突厥文字 英 Orkhon runes,Turkic runes

文字名称の由来は,チュルク突厥帝国がモンゴリア高原に残した突厥碑文に刻まれた文字からつけられた。突厥文字は,チュルク語の一種である突厥語を表記するのに用いられたが,一部はウイグル語表記にも使用された。突厥語とウイグル語(8 世紀まで突厥文字で表記された)をあわせて「古代チュルク語(Old Turkic language)」という。突厥文字表記された物の出現箇所は,上記のオルホン川流域のほか,イェニセイ川流域,バイカル湖北域,アルタイ地域,東トルキスタン,タラス川流域,フェルガナ盆地に分類される。
モンゴリア高原には,いわゆる「オルホン(Orkhon)碑文」と呼ばれる石碑がオルホン川流域に数多く見られる。中でも,突厥帝国時代に建てられたホショウツァイダム(Khosho-Tsaidam)碑文やトニュクク(Tonyukuk)碑文,オンギン(Ongin)碑文はよく知られている。イェニセイ川流域からは「イェニセイ(Yenisei)碑文」と呼ばれている大量の石刻銘文が見つかっている。これらは 9~10 世紀頃作られた可能性が大きい。突厥文字は,モンゴリア高原のオルホン碑文のように故人や出来事に関する記念碑を公式に刻んだものもあるが,多くは,個人的な立場から短い銘文の表記に使用された。
トニュクク碑文
この碑文は 725 年の建立といわれている。図は,石碑を右へ 90 度倒して示している。Bain Tsokto inscriptions

オンギン碑文
720 年建立とされる。→ Gerard Clauson (1957) ‘The Ongin Inscription’ The Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland No. 3/4 (Oct., 1957)

ホショウツァイダム碑文(Khöshöö Tsaidam)は,トルコ帝国東部の有名政治家 Bileg Khan(734)とトルコ軍の指揮官である Kul Tegin との名誉を称えて建てられた 4 つの記念建造物で構成されている。この石碑は,6 世紀~ 8 世紀の間に中央アジアに広がったトルコ帝国の最も重要な考古学的痕跡で,書かれた碑文の情報は、中央アジアの歴史と文化を研究する上で非常に貴重なものである。khosho tsaidam

イェニセイ碑文
Uyk-Tarlaq 碑文(高さ 2.61 m)TÜRIK BITIGg



突厥文字の来源
突厥文字の来源には,ルーン文字,フェニキア文字,アラム文字などがあるが,早い段階からソグド文字を借用したとする説が有力である。5 世紀から 8 世紀にかけて中央アジアで活躍したソグド人が使った「仏教・草書体ソグド文字」を,古代トルコ語の音組織に適合するよう字形を調整したのが突厥文字である,という説である。しかし,実際には,ソグド文字と突厥文字の間には形態上の大きな差異が見られ,現在のところ,突厥文字の起源に関して納得いく説明はなされていない。ただ,音節文字の要素を持つこの文字が,セム系の文字を継承していることは確かである。 [1]
文字組織
オルホン文字の解読は,1893 年 12 月にデンマークのトムセン(V. Thomsen)によってなされた。オルホン碑文に関連する内容を記した漢文が併記されていたことで,チュルク語の一種を表記したことや固有名詞のおおよその音形式が判明したことが解読を可能にした。
下記の突厥文字表は,二種類ある場合は,オルホン碑文の文字(左)とイェニセイ碑文(右)に見られる文字である。書写体文字を併記した。母音文字は常に表記されるというのではない。文字 1 は a/ä の音を表し,第 1 音節においては普通表記されず,第 2 音節以降でも,語幹末母音を除いて普通表記されないが,語末位にあるときは規則的に表記される。文字 2 は,ï/i のほか狭い e も表示する。e は,イェニセイ碑文においては専用の文字を用いる。子音字はまず,母音との結合において後舌音系列(硬母音字)と前舌音系列(軟母音字)を区別するものとしないものに分けられる。表の子音文字の右肩に 1 を付したものは後舌音系列を,2 は前舌音系列を表示する文字である。また,g, k は前舌音系列,q,γ は後舌音系列に所属する。23,24,25,33 は,子音の前あるいは後ろに母音を内在する文字である。36,37,38 は子音連続を表す。
突厥文字の多くは右から左に横書きされ,上から下に行を追っているが,「オルホン碑文」などは漢文の影響からそれを左に 90 度回転させて縦書きされ,上から下に読まれる。

突厥文字テキスト
サンプルテキスト

書写体 → 庄垣内 Free Font: BabelStone Irk Bitig

(ä)sn(ä)g(ä)n b(a)rs m(ä)n. q(a)muš ara b(a)š(ï)m. (a)nt(a)γ
(a)lp m(ä)n, (ä)rd(ä)mlig m(ä)n. (a)nča biliŋl(ä)r:
訳
私は欠伸をするトラです。私の頭は葦の中にあり,勇敢で有能です。このように知りなさい。
テキスト入力
ユニコード
突厥文字のユニコードでの収録位置は U+10C00..U+10C4F である。
碑文体

書写体

突厥文字表示テスト
下表右下セルに突厥文字が正しく表示されない場合は,Noto Sans Old Turkicなどのユニコード対応フォントをインストールする。
正しい表示 | お使いのコンピュータでは |
![]() | 𐱅𐰭𐰼𐰃 |
入力方法
突厥文字用の仮想キーボードは存在しない。そのため,Unicode の文字表が表示可能なソフト,あるいは,BabelMap などを利用して文章を入力する。【参考】 多言語環境の設定
関連リンク・参考文献
Old Turkic alphabet
- Irk Bitig
- Türik Bitig Orhon
- タラス川沿いの渓谷で8~10世紀後半まで用いられた石刻銘文文字。
Free Talas font - 庄垣内 正弘(1997)「突厥文字--古代チュルク人世界に普及した文字」『月刊しにか』(『月刊しにか』編集室 編 8(6))
- 護雅夫(1990)「突厥文字の起源に関する 2 研究」『東方学』(海外東方学界消息-78-,東方学会,通号 79)G. クロースン(G. Clauson)は,ルーン文字の原型を,3種類のアルファベット―ソグド,ペフレヴィー,パクトリアのそれ―に求めることを提唱した。一方,V=A=リフシツ(V. A. Livšic)は突厥文字を,ソグド文字を簡潔な文字に変形し,また,テュルク語の母音調和を文字体系に反映させたものであると説明する。
注
- ^ 庄垣内正弘(2001)「突厥文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- ^ Orhun Yazıtları