宗教とボンデイ語
私は、タンザニア北東部に住んでいるボンデイの人びとの文化を調査しています。その居住地域は、インド洋沿岸部から内陸に入ったところで、近くには、ムリンガと呼ばれる山が高くそびえ立っています。彼らの生業は農業で、トウモロコシ、芋類、豆類、ココヤシ、オレンジなどを栽培しています。
ボンデイの人々は土着宗教、イスラーム、キリスト教を信仰しています。土着宗教には、祖霊信仰、精霊信仰、アニミズムなどがありますが、現在は人口の約半数がイスラームを、残りの半数がキリスト教を信じています。
言語は、土着の言語であるボンデイ語と東アフリカの共通語であるスワヒリ語が使われています。しかし現在ボンデイ語は、高齢層が使用する言葉になっており、若者のボンデイ語離れが進んでいます。
「ボンデイ」とは、「谷(bonde)」という語彙から由来し、ボンデイ族とは山地から沿岸部へ移動した「低地に住む人」を意味しています。ボンデイの人びとは、昔、タンザニア北部に広がるウサンバラ山脈に住んでいたといわれています。そこには、セウタ(弓の息子)という名前の狩猟名人がおり、彼の国が存在しました。その後土地争いが起こり、ボンデイの人びとは、低地へと移動したといわれています。
さて、ボンデイの人びとがなぜ新しい居住地をムリンガ山近くにしたかというと、このような言説があります。昔、ボンデイの人びとが山地から沿岸部へ向けて移動していたとき、ムリンガ山にさしかかると、ムリンガ山から白いケムリが出ているのが見えました。人びとは「ここにカミさまがいる。カミさまが私たちを歓迎して下さっている」と思い、ムリンガ山の近くに住むことを決めたと言われています。現在でもムリンガ山の先端から白いケムリが上がったり、山の斜面が白くなっているのを見ると、人々は、「カミさまが、料理をしている」「カミさまが、洗濯物を干している」と語ります。
外来宗教によって土着宗教が禁止されていることもあり、近年ボンデイの人びとは、土着宗教の信仰儀礼をほとんど行うことはありません。以前は村に問題が起こると、ムリンガ山に登り、カミに祈願していたといいます。私が、運よく祖霊信仰儀礼に遭遇したのは2010年頃だったと思います。祈祷師が中央に座り、その前には穀物や果物などがお供えしてありました。踊り子たちは、祈祷師と供物の周りを太鼓のリズムに合わせながら踊っていました。その際、祈祷師はボンデイ語で祈祷していました。
一方、人口の約半数を占めるキリスト教会では、ミサをスワヒリ語で行います。ミサの進行、讃美歌、祈りすべてにスワヒリ語がつかわれます。それは教会内だけでなく、結婚式の一部の行事、葬儀など、教会外で行われるキリスト教の行事もスワヒリ語で進行されていきます。そしてイスラームでは、モスク内での祈りやコーランの勉強はアラビア語で行われますが、その他の場面ではスワヒリ語がつかわれています。
このように、信仰の場でボンデイ語を使用する機会はなくなってきています。信仰の場でボンデイ語を使用することは、外来宗教が禁止しているはずの土着宗教と結びついてしまう危険性があるという考えもあるようです。さらに、名前の使用にも外来宗教の影響があります。ある長老は、「ボンデイの名前を使用するのは好ましくないといわれているから、自分はボンデイの名前をあまり使用していない」と語っていました。
こうしてみると、ボンデイ語は、使用されなくなっている言語だということがよくわかります。しかし私には、ボンデイ語の好きなことわざがあります。このことわざを言うと、高齢層から若年層まで笑います。そして、このことわざは、私がなぜ何度でもボンデイの村に足を運びたくなるか、語ってくれています。
座り心地のよい場所は、お尻が知っている(Chekao chedi chamanywa ni tako)
左:ムリンガ山 2007年撮 右:料理の準備 2011年撮
《高村美也子(2014年掲載)》