフガニスタンの南部と東部、それにパキスタンの北西部のパシュトゥー族によって使われています。一方、ダリー語は 首都カブール(カーブル)を含めて国土の大部分でいくつもの民族によって話されていて、北東部方言、北西部および南部方言、南西部方言、中央部方言などに 分かれています。つまりダリー語はいくつもの民族と地域によって話されている共通語であると言えます。このうち古い街道沿いのバーミヤンを中心とする中部 山岳地帯にすむハザーラ人の母語となっているのがハザーラ語です。ここは4000~5000メートルを超える峰がいくつも聳える山岳地帯といっても山麓に は緑地がひろがり、決してごろごろの岩だけの土地ではありません。ハザーラの故郷には古くから農牧ができる豊かな生活領域があったし、今でも一部はある し、これからは、井戸を掘り用水路を作って豊かな生活をつくることを人々は望んでいます(中村哲『アフガニスタンで考える』岩波ブックレット673参 照)。
ハザーラ人はモンゴル系だといいます。顔つきもそうだというのですが、もともとイラン系の人々との混血が進んでいるので、背もイラン人より高くないので、どっちかというと最近の若い日本人に似ているようです。
ダリー語については日本でも縄田鉄男さんが入門文法と基礎語彙を紹介しています。しかしハザーラ語についての紹介はまだありません。もっとも、話しをするにはダリー語で十分で、特別な語彙や発音の癖によって違いが見える程度だとハザーラ人はいいます。
近世以来アフガニスタンはひどい目に遭ってきました。大英帝国とロシア帝国がこの地域を巡って争いました。ソ連軍の侵略を受けました。タリバンが多くの
人命を奪い文化遺産と壊しました。アメリカ軍が空爆を繰り返ししています。600万人を超えるアフガン難民がパキスタンやイランに戦火と破壊を逃れまし
た。国内難民は300万人を超えると緒方貞子さんが報告しています(『紛争と難民』第四章)。日本にも30人のアフガン難民が難民申請を続けています。ハ
ザーラ人の難民申請者もいます。
ユネスコ世界遺産委員会は、平山郁夫さんを中心としてハザーラ人の故郷に立って立っていたバーミヤン仏教遺跡などの文化財の保護保存に力を入れています。 それは大切なことです。しかし言語的マイノリティについて考えると、きまってどうしようもない社会的現実に行き当たりますが、アフガンの事実とその少数民 族ハザーラの難民の悲惨はいかなる想像も超えます。日本人に何ができるのかという鋭い問いかけが聞こえます。
《金子亨:言語学(2007年掲載)》