トカラ文字 英 Tokharian
ドイツによる第 2 回中央アジア遠征隊の隊長として参加した A. v. ル・コック(Le Coq, 1860~1930)は 1904 年 11 月からウルムチからトルファンに入り,長期にわたってその周辺の遺跡を調査し発掘した。このル・コックの遠征の記録からも明らかなように,後にトカラ語とよばれる言語で書かれた文書は,タリム盆地の北東,天山南路のオアシスであるクチャから東のカラシャール,トルファン周辺にかけての遺跡で発掘されたもので,その成功は偶然というよりない。だれもこの砂漠に地に,千数百年前の印欧語族が残した文献が眠っていようとは,夢想だにしなかったからである。そしてこの文献資料には,2 つのかなり異なる方言が含まれている。そのうち A (東)方言は,カラシャール,トルファン周辺の地域から出土した写本にのみ見られるのに対して,B (西)方言はクチャをふくめて,先にあげた地域全体にわたっている。[風間,トカラ語の話 3] [1]
西域地図(東トルキスタン/新疆ウイグル自治区)[NordNordWest / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
印欧語族のうち東端の中央アジアで話されていたトカラ語と,アナトリアのヒッタイト語には,他の印欧諸語にはみられないいくつかの古い特徴が保存されている。それらは,印欧語の最も西に位置するイタリック語派,ケルト語派との顕著な類似を示している。この点に注目するなら,従来の系統樹モデルとは異なる言語の分岐モデルが考えられる。それは,印欧共通祖語からアナトリア語派がまず離脱し,それに続いてトカラ語,さらにイタリック語派,ケルト語派が離脱したが,中央ヨーロッパに残った諸言語はなお言語共同体としての共通の特徴を持っていたとする見方である。[風間 トカラ語の話 5]
文字構成
トカラ語の音韻体系がサンスクリット語と大きく異なるため,本来サンスクリット語の表記のために考案された文字体系が部分的に異なった用途にもちいられている。相違が最も著しいのは閉鎖音の体系で,サンスクリット語の無声無気・無声有気・有声無気・有声勇気・鼻音の 5 種類のうち,サンスクリット語からの借用語をサンスクリット語の表記に忠実に表す場合を除いては,トカラ語としては無声無気音と鼻音しか用いない。また,反舌音は用いられない。また,摩擦音のうち va の文字は借用語に限られ,トカラ語では新たに作られた wa の文字が広く用いられる。同じく ha は,間投詞以外は借用語に限られる。これに反して,サンスクリット語では比較的稀な子音連続 ts が,トカラ語では独立の音素として頻繁に用いられる。
他のインド系の文字体系と大きな違いとして,トカラ語では,補助記号による母音表記を伴わない文字に 2 系列あることがあげられる。通常の子音文字は,サンスクリット語の場合と同じく,特別の母音記号を伴わない場合は内在的母音 -a を伴った音節を表すが,これに加えて k, t, n, p, m, r, l, ś, ṣ, s には,第 1 の系列とまったく異なった外形の第 2 の系列の子音字があり,これらは母音記号なしに内在的母音 -ä を伴った音節(kä など)を表す。この第 2 系列の文字が,母音記号を伴って -ä 以外の母音をもつ音節を表すことはきわめて稀である。[辛島 p. 864] [2]
トカラ語文字表
表中,ブルーで示した文字は本来のブラーフミー文字になく,後から追加されたものである。また,グレーで示した文字は,サンスクリット語を忠実に表す場合に用いられる。[Krause] [3] を基に作成。詳細な文字表は Tocharian alphabets を参照。
トカラ語サンプルテキスト
トカラ語 B 写本例
[Anonymous / Public Domain / 出典] |
ユニコード
トカラ文字をユニコードに登録するための提案書(2015年)が,Lee Wilson から提出されている。文字表には,独立母音字 : 11E00-11E0E,子音字 : 11E0F-11E3A,母音記号 : 11E3B-11E47,各種記号 : 11E48-11E4B,ヴィラーマ : 11E4C,数字 : 11E40-11E60,句読点 : 11E61-11E64 が配置されている。
注
- ^ 風間喜代三 (2004)「トカラ語の話 (1-6)」『言語』(33[7]~33[12])
- ^ 辛島昇・熊本裕・山崎元一・吉田豊 (2001)「フラーフミー文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
- ^ Krause, W. & W. Thomas (1960) Tocharisches Elementarbuch, Band 1: Grammatik. Winter.
- ^ Filliozat, Jean (1948) Fragments de textes Koutchéens de médecine et de magie : texte, parallèles Sanskrits et Tibétains, traduction et glossaire. (Librairie d'Amérique et d'Orient Adrien-Maisonneuve)
関連リンク・参考文献
- Tocharian alphabet | トカラ語
- Digitization of Tocharian Manuscripts
- Omniglot Tocharian
- ScriptSource Turkestani | Manichaean
- 赤松明彦 (2005)『楼蘭王国 ロプ・ノール湖畔の四千年』中央公論新社.
- 風間喜代三 (1989)「トカラ語」亀井孝 [ほか] 編著言『言語学大辞典 第2巻 (世界言語編 中 さ~に)』三省堂.
- 地球ことば村 「シルクロードのことばと文化」
- A Comprehensive Edition of Tocharian Manuscripts トカラ語とトカラ人,Manuscripts