チベット語
チベット系の言語を話す人たちは中華人民共和国のチベット(西蔵)自治区、 四川省、青海省、甘粛省、雲南省だけでなく、ネパール、ブータン、インド、 パキスタンの北部にも住んでいます。この人たちはさまざまな方言を 合わせると500万人にも上ります。それだけにチベット系の諸言語や方言は 違いが大きく、しばしば話がまったく通じないほどです。このなかで一番多くの 人々に理解される言葉はやはりチベットの中心であるラサの方言でしょう。
チベット語は独自の文字で表記されます。この文字は7世紀前半の吐蕃王朝の 時代に北部インドで使われていた文字を加工したものといわれています。文字は 複雑で、例えば、子音 k を表すのは次の(1)で、この字だけでは ka の音を 表します。それに母音を変えて i, u, e, o とするときは(1)の上下に母音記号を つけます。それぞれは(2)(3)(4)(5)のようです。チベット語ラサ方言 には漢語に似た4種の音調がありますが、それは文字には表示されません。
左から順に (1) (2) (3) (4) (5)
チベット系の諸語はビルマ系の諸語と親族と考えられています。両者の 間には語彙や文法形式の要素に似たものが多く、チベット・ビルマ語派と いう言語集団を成すといわれています。しかし漢語がこの語群と親縁関係に あるかどうかははっきりしていません。そのためにシナ・チベット語族と いう言語群があるとはまだいえない状態です。 チベット語の文は、日本語と同じように、動詞要素が文の末尾に
来ます。ただ動詞が単独で文末に来ることはなく、古い日本語の「なり」
「たり」のように、状態や完了などを表す助動詞的な語を伴います。この
ような述語文とはちがって、名詞修飾の場合は被修飾語が修飾語の前に
来る場合も、その逆の場合もあって述語文の語順とは別になります。また
名詞には格と表す助詞が付いて、名詞句を作ります。順序は名詞+助詞の
ように膠着的です。例えば、
1paa-laa ki 2shamo
お父さん の 帽子
(肩の数字は音調:1:平板で高い、2:上昇)
チベット語の動詞文の仕組みで特に目を引くのは、文末の動詞複合体
です。動詞文の多くは[動詞+接辞+助動詞]のような結びつきで文末を
作りますが、「です、ます」に当たる文には助動詞の取り方によって判断
・状態表現・体感・経験などが分けて表現されます。また状態性を表さない
動詞には「~している」と「~してしまう・しまった」を区別する形が
あります。前者を非完了、後者を完了の形として区別しますが、それぞれ
の形が別の助動詞と組み合わさると、独特の意味が表されます。例えば、
4khonyii 1chansa 2kyaaki 3ree
彼ら二人 結婚式 する+接辞 助動詞
(あの二人は結婚式をします)
4khonyii 1chansa 2kyaaki 3yoo 3ree
彼ら二人 結婚式 する+接辞 助動詞+助動詞
(あの二人は結婚式をすることになっています)
また話し手の方へ来るか、話し手から去るかによって助動詞が変わる
こともあります。例えば、
2ngaa 3bakuu 4nyii cun
私は 財布 見つける 助動詞(→私)
(私は財布を見つけた)
2ngaa 3bakuu 4nyii son
私は 財布 なくす 助動詞(私→)
(私は財布をなくした)
どの場合も、話し手がコトをどう捉えるかという姿勢や意図や 捉え方によって動詞の完了・非完了と助動詞との組み合わせが変わって きます。非常に微妙な表現を言い分けていることばのようです。
日用に使われている挨拶言葉をいくつかあげておきましょう。
4kusuu 2tepo (お元気ですか)
1la 2tepo 2yin (はい 元気です)
4thocaa
1u-luu (ごめんください)
4trashii 3telee (こんにちは<おめでとう)
ポタラ宮殿
最後のことばは外国に亡命したチベット人の間で使われるようになった 挨拶用語だそうです。もともとはお祝いごとにつかわれた用語が転用された ということです。(この部分『世界の言語ハンドブック2』(三省堂1998) 「チベット語」(星泉・星実千代)から引用)
チベット語ラサ方言の入門書としては、星実千代『エクスプレス チベット語』 (白水社1991)があります。この本の奨める辞書、会話帖が適切かと 思います。
最近青海チベット鉄道が開通してチベット旅行の楽しみが一つ増えました。 しかしこの路線によって中国文化の移入が一層激しくなるでしょう。 また、チベットは国外に亡命政権をもっています。ダライラマ14世が インド北部に逃亡して立てた政府です。そのために西蔵自治区では未だに 独立運動があり、それにたいする弾圧も行われています。 Amnesty Internationalは、それにともなって人権侵害が起こっていると 指摘しています。チベットは、中華人民共和国にとって台湾、新彊ウイグル 自治区とともに独立問題を抱えた問題の地域です。青海鉄道の旅を楽しむ ときにも、この重大な内政問題についてゆっくりと考えたいものです。 (この記事は2008年1月に書きました。チベットは今、少数民族問題・政策 に関して中国の将来を決める試金石とも言える難しい問題を提起しています。 民族と宗教に関する自由の権利とダライラマの黒い国際的な側面とを分けて 考える必要があります。<2008.04>)