テトゥン語
テトゥン語は東チモール民主共和国の国語の一つです。 この国では他にもいくつかの言語が使われていますが、テトゥン語は そのなかで一番大きく、総人口94万人のうち少なくとも30%の人たちの 母語です。テトゥン語には4種の方言があります。このなかで中央の 南海岸よりで使われているテトゥン‐ロース(「正しいテトゥン語」 の意味)が標準的といわれています。
東チモール(島中央分岐線の東)と飛び地
この言語は系統分類ではオストロネシア語族インドネシア語派に 属するとされています。その証拠にインドネシア語とよく似た単語が たくさんあります。また形態法も似ていて、名詞文と動詞文が分かれて いて、動詞には主語の人称接辞が前接します。例えば、k-usu(私が尋 ねる)、m-usu(あなたが尋ねる)、n-usu(彼が尋ねる)のように、人 称の別によって、子音だけの人称標識 k-、m-、n- が動詞の語幹の前に つきます。ここで動詞は人称接辞と必ず一緒に使われます。動詞は人称 によって形を変えますが、時制や態(受け身など)では形を変えません。 これらの形式はそれぞれ副詞を加えて表現します。
次の簡単な会話をみましょう:
Bondia, Diak ka lae? (こんにちは、ご機嫌いかが?)
Bondia, hau diak deit. Obrigadu. (こんにちは、元気よ、ありがとう)
答えの hau は「わたしは」です。そして obrigadu が「ありがとう」
です。この「ありがとう」はポルトガル語からの借用です。東チモール
民主共和国のもう一つの国語がポルトガル語なのです。
ポルトガル人は白檀を求めて16世紀後半にこの地にやって来ました。 以来、東チモールはポルトガルの植民地でした。第二次世界大戦中、 日本軍に一時占領されましたが、日本敗戦後は再びポルトガルの支配を 受けましたが、この時期から東チモールの独立運動が始まります。しかし 1975年には西チモールを支配していたインドネシアが東に侵攻します。 そこから東チモール独立の長い反インドネシア独立行動が始まります。 多くの犠牲を払った後、1999年にやっと直接投票による政府が構成され ます。 しかしインドネシアの干渉は激しく、国連が多国籍軍を投入し、 2000年の夏にやっと暫定政府が成立します。 日本も選挙管理などに助力をしました。その結果、2002年の春、グスマン氏が大統領に当選、やっと 東チモール民主共和国が正式に誕生しました。しかし政治的にも経済的 にも未だ決して安泰ではありません。日本政府だけでなく、日本のNP Oなどもコーヒーのフェアトレードなどで民間援助を行っています。
《金子亨:言語学(2008年掲載)》