原シナイ文字 英 Proto-Sinaitic script

原シナイ文字は,英国のビートリー(W. M. Flinders Petrie)の率いるシナイ探検隊によって,シナイ半島南西部の古代トルコ石採掘坑跡サラービート・ル・ハーディム(Sarābīṭ l-ḫādim)で発見された絵文字様の刻文に使われた文字である。青銅器時代中期 (紀元前 2000 年~紀元前 1500 年) の年代と推定される。後 2~4 世紀頃の,ナバテア文字からアラビア文字(クーファ体)への移行過程を示す書体でワディ(涸谷)の岩壁に刻まれたアラム語の碑文群の文字を「(新)シナイ文字(Neo-)Sinaitic script)」と呼ぶ人もあるので,それと区別するために,原シナイ文字と呼ぶのが普通である。→ 松田
文字の性質
この略画的な線文字は,字母の種類が少ないから,表語文字や音節文字ではなくて「アルファベット的」なものであろうということ,さらに,古代におけるエジプト人とセム人との接触の場所であったシナイ半島で出土したことから,この刻文はセム語の一方言を表記したものであろうということは当初から想像されていた。
1915 年,英国のエジプト学者ガーディナー(Alan H. Gardiner)は,セム語アルファベットにおける字母の名称の表す事物に類似した字形がいくつかあるのに気付いて,これはエジプト聖刻文字の影響を受けつつ頭音方式で作られた文字であろうと推定し,下図のように上から下に,あるいは左から右に同じ順序で並んだ字母の列に注目して,これを bʽlt (女神)と読んだ。

原シナイ文字表
米国のオルブライト(Albright)は,1948 年に 19 個,1966 年には「27 個と思われる総字母のうち 23 個」の字母が同定できるとして,その結果を発表した。そして,すでにガーディナーらによって推定されたとおり,頭音方式による子音文字であることを具体的に再確認した。
大国エジプトの強い影響下にあった前 2 千年紀のセム人は,エジプト聖刻文字の字形を模倣しつつも,エジプト文字の場合と違って,表語文字,複子音文字を混用するのではなく,30 個以内の単純な形の単音文字だけで,自分たちの言語を表記する方法を考案した。その際,この言語については子音の表記で十分であることや,この言語がいかなる子音音素をもっているかということも知っていたのは,画期的なことであった。
下表はオルブライトが 1948 年に発表したものである。1966 年のアルファベット表の模写および翻訳,字形の似たエジプト象形文字とその音価はこちらを参照。

原シナイ文字テキスト
刻文の中には,行間を線で区切ったものもあるが,書く方向は一定していず,また語間を明示する方法もなかった。数は短い縦線で表されている。図は,廃坑の入口近くで発見された石碑(a)と,廃坑の壁の刻文(b)。
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関連リンク
ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字
- AncientScripts Proto-Sinaitic
- Omniglot Proto-Sinaitic / Proto-Canaanite
注
- 松田伊作(2001)「原シナイ文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- R.ギヴェオン 著 ; 酒井伝六, 秋山正敦 訳(1974)『シナイの石は語る』(学生社)
- Albright, W. F. (1948) The early alphabetic inscriptions from Sinai and their decipherment. Bulletin of the American Schools of Oriental Research. 110.
- Naveh, Joseph (1982) Early history of the alphabet. An introduction to west semitic epigraphy and palaeography. (The Magnes Press)