地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ヘブライ語

パレスチナ地図  ヘブライ語と言われている言語は、古典ヘブライ語と現代ヘブライ語 に区別されます。古典ヘブライ語は旧約聖書(ユダヤ語聖書)のことば です。このことばはパレスチナの地域でも第2次ユダヤ戦争(西暦131- 135)の時期にはほとんど使われなくなって、アラム語にとって替わられ ていました。この戦争でユダヤ人はパレスチナから追放されて世界各地 に離散します。この離散(ディアスポラ)の時期は19世紀末葉まで続き ますが、ユダヤ人は移住した先で二つの言語を作ります。一つはスペイ ン地方に逃れた人々はスペイン語もどきの日常語ラディーノを、ライン 川の西に住んだユダヤ人はドイツ語もどきのイディッシュを作りました。 ともにその地方で民族的な差別を受けながらもユダヤ教を守りながら暮 らし続け、あるいは迫害を逃れて移住を繰り返してきた人々の生活言語 でした。一方で、ユダヤ人達は移住した先々で独自のユダヤ教の教会を つくります。それがシナゴーグで、そこではとりわけ中世から近世にか けて僧(ラビ)を中心としたユダヤ教学が栄えます。このシナゴーグを 中心にしてユダヤ教とその学問体系、さらにその伝来の言語である古典 ヘブライ語が守られてきました。同時に千数百年前に追われた郷里を聖地 として憧憬し、いつの日かそこへ帰ることを願う心情が生まれてきまし た。19世紀にはその憧れがシオニズム(聖地復帰運動)の形で虚妄の民 族主義となってユダヤ人の知的社会に定着します。

聖地イエルサレム  リトアニアにエリジエル・ベン・イェフダ(1857-1922)という熱心 なシオニストの青年がその夢を見ていました。彼は止むにやまれず幼友達 のデボラ・ヨナスといっしょに1881年のある日パレスチナの港ヤッファ にたどり着きます。そこで二人はヘブライ語だけで暮らし始めるのです が、やがて生まれた子供イタマル・ベン・アヴィは1700年ぶりにヘブライ 語を母語とする子供として成長します。その後ベン・イェフダは妻を失う のですが、彼女の妹ヘムダと再婚します。この新しい家族がさまざまな 苦労を乗り越えて新しいヘブライ語を作り出すことになります。その第一 の成果が『古代・現代ヘブライ語完全辞典』(1910年刊行開始)です。 この辞書は全卷17冊、トルコ当局の弾圧を乗り越えて、親子4人がかり で1957年に完成されました。この辞書を作るに当たって、ベン・イェフダと 彼の事業を引き継いだ刊行委員会は古典ヘブライ語に基づいた新造語を たくさん作らなければなりませんでした。「新聞、トマト、学校、時計」 などの単語が古典ヘブライ語にはなかったからです。そうした新造語の 数は語彙全体の2割をはるかに超えたと言われます。

 一度日用語として使われなくなった言語を復活させることは容易な ことではありません。ベン・イェフダを中心とするイスラエル入植者の 第一世代はこの難事業をやり遂げました。確かに彼らには旧約聖書や タルムード文献などの豊富な言語材がありました。しかしヘブライ語の 再生を可能にした本当の力は強い自己意識に支えられた民族主義だった と思われます。入植したユダヤ人達はその自己意識をもって自分たちの 生活社会を創った。そこでそのことばで生活して母語話者を生産してい った。これが新しいヘブライ語の再生の条件だったのでしょう。最初は わずか一握りのシオニスト達がイスラエルに移住しただけだったのに、 崩壊直前のオスマン・トルコ帝国の弾圧に抗して、順次仲間を増やして いったのでした。

ガリラヤ  第一次世界大戦後は中東に対する西欧列国の関与が強まる中で、 1920年に英国の首相ウィンストン・チャーチルがイスラエルのおける ユダヤ人国家の建国を支持するという声明を出します。この時から今日 のパレスチナ問題が発生するのですが、事実、アラブ人、つまりパレス チナの原住民が侵入者であるユダヤ人を襲撃する事件が頻発するように なります。パレスチナ人としては、先祖がずっと昔ここに住んでいたと 称する人々がいつの間にか自分の裏庭に巣くって母屋を侵し始めたのです から、追い出しにかかるのは当然でした。その後もユダヤ入植者に対する 個別的な襲撃は第二次世界大戦を経た後の国際状況においても変わらず に続けられます。それにもかかわらず、戦後の冷戦下で、今度はアメリカ 合衆国が後ろ盾になって1949年にイスラエル国家を国連に加盟させること になります。こうした国際的経過をとってユダヤ人植民者達の国家が国連 に市民権を獲得する結果になり、シオニスト達の作り上げた言語、現代 ヘブライ語がその国家の国語として成立することになったのです。

ヘブライ語日常表現  ヘブライ語はもともと古いセム系の言語です。紀元前3千年紀に カナン地方に移住したヘブライ人によって使われた言語だといいます。 キリストの母語と考えられているアラム語とともに北西セム語を代表する 言語です。その言語は紀元2世紀にアラム語に圧倒されるほどに衰えては いましたが、ユダヤ人のイスラエル追放が言語の衰退に追い打ちをかけて、 その後この言語は日用語としては使われなくなります。

 1920~30年代に再生された現代ヘブライ語はヘブライ語としての 基本的性格を残しながらも、現代語の一つです。ここでは今日のイスラ エルで使われている日常表現を長谷川福子「ヘブライ語」『世界の ことば小辞典』(大修館)から引用しておきましょう。なお現代ヘブライ 語を学ぶには山田恵子『エキスプレス ヘブライ語』(白水社)などが あります。また古典ヘブライ語を学ぶには、日本ヘブライ文化協会に アクセスするのがいいでしょう。

《金子亨:言語学(2008年掲載)》