ロマニ語
ロマ民族
「ロマニ語」は「ロマ民族」の言語です。「ロマ」は日本では「ジプシー」の名称で知られていますが、「ジプシー(もともと「エジプシャン(=エジプト人)」を示します)」やヨーロッパの多くの国で用いられてきた「ツィガン(ギリシア語で「触れてはならぬ者」)」といった呼称は侮蔑的であるとして、現在は新聞やメディアでは彼らの正式名称である「ロマ」を用いるのが国際的なルールです。
「ロマ独自の国」はなく、ロマはヨーロッパを中心にして世界中に散在しています。その人口を正確に測ることは困難ですが、世界全体で1200~1500万人いると言われています。その大半は、ヨーロッパの旧共産圏やトルコに集中しており、これにアメリカ、カナダ、オーストラリア、北アフリカ、一部アジアへ渡った移民が加わります。諸説ありますが、Eric Meyer & Marcel Courthiadeの学説によると、彼らの先祖は1018年にインド北部の「カナウジ」という都市にイスラム王朝が仕掛けた侵略戦争が引き金になって民族大移動が起こり、その時の戦争難民等がロマの先祖となったと考えられています。
「ロマ」とは「ロマニ語」における彼らの自称です。中には「シンティ」「カレ」「マヌシュ」といった「ロマ」以外の自称を持つグループもありますが、話者の自称に関わらず言語名は「ロマニ語」となります。英語だとRromani, Romani, Romanyと表記し、一部の専門家はRを重ねて書きます。これは、音声学上の理由もありますが、一番の理由は「Roma」や「Romania」との混同を避けるためです。なお、「ロマ」が「ジプシー」の正式名称であることを知ってもらえるよう、筆者は「ロマ(ジプシー)語」という言い方もしています。
ロマニ語方言の分類
ロマニ語はサンスクリット語、ヒンディー語、ネパール語などと同じく、ヨーロッパ語族、インド・イラン語派のインド・アーリア語(インド語)群に分類されます。ロマニ語の語彙を分析すると、ペルシア語、アルメニア語、トルコ語、ギリシア語、南スラブ語、アルバニア語、ルーマニア語などの言語からの「借用語」が多く見られます。これらはそのまま彼らの先祖が通って来た旅路を示しています。
ロマニ語には国や地方によっていくつも方言があり、研究者によって分類の仕方が異なります。
一般に、方言というものは話者の住む地域ごとに分類されるものです。例えばイギリスのPeter & Bakkerはロマニ語方言を大まかに「ワラキア方言群」「バルカン方言群」「中央方言群」「北方言群」の4つに分類しています。このうちの「ワラキア方言群」はルーマニア語の影響を強く受けた方言グループを指しますが、それ以外は「地理的」な分類です。
ロマはグループごとに固まって生活してきました。ルーマニアのようにロマニ語が今もきちんと保たれている国では、同じ町で全く異なるロマニ語方言が話されていることも珍しくありません。
このため、フランスのCourthiadeは「常に放浪の歴史を歩んできたロマの方言は各地で複雑に入り組んでいるために、地理的分類は大きな意味を持たない」とし、ロマニ語の段階的な発達において生じた音声の違いを基に各方言を分析し、より「歴史的」に分類を行う提案をしています。
消滅危機言語
北マケドニア共和国にはロマニ語を「公用語の一つ」として定めた「シュト・オリザリ」という行政地区がありますが、ロマニ語を「公用語」とする国はありません。ロマニ語は常にそれぞれの国の様々な言語の影響にさらされている「消滅危機言語」であることには変わりがないのです。
ロマニ語を含む3言語で表記された看板
(北マケドニア共和国シュト・オリザリ地区役所)
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一般に、西欧に行けば行くほどロマの伝統文化や言語は乱れ、失われていく傾向にあります。
東欧ルーマニアには世界で最も多くのロマニ語話者が住んでおり、今もロマの伝統が色濃く残っています。道を歩けば昔ながらの伝統衣装を着て生活し、ロマニ語を第一言語として用いるロマに遭遇します。
ルーマニアは「ロマニ語教育先進国」でもあります。大学に「ロマニ語学科」があるばかりか、世界で唯一公立の小・中・高等学校でもロマニ語が正式な科目として採用され、かつ、学校によってはロマニ語による各教科の教育も行われています。
ルーマニアには上述の分類における「ワラキア方言群」「バルカン方言群」「中央方言群」が地理的に重なる地点であり、「銅鍋職人方言」「鋳掛職人方言」「熊使い方言」「カルパチア方言」の異なる4つの方言が話されています。ですが、学校で教えられているのはこのうちのどれでもありません。
ロマには「首都」がないので、一つの方言を「規範」とすると喧嘩が起きてしまいます。このためロマニ語を国の教育に導入する際に「全ての話者に中立な言語」が望まれました。
「異なる方言話者同士の対立を回避し、かつ教育を通じて言語を保護する」ために、言語学者Gheorghe Sarăuによって提唱されたのが「標準ロマニ語」または「共通ロマニ語」と呼ばれる「中立な文語」です。「標準ロマニ語」は各方言に分岐する前の「古いロマニ語」を模範にしているため、国内外の様々な方言に対応力があるのが特徴です。
「世界ロマの日(4月8日)」を学校で祝うロマの子供達
(トランシルバニア)
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語彙
方言はいくつもありますが、ロマニ語は同じ構造を持った単一の言語です。しかし、その語彙を観察すると、「水」「馬」「食べる」「飲む」といった古い基礎語彙は各方言で共通していますが、元々ロマが持っていなかった新しい概念などは借用語に頼らざるを得ないため、話者の出身地や方言に影響を及ぼした言語によって用いられる単語が異なることがあります。
例えば、「書く」という動詞。もともと筆記文化を持っていなかったロマは、話者によって用いる動詞が異なり、フラモサレル(ギリシア語起源)、ピスィネル(スラブ語起源)、イスキリサレル(ルーマニア語起源)、イリネル(ハンガリー語起源)など、様々な借用語が用いられています。その一方で「黒くする」「引っ掻く」「切りつける」といったロマニ語の語彙を用いて、紙や木の板に文字を記す様子を表現する話者もいます。
言うまでもなくロマニ語で小説や詩を書くロマもいる
(「世界ロマ大会」でスピーチをする
ルーマニアのロマ文学者ルミニツァ・チョアバ女史)
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文字
ロマニ語が筆記される場合、筆記者は大概各国の公用語の正書法に従うため、用いられる文字もラテン文字、ギリシア文字、キリル文字とバラバラでした。
独自の国を持たないロマ民族は「世界ロマ大会」という国際会議において政治的な話をしますが、1990年4月にポーランドで開催された「第4回世界ロマ大会」において「国際共通ロマニ語アルファベット」が各国のロマの代表者たちによって、UNESCOの代表者の立会いのもと採択されました。それまで独自の文字を持たず「他の言語の表記法に依存」していたロマニ語でしたが、この時にようやっと「ロマニ語のための表記法」が確立したのです。
ルーマニアは「第4回世界ロマ大会」におけるこの決定を尊重し、国家教育省を通じてこの「国際共通ロマニ語アルファベット」を早々にロマニ語教育に取り入れました。しかし、今のところルーマニアほどこの表記法が浸透した国は他にないのが現状です。
ロマニ語で書かれたルーマニアの小中学校の教科書
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異なる方言話者同士の会話
ロマニ語方言はその崩れ具合(ロマニ語教育では「崩れ」ですが、言語学では「発展」と言います)によって、「正ロマニ語(proper Rromani)」と「準ロマニ(Pararromani)」に分けることが出来ます。「準ロマニ」は更に「近ロマニ(Perirromani)」と「崩壊ロマニ(Paggerdialect)」に分けられます。pagger-というのはロマニ語のphagerdi「壊れた」という形容詞(分詞)から来た用語です。
崩れ(発展)が少ない「正ロマニ」方言話者同士であれば、一部の借用語を除けばお互いの方言で話しても意思疎通は可能です。「近ロマニ」あたりになってくると、強い「言語接触」によって他の言語の要素が多くなってくるので注意が必要です。一方、「崩壊ロマニ」はロマニ語としての体を失っているので、同じ方言話者以外には理解されないでしょう。
ロマ民族最大の国際会議「世界ロマ大会」はロマニ語によって進行が行われます。各国のロマはそれぞれの方言で発言をしますが、西欧のロマの代表者の中には全くロマニ語を解さない者もいるため、英語やロシア語の逐次通訳を挟むのが習わしです。
あいさつ (カタカナの下線部分がアクセントのある音節であり、少し強めに発音します)
Te aves baxtalo / baxtali! | テ アヴェス バフタロ/バフタリ | 「幸いあれ!」(相手が男性の場合baxtalo、女性一人の場合はbaxtali。出会った時や乾杯する時に用いられる) |
Nais tuqe. | ナイス トゥケ | ありがとう |
Devleça. | デヴレサ | さようなら(直訳すると「神様と共に」)」 |
Kamav tut. | カマヴ トゥト | 愛してる |
Ʒav te dikhav e grasten. | ヂァヴ テ ディカヴ エ グラステン | 馬を見に行ってくる(=「ちょっとお花を摘みに行ってきます」) |
《角悠介:以下の文献を参考にした書下ろし(2020年9月)》
- 角悠介(2018)『ニューエクスプレス ロマ(ジプシー)語』白水社
- BAKKER, Peter et alii, 2000, What is the Romani language?, Hertfordshire: University of Hertfordshire Press
- COURTHIADE, Marcel, 2009, Morri angluni rromane ćhibǎqi evroputni lavustik, Budapest: Romano kher
- SARĂU, Gheorghe, 2008, Rromi. Incursiune în istoria și limba lor, București: Sigma
★ ことばと暮らし〜地球ことば旅「流浪の民の言語「ロマニ語」」もあわせてご覧ください。