オロモ文字 英 Oromo alphabet
オロモ語の文字表記は,19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて試みられたが,オロモ語表記が活発に行われることはなかった。エチオピア内でのアムハラ語化が推進されると,オロモ語などアムハラ語以外の言語を文字表記することは厳しく制限されたのである。この状況が変わったのは 1974 年に帝政が倒れて軍事政権になってからである。しかしここでもエチオピア文字表記が採用された。こうした状況下で,反政府の立場に立つエチオピア国内外のオロモ人グループの中では,エチオピア文字に対して,様々なローマ字表記法が試みられるようになった。そして,1991 年社会主義政権が滅びオロモ語の使用が公になると,ローマ字によるオロモ語の表記法が確立された。 [1]
シャイフ・バクリ・サバローの文字
最終的にローマ字正書法が確立する以前に独自に考案された文字としては,エチオピア東部のハラルのシャイフ・バクリ・サバロー Shaykh Bakri Saṗalō (アブーバカル・ウスマーン Abubakar Usman とも呼ばれる)が 1950 年代半ばに作った文字がある。これは,システムとしては 1 文字が「子音+母音}を表す音節文字であり,同一子音で始まる字形は一群をなし,母音の違いは,互いに部分的にその字形を少しずつ変形することによって示される。表記方向は,左から右への横書きである。この文字はオロモ語の 10 母音すべてを書き分けられる点でエチオピア文字による表記の欠点(エチオピア文字は 7 種類しか区別できない)を克服しているが,エチオピア政府当局の言語政策に反するために敵対視されたこともあり,彼の周辺以上に広がることはなかった。 [2]
オロモ文字表 [Hayward & Hassan] [3] |
1958 年に書かれた Shaykh Bakr の手紙 [3] |
現代オロモ語文字表
注
- ^ 柘植洋一 (2001)「オロモ文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 220.
- ^ 柘植 p. 221.
- ^ a bHayward, Richard J. & Mohammed Hassan (1981) “The Oromo Orthography of Shaykh Bakri Saṗalō” Bulletin of the Schools of Oriental and African Studies 44 (3)
関連リンク
- Omniglot Afaan Oromo
[最終更新 2021/12/10]