アゼルバイジャンの文字 英 Azerbaijani writing system
アゼルバイジャン語(アゼリ Azeri とも)は,南カフカース(北アゼルバイジャン)およびイラン北西部(南アゼルバイジャン)で話されるチュルク系の言語である。
北アゼルバイジャンでは,ロシア帝国の支配下にあった 19 世紀後半から,それまでのアラビア文字に象徴される伝統文化,特にイスラムとの絆を断ち切る意味で,ラテン文字を用いる試みが始められた。ラテン文字表記は北アゼルバイジャンがソビエト連邦に組み込まれた後の 1929 年から,いくつかの変更を経て1940 年まで用いられる。 [1]
しかし,ラテン文字表記は,ソ連全体のロシア化・ロシア語化の政策により 1940 年にキリル文字表記に替えられてしまう。このキリル文字正書法には,アゼルバイジャン語の表記としてはいくつかの不都合が含まれていたが,それが改善されるのは,1958 年以降のことである。 [2]1991 年 8 月 30 日,新生アゼルバイジャン共和国が,独立宣言する。同年 12 月 21 日、独立国家共同体(CIS)に参加するが,翌年 5 月には CIS からの脱退,独自通貨マナトの導入などの政策を発表する。このような政策の中に,文字改革も位置づけられる。かつてのラテン文字に戻るのではなく,新たなラテン文字アルファベットを採用することになった。 [2]
1928 年に従来のアラビア文字を廃止し,29 字からなる新しい表音的アルファベットを制定したトルコ共和国は,アゼルバイジャン共和国をはじめチュルク系言語を使用するカザフスタン,キルギス,トルクメンなどに働きかけて,34 文字からなる「共通アルファベット」に沿った文字表記の採用を提案した。この改革案は,支持と同時にトルコ共和国への急激な接近に対する反発も招いた。 [2]
独立当初激しかったキリル文字に対する反感は,アゼルバイジャンの人々の,長年にわたる反ロシア・反ソ連感情から生じたものであった。しかし,ラテン文字への移行が決定されたが,当初の情熱は,現実的な諸問題を前にして,トーンダウンしつつあり,今後しばらくはキリル文字との共存が続きそうである。 [3]
イラン北西部(南アゼルバイジャン)では,アゼルバイジャン語はアラビア文字表記が続けられているが,イラン・イスラム文化の強い影響下にあって,アゼルバイジャン共和国のようにラテン文字表記への移行を求める動きは全くない。 [4]表記体系の変遷 |
アゼルバイジャン語テキスト
サンプルテキスト
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アゼルバイジャン語入力方法
テキストはキーボードをアゼルバイジャン語に設定(左:ラテン文字/右キリル文字)して入力する。タスクバーにはISO 639-1の言語コードでドイツ語を表す「AZ」が表示される。
注
- ^ 林徹 (1994)「アゼルバイジャンにおける文字改革の行方」『アジア・アフリカ言語文化研究所通信 80』p.50.
- ^ a b c 林徹 p.51.
- ^ 林徹 p.52.
- ^ 松長昭 (1999)『アゼルバイジャン語文法入門』大学書林, p. v.
- ^ Omniglot Azerbaijani
関連リンク・参考文献
- アゼルバイジャン語
- Azeribaijani radio and news
- International news
- 林徹 (1988)「アゼルバイジャン語」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 世界言語編 (上)』三省堂.
- 『モッラー・ナスレッディン』紙 デジタルアーカイブ 東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 情報資源利用研究センター.