マダガスカル語(=マラガチィー(malagasy))
マダガスカル語はマダガスカル共和国の公用語の一つです。この国はフランスの植民地であった時代を経験していて、そのためにフランス語も公用語の一つに していますし、また2007年からは英語を公用語に加えたので、これら3言語が公用語となっています。このうちマダガスカル語が現地語で、この言語はマラ ガチィーとも言われます。
マラガチィーは東アジア起源の言語です。紀元後5世紀頃に太平洋諸島(オセアニア)のどこからかオーストロネシア系の言語を話す民族集団が何度かこの島に 移住してきてこの島の東アジア系の言語を作ったのではないかという仮説が有力です。マダガスカル島が地勢・生態的に大きく西南部、中央高地部、東部に分か れているのに対応して、おおまかに西南部の西部方言と中央高地・東部を含む地域の東部方言に分かれます。しかし東部と中央高地とは人生業形態・人種構成・ 宗教が違っていますし、方言的にも区別するべきだという見方もあります。5世紀以来のオーストロネシア的な特徴は中央高地地帯に色濃く残っているからで す。首都アンタナナリヴも中央高地地帯にあって島全体の行政的・文化的な主導性もこの地域にあるようです。しかし、マダガスカル全体としてオーストロネシ ア系民族とバントゥー系民族及びアラブ系の諸民族が入り組んで、人種的・文化的・言語的にみてさまざまな文明的な接点をなしているのですが、この民族的な 差異はそれぞれの人々の外見や発音などに違いが見られるものの、全体として言語的・文化的にはオーストロネシア的な統合性が見られます。特にマラガチィー のメリナ方言の文法構造や古い親族語彙などについてはオーストロネシア的な特徴がはっきりしていて、とりわけ標準的と言われるメリナ方言がオーストロネシ ア的で、そのためにこの言語は西のオーストロネシア語、ヘスペロ・ネシア諸語の一つと考えられています。
マラガチィーでは動詞が文の最初に来ます。それに提題というべき名詞類が文末に来るのでいわゆるVO言語のなかでもVOS/Topicの語順になります。これに呼応して複合動詞を作るときには少なくとも3種類の接頭辞が
動詞の語幹の前について、動詞の基本形を作ります。またマラガチィーには接辞の間に入り込む小辞、つまり接中辞があって、接頭語+接中語+語根+接尾辞と
いう長い動詞が作られます。例えば「身を清めた」は、misasa
ですが、これはm-(完了)i-(自分を)-sasa(洗う)をまとめた文です。完了ではなく、別のもの、例えばランバといわれる白い肩掛けを洗うのなら
ば、
M-a-n-asa lamba anin'ny savony any ami'ny renirano izy
([未完了]-[意思]-洗う ランバ(を)で-その 石鹸 で-その 川 彼女(は)
(彼女は石鹸であの川でランバを洗う)のようになります。
マラガチィーでは提題や焦点が文の構成で目立った役割を果たします。焦点を表す接辞は mi-i-sasa (身を洗った)の-i- のように動詞の接辞で表されます。この焦点の選び方で、行為そのものや使役や意図や受け身に類似する文法的な意味の差を表すことができます。
マラガチィーには複雑な指示代名詞の組織があります。それは日本語のコソアドよりも複雑で可視性・不可視性という区別で形を分けるという特徴を 持っているようです。また人代名詞も複雑で複数1人称が自分を含むかどうかで分かれますし、疑問詞は疑問の対象によって何種類かに分かれます。
マラガチィーは非常に古い時代に長い距離を(多分、舟で)移動してきた人々の言語です。新しい西の島での生き方は難しかったと思われます。そこには伝説上 の先住民族との接触だけでなく、バントゥー系のアフリカからの移住者やアラブ系の移民との長い時間の接触があったはずです。しかしこの人達の持ってきた言 語のオーストロネシア系の言語構造は少なくとも1500年近くも維持してきました。もちろん語彙の混淆や文法的変容があったわけですが、その保ち方は驚異 的です。この意味でも言語と文化に関心をもつものならば、マラガチーに関心をひかれずにはいられないでしょう。現在、日本外務省のデータではマダガスカル の在留邦人は129人だと言います。是非この島の各地で現地のひとびとと話をしたいものです。
(なお上の用例は黒川洋「マラガシ語」『三省堂言語学大辞典』IV pp.133-144から引用しました。)
《金子亨:言語学(2009年掲載)》