ルーマニア語
ルーマニア語は東ヨーロッパにある「ルーマニア」、そしてルーマニアの北東に接する「モルドバ共和国」にて公用語とされている言語です。この他、ルーマニアに隣接するウクライナ、ブルガリア、セルビア、ハンガリーやクロアチア、北マケドニア、ギリシア、アルバニアにも話者がおり、一部地域において限定的な公用語とされています。話者は世界中でおおよそ2900万人と見積もられています(Avram; Sala, 2001, p. 14.)。
ルーマニア語はインド・ヨーロッパ語に分類される言語で、イタリア語、スペイン語、フランス語といった言語と同じく、ラテン語を起源とする「ロマンス諸語」に含まれます。しかしながらルーマニアが東欧に位置し、ウクライナ、ブルガリア、セルビアといったスラブ語圏の国々に囲まれていることから、ロマンス諸語の中では唯一、語彙に強いスラブ語の影響が伺えます。また、他のロマンス諸語では失われてしまった古い格変化を残していることも特徴の一つとして挙げられます。
ルーマニア語の起源と成立
ルーマニア人の祖先は「ダキア人」であると言われています。「ダキア」とは現在のルーマニアを中心とした古代の地域の名称です。諸説ありますが、「ダキア人」とは東ヨーロッパ周辺に広く暮らしていた民族「トラキア人」の一派であったと考えられています。「ダキア人」は古代ローマ人が用いた名称ですが、古代ギリシア人は彼らを「ゲタエ」と呼んでいたことから、「ゲト・ダキア人」などという言い方をされることもあります。
デケバルス王率いるダキアはローマ帝国を脅かしますが、106年にトライアヌス帝に屈服し、ローマ帝国の属州になります。そして、ローマ帝国の支配下に置かれたダキア人がローマ化され(混血し)、現在のルーマニア人の先祖となりました。
近隣の言語に類似が見られないルーマニア語の語源不明の語彙が「ダキア語」の語彙だと考えられています。しかしながら、既に消滅した「トラキア語」、そしてその一派であると考えられている「ダキア語」については言語資料がほとんど残っておらず、詳しいことは殆ど分かっていません。いずれにせよ、ダキア語もラテン語と同じくインド・ヨーロッパ語族に属していたというのが大半の学者の見解です。
最も古いルーマニア語の長文の文献は、キリル文字で書かれたScrisoarea lui Neacșu「ネアクシュの手紙(1521年)」とされています。ですが、ルーマニア語と考えられる短い語句が文献に登場するのはさらに昔になります。
歴史家Theophylactus Simocattaが630年にギリシア語で記した歴史書に以下のような逸話があります。
ビザンツ帝国軍のComentiolus率いる部隊がアヴァール人討伐のため587年にトラキアのHaemus山へ向かう途中の出来事で、夜道を部隊が進行している際、荷物を運んでいた動物から荷がずり落ちそうになるのを後ろから見た兵士が、動物を引いていた兵士に向かって„τόρνα, τόρνα[トルナ トルナ]”「(荷を背に)戻せ 戻せ」と「母語で」声をかけました。ところが、これが「退却せよ」といった敵の奇襲に対する警告と勘違いされ、皆次々に「トルナ トルナ!」と叫び部隊が大パニックになったとのことです。
そして、同じ逸話を今度は証聖者Theophanesが820~814年に記したChronographiaの中で紹介していますが、ここでは兵士たちが叫んだのが„τόρνα, τόρνα, φράτρε[トルナ トルナ フラトレ]”「戻せ 戻せ 兄弟よ」だったと書かれています。
一説によると、この文献にある„τόρνα, τόρνα, φράτρε”の語形が文献で確認できる最も古いルーマニア語(ルーマニア祖語)であると言われています。しかし、これには賛否両論があります。(Saramandu, 2001-2.)
本章では日本で一般に紹介されているルーマニア語の概要ではなく、少し踏み込んでルーマニア語の方言に焦点を当てて紹介していきたいと思います。
ルーマニア語の方言
「ルーマニア語」には、4つの方言があります。一つはルーマニアとモルドバ共和国で話されている「ダコ・ルーマニア方言(英:Daco-Romanian)」、そして、北マケドニア共和国、ギリシア、アルバニアで話される「アルーマニア方言(英:Aromanian)」、北マケドニアと国境を接するギリシアのメグレンという地域で話される「メグレノ・ルーマニア方言(英:Megleno-Romanian)」、そしてクロアチアのイストリアという地域で話されている「イストロ・ルーマニア方言(Istro-Romanian)」の4つです。
それぞれの方言とダコ・ルーマニア語方言を比べてみましょう。それぞれ研究者独自の表記法で書かれていますが、読み方についての説明は省略します。
4つの方言に分類されるルーマニア語ですが、一般的に「ルーマニア語」と言えばルーマニアとモルドバ共和国で話されている「ダコ・ルーマニア方言」を指します。
ルーマニア国内のルーマニア語(ダコ・ルーマニア方言)は、専門的にはいくつもの下位方言に分けられることが出来ます。その数も南北の2つに分ける方法から数十までと研究者によってばらばらで、紹介し始めるときりがないので本章では割愛します。
文字と「再ラテン語化」
現在ルーマニア語ではラテン文字が用いられています。しかし、スラブ圏に囲まれたルーマニア(を形成するかつての公国)では、長らくキリル文字が用いられていました。18世紀末にトランシルバニアで起こった「アルデアル学派」がルーマニア語のラテン語起源を唱え始めると、ルーマニア語の脱スラブ化が始まり、キリル文字からラテン文字への移行が始まります。キリル文字が公的に使用されていたのは1860年までであり、それ以降はラテン文字が用いられていますが、現在でも古い教会へ行けばキリル文字によって書かれたルーマニア語を目にすることができます。
キリル文字で書かれたルーマニア語の古い祈祷書。スラブ語起源の語彙が多い。(角悠介所蔵)
トランシルバニア地方のルーマニア人の間で起こった「アルデアル学派」はルーマニア人に偉大なローマ人の血筋を見出そうとする政治的・社会的な運動でした。この運動により、ルーマニア語の文字のみならず語彙の「再ラテン語化」も行われ、スラブ語起源の語彙の多かったルーマニア語にロマンス語系統の語彙が多く導入されていきます。
モルドバ語?
キリル文字からラテン文字による表記法に変わったルーマニア語ですが、今もルーマニア語をキリル文字で記している地域があります。それが、「沿ドニエストル共和国」です。
「沿ドニエストル共和国」は国連非承認国家であり、国際的にはモルドバ共和国の一地域ですが、駐在するロシア軍の後ろ盾を得たロシア系住民による実効支配が行われており、実質独立した国家として機能しています。
「沿ドニエストル共和国」にはロシア語、ウクライナ語、モルドバ語の三つの公用語がありますが、この「モルドバ語」と言うのはキリル文字で書かれたルーマニア語(ダコ・ルーマニア方言)に他ならず、モルドバ共和国内で話され、ラテン文字で書かれているルーマニア語とほぼ同一です。
ロシア語(上段)とモルドバ語(下段)で書かれた沿ドニエストル共和国にある記念碑(撮影:角悠介)
ベアーシュ語?
ハンガリーにはbeás[ベアーシュ]と呼ばれる人々がいます。ルーマニア語ではbăiaș[バヤシュ]といいますが、これは鉱山を指すルーマニア語のbaie[バイェ]から派生したことばで、元々は「炭鉱労働者」を指していました(彼らはルーマニア語でrudar[ルダル]とも呼ばれます)。
このベアーシュたちが話す言語を「ベアーシュ語」といいます。ハンガリーにて近代にベアーシュ語独自の表記法が確立し、語学試験なども実施されていますが、実際のところこの言語は「ルーマニア語ダコ・ルーマニア方言の下位方言の一つ」に他なりません。
ベアーシュたちの伝統的な職業は木工ですが、彼らの先祖はかつてルーマニア人の元で炭鉱労働や砂金採りに従事していたロマ民族(=ジプシー)だと考えられています。彼らがロマの言語である「ロマニ語」を話していないことから、彼らがロマではない「第3の民族」であると考える外国の研究者もいます。しかし、彼らの母語であるベアーシュ語において、ルーマニア語で「ロマ男性」を指す蔑称țigan[ツィガン](ベアーシュ語:cîgán[ツガン])、「ロマ女性」を示すțigancă[ツィガンカ](ベアーシュ語:cîgánkă[ツガンカ])が、自分たちの事を指してそれぞれ「男性;夫」「女性;妻」の意味で用いられていることからも分かる通り、少なくともベアーシュたちは自身がロマ民族であることを認識しています。
以下、ベアーシュの民話の一節を挙げます。
なお、ロマニ語話者はțiganという呼称が差別的であると感じていますが、ロマニ語を話さないルーマニアのロマの一部はțiganの使用にあまり抵抗を示しません。ロマニ語を話さないロマは、「ツィガン」に取って代わられたロマニ語の「ロマ」という公式名称に馴染みがないからです。
≪角悠介:以下の文献を参考にした書下ろし(2021年3月)≫
- ATANASOV, Radu-Mihail, 2011, „Valorile perfectului compus în meglenoromână”, in Limba română, anul LX, nr. 4, București: Editura Academiei Române, pp. 484-90.
- AVRAM, Mioara; SALA, Marius, 2001, Faceți cunoștință cu limba română, București: Echinox.
- BERCIU-DRĂGHINESCU, Adina (coord.), 2012, Aromâni, meglenoromâni, istroromâni: aspecte identitare și culturale, București: Editura Universității din București.
- CAPIDAN, Theodor, 1928, Meglenoromânii – Literatura populară la meglenoromâni (vol. II), Bucureşti : Cultura Națională / Academia Română.
- CSERMELY, Péter, 2012, „Dau plutye (beás nyelvű mese)”, in Közös út, Kethano drom, 2012, XX, évfolyam 4. szám, Budapest: Cigány Tudományos és Művészeti Társaság, p. 25.
- ORSÓS, Anna, 1999, MAGYAR – BEÁS KÉZISZÓTÁR VORBÉ DĂ UNGUR, Kaposvár.
- ORSÓS, Anna, 2003, BEÁS – MAGYAR KISSZÓTÁR, VORBÉ DĂ BĂJÁS, Kaposvár.
- Muzeul Țăranului Român, 2006, Armānjlji di Andon Poçi, cāntitsi shi isturii (CD), 2006, București: Fundația Alexandru Tzigara Samurcaș.
- SARAMANDU, Nicolae, 2001-2, „Torna, torna, fratre”, in Fonetică și dialectologie, XX-XXI/2001-2002, București: Editura Academiei Române, pp. 233-52.