フランコプロヴァンス語(アルピタン語)
フランコプロヴァンス語とは
フランコプロヴァンス語はフランス、イタリア、スイスにまたがる地域で話されているロマンス系言語である。フランスでは主に南東部のローヌ・アルプ地域圏に含まれる地域、イタリアではヴァッレダオスタ州の大部分とピエモンテ州の一部(さらに南部のプーリア州にある2つの村)、スイスではジュラ州を除くスイスロマンド(フランス語圏スイス)がフランコプロヴァンス語圏に含まれる。下の写真のようなアルプスの山がちで牧畜の盛んな地域が多いが、フランスのブレス地方などでは、なだらかな平野が広がっている。大きな町では、リヨンやジュネーブがある。
ヴァッレダオスタの村
今を遡ること2千年以上前のこと、紀元前1世紀半ばから、現在のリヨンであるルグドゥーヌムを拠点に、ケルト民族が住んでいたガリア(現在のフランスからベルギーに相当する地域)北部の地域にローマが支配を広げ、ケルト系言語に代わってラテン語が話されるようになった。4世紀から5世紀頃になると、今度はゲルマン民族がガリアに移動してくる。その一派であるフランク族の言語の影響を強く受けた地域ではオイル語が形成され、その後パリ周辺の方言をもとにフランス語が形成された。一方、現在のフランコプロヴァンス語圏を支配したのはゲルマン民族のなかでもブルグント族であった。ブルグント族は早い段階で支配下に置いた人々の話す俗ラテン語を話すようになったため、ブルグント族の言語がフランコプロヴァンス語に残した痕跡は少ない。フランコプロヴァンス語はラテン語の特徴をオイル語よりも保持していると言われる。
ガロ・ロマンス語圏の言語地図(Stich, Dominique (1998) Parlons francoprovençal:
une langue méconnue, Paris: L'Harmattan, p.10の地図をもとに作成)
言語的特徴によって境界が引かれる言語
フランコプロヴァンス語圏は、北フランスのオイル語と南フランスのオック語の境界地域とされてきたが、19世紀の後半になってから、オイル語でもオック語でもない、独立した言語がそこに存在することがイタリアの言語学者アスコリによって指摘され、「フランコプロヴァンス語」と名付けられた。フランコプロヴァンス語は2つの言語的特徴によって、オイル語およびオックと区別される。
① オイル語(フランス語)とフランコプロヴァンス語を区別する特徴
フランス語では、すべての語で最後の音節にアクセントが置かれる。一方、フランコプロヴァンス語では、最終音節にアクセントが置かれる場合と、最後から2番目の音節に置かれる場合がある。これはフランス語と他のすべてのロマンス語を区別する特徴でもある。
次のフランコプロヴァンス語の例では、下線の位置にアクセントが置かれる。
(de) tsanto : tsantâの直説法現在1人称単数形(“(私は)歌う”)
(vo) tsanto : tsantâの直説法現在2人称複数形(“(あなたたちは)歌う”)
(Perrier, Line (1995) Pour l’honneur de nos patois (L’Histoire en Savoie, 120), Chambéry:
Société savoisienne d’histoire et d’archéologie, p.17)
② オック語(オクシタン語)とフランコプロヴァンス語を区別する特徴
オクシタン語ではラテン語の開音節の母音Aが保持されているのに対して、フランコプロヴァンス語ではAが硬口蓋子音に続く場合には口蓋化してIまたはEに変化した。
次に例を挙げる。
ラテン語FILIA(“娘”)> オクシタン語filha/フランコプロヴァンス語 filyi
ラテン語SPINA(“棘”)> オクシタン語 espina/フランコプロヴァンス語 épœna
(Tuaillon, Gaston (1988) « Le franco-provençal: langue oubliée », in Geneviève Vermes dir.,
Vingt-cinq communautés linguistiques de la France, t.1, Paris: L’Harmattan, p.193)
このように、言語的特徴によって引かれるフランコプロヴァンス語の言語境界は、歴史的境界や、山や川などの自然の障害物による境界とは一致せず、フランコプロヴァンス語圏は現在では3つの国に分断されている。
フランコプロヴァンス語を指す名称
「フランコプロヴァンス語」という言語の名前と存在は、実はフランコプロヴァンス語圏に暮らす人々にはあまり知られていない。土地のことばは一般的には「パトワ」と呼ばれている。これは、村や地方など、限られた地域のことば(方言)を指す一般名詞である。村の「パトワ」が「フランコプロヴァンス語」という言語に属していることは、あまり知られていない。
フランコプロヴァンス語圏では言語運動においても「パトワ」という名称が用いられるか、「サヴォワ語」などの人々に意識される地域的一体性を持つ地域の名称に基づく言語名で呼ばれることが多い。「フランコプロヴァンス語」は学術的名称とみなされており、用いられるのは、「パトワ」の言語的出自を示して「パトワ」の地位向上を図る場合や、国や地方を越える「フランコプロヴァンス語」圏としての活動の場合などに限られている。
このようななか、近年注目されるのは、「フランコプロヴァンス語」に代わる「アルピタン語」という名称である。「フランコプロヴァンス語」という言語名が与える印象―フランス語とプロヴァンス語の雑種言語―のために言語の正当な社会的認知が妨げられているとして、比較的若い世代の言語運動家によってインターネット等を通じて広められている。
「アルピタン語」運動家のプラカード
(2013年8月にスイスで開催された国際パトワ祭にて)
フランコプロヴァンス語の言語状況―“確定的な危機状況”
フランコプロヴァンス語はいわゆる危機言語の一つであり、フランス語あるいはイタリア語へと人々が用いる言語が移行している。ユネスコの世界危機言語地図にも載せられ、確定的な危機状況にあると査定された。例外的な場合を除いて子どもには継承されなくなっており、フランコプロヴァンス語はスイスの一部の地域とイタリアに含まれる地域を除いては、日常的に用いられるコミュニケーション手段ではなくなっている。
具体的な例を見よう。筆者が以前フィールドワークを行ったフランスのサヴォワ地方のある地域では、学校でフランコプロヴァンス語を話すことが禁じられた両大戦間期の1920年代以降、家庭でも子どもにはフランス語で話すようになったという。フランコプロヴァンス語は、子どもの将来のために重要なフランス語の習得の妨げになると考えられていた。第二次世界大戦後の1950年前後になると、フランコプロヴァンス語は村で日常的に用いられる言語ではなくなったと言われる。そして筆者がフィールドワークを行った2000年代半ばになると、フランコプロヴァンス語を話すことができるのは概ね80歳代以上、聞いて理解することができるのは概ね60歳代以上という状況になっていた。ただ、フランコプロヴァンス語は学校で禁止された“よくないことば”とみなされる一方で、“先祖から受け継いだ遺産”として象徴的価値も持っており、サヴォワの人としての地域的アイデンティティや仲間意識から、挨拶を交わすときなどにフランコプロヴァンス語の表現が用いられることもある。
サヴォワ地方の湖
フランコプロヴァンス語の言語運動
フランコプロヴァンス語が姿を消して行くなか、言語を記録し、継承していくための活動が民間の言語団体などによって各地で行われるようになり、1970年代頃から徐々に進展してきている。話者の集い、辞書などの編纂、フランコプロヴァンス語による演劇や歌、ラジオ番組の制作、さらに子どもへの教育など、活動は多岐に渡っている。
フランコプロヴァンス語による演劇や歌の舞台
(左:サヴォワ地方・Lou Reclan Deu Shablè / 右:ブレス地方・Faites du Patois)
フランコプロヴァンス語は、イタリアでは1999年に制定された法律でマイノリティ言語の一つに認められているが、スイスでは「地域・少数言語欧州憲章」の保護対象言語には含まれておらず、フランスでもサヴォワ地方の運動家の長年にわたる要求にもかかわらず国民教育省は依然、地域語として認知していない。
しかし近年、フランコプロヴァンス語を取り巻く状況は変化しつつある。サヴォワ地方を含むフランスのローヌ・アルプ地域圏では2009年、フランコプロヴァンス語はオクシタン語とともに地域圏の地域語として認知された。地域圏、言語団体、研究者が協働で、フランコプロヴァンス語の地位向上と継承・振興に取り組むようになってきたところである。
また、地方や国を越えてフランコプロヴァンス語圏として連携することで、言語の地位向上や復興がめざされている。フランコプロヴァンス語圏では1979年から毎年、国際言語祭が開催され、3つの国から話者や言語運動家が集まり、交流する機会となってきた。今では、言語運動に関する評議会や言語団体の連盟が組織され、さらに地域圏・州レベルでの公的機関の連携が模索されている。
2012年9月にフランスのブレス地方で開催された国際フランコプロヴァンス語祭
(左:サヴォワの団体 / 右:ヴァッレダオスタの団体)
2013年8月にスイスのグリュイエール地方で開催された国際パトワ祭
(左上:ブレス地方の団体 / 右上:フランスのリヨネ地方の団体 / 下:グリュイエール地方の団体)
フランコプロヴァンス語は、単一言語主義的イデオロギーと教育現場における禁止・蔑視、生活の近代化・工業化、人の移動・流入など、地域社会が大きく変動するなかで衰退してきた。土地に根ざした言語が失われていくなかで、言語運動に携わる人たちは、言語を可能なかぎり次世代に残そうと、言語の記録や継承活動に取り組んでいる。フランコプロヴァンス語が、地域の社会・文化・生態系のなかで、また地域で話されているフランス語、移住者の言語、さらに外国語などの他の言語とともに、その価値を認められ、継承されていくことを願っている。
フランコプロヴァンス語で一言
最後にフランコプロヴァンス語の簡単な表現を紹介したい。フランコプロヴァンス語には共通語的な話しことばがなく、統一された書記言語もない(ただし、フランコプロヴァンス語で書かれたものは中世以来、存在する)。ここでは、J.-B. マルタンによる入門書(Martin, Jean-Baptiste (2005) Le francoprovençal de poche, Chennevières-sur-Marne: Assimil)から、いくつか紹介する。この本では、語源に基づく書記法(太字)と発音に基づく書記法(イタリック)の2つが使用されている。前者は方言ごとの細かな発音の差異が捨象された超方言的な綴りで、フランス語の綴りに近いため、それに馴染みのある人にとっては読みやすい。しかし、実際に発音する際には、それぞれの方言で発音される。それを示すのが後者の発音に基づく書記法であるが、フランコプロヴァンス語は方言間の差異が非常に大きく、細分化されているため、紹介されているのはごく一部である。
おはよう/こんにちは | Bonjor! | bonjeur, bonzheu, bondzou |
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いいえ | non / nan | non / na |
(どうも)ありがとう | (grant) marci | (gran) marsi, (gran) massi |
さようなら | A revêr! | a revèr, a reva, a rvi |
※下線の位置にアクセントが置かれる。
《佐野彩:社会言語学(2013年掲載)》