モンゴル系諸語の文字 英 Scripts for Mongolian languages
歴史上モンゴルで使用された様々な文字が寺院の入り口に書かれている。両脇はパスパ文字,中央上から,ランジャナ文字,チベット文字,ソヨンボ文字,およびモンゴル文字 [Gantuya eng / Public Domain / 出典] |
ウイグル文字は,1 文字の音価が必ずしも 1 つではないという欠陥があったが,それはそのままモンゴル文字にも引き継がれており,その意味ではモンゴル語の表記に最適とはいえない。そこで,モンゴル文字を改良したトド文字,チベット文字を利用したパスパ文字などが考案されたが,いずれも主流とはならなかった。現在のモンゴル国では 1946 年以降,キリル文字を改良した「現代モンゴル文字」を使用し,中国のモンゴル族は伝統的な文字を使い続けている。
このほかに,モンゴル族自らが,また,モンゴル族と接触した他の民族が,漢字,アラビア文字,チベット文字,満州文字,ハングル,ローマ字,ロシア文字などの文字で,さまざまな時代にさまざまな地域で記録したモンゴル語の資料が,今日に伝えられている。
モンゴル語族に属する言語としては,モンゴル国と中国の内蒙古自治区のモンゴル語,およびロシア連邦のブリヤート自治共和国に行われるブリヤート語が比較的よく知られている。それ以外にも下表に挙げる諸言語もモンゴル語族に属し,これらの言語はすべてひとつの起源にさかのぼる。[栗林: 1992]
言語名 | 主な居住地 | 話者数(概数) |
モンゴル語 | モンゴル国・中国内蒙古自治区等 | 400万~500万 |
ブリヤート語 | ブリヤート自治共和国 | 30万人 |
カルムイク語 | カルムイク共和国 | 14万人 |
ダグル(達斡爾)語 | 中国内蒙古自治区 | 8万人 |
ドゥンシャン(東郷)語 | 中国甘粛省 | 20数万人 |
モングォル(土族)語 | 中国青海省 | 10数万人 |
バオアン(保安)語 | 中国甘粛省・青海省 | 1万人 |
シラ・ユグル(東部裕固)語 | 中国甘粛省 | 3千人 |
モゴール(莫戈勒)語 | アフガニスタン | 数百人 |
Linguistic maps of the Mongolic languages [Maximilian Dörrbecker (Chumwa) / CC BY-SA 2.5 / 出典] ダウール語 ブリヤート語 モンゴル語 オルドスモンゴル語 オイラト語 カルムイク語 東部ユグル語 モングォル語・サンタ語 モゴール語 |
モンゴル(蒙古)文字 |
ウイグル式蒙古文字 |
パスパ文字* |
ガリック文字 |
トド文字 |
ソヨンボ文字* |
横書き方形文字 |
ワギンダラー文字 |
ラテン文字 |
キリル文字 |
モンゴル文字の入出力 |
参考文献・関連リンク |
注 |
モンゴル(蒙古)文字 英 Mongol bichig, Mongolian script
モンゴル文字は,ウイグル文字が,1 文字の音価が必ずしも 1 つではないという欠陥をそのまま引き継いだ不完全な表単音文字で,各字母は,語内のどこに位置するかに応じて字形を異にする。原則として 1 語は一続きで記し,分かち書きする。縦書きであるが, 1 語を一続きで表記するため,あたかも中央の線の柱があるかのような外観を呈する。行は,日本語などとは逆で,左から右へ進む。なお,文字の配置は「十二字頭」と称される伝統的な配列順序により,これは,インドの音韻学で採用されている配列を応用したものである。[樋口: 2001b]
母音字
子音字
補足説明
γ / g (г)
モンゴル文字例文
“Банкнаас хоёр жилийн өмнө хүүтэй зээлсэн гурван сая төгрөгөө цагаан сарын өмнөхөн арай гэж төлж дуусгалаа” гэж хүү ньхэлэхэд, аав нь : “Болж дээ, миний хүү. Өргүй бол баян Өвчингүй бол жаргал гэдэг чинь их үнэн үг шүү. Үнэнийг хэлэхэд, чамайг өр зээлтэй байхад миний сэтгэл тун тавгүй байсан шүү” хэмээн нэлээд баярласан байдалтай хэлэв. |
「銀行から二年前に利子つきで借りた 300 万トグルグを旧正月直前にやっと返済した」と息子が言うと、彼の父親は「よかったな、おまえ。〈借金がなければ金持ち、病気がなければ幸福〉というのは全くほんとうのことだぞ。実を言うと、おまえが借金があるとき、おれはとても不安だったぞ」とかなり喜んだようすで言った。 |
[塩谷茂樹, 中嶋善輝 (2011)『モンゴル語』大阪大学出版会] |
ウイグル式蒙古文字 英 Uyghur-Mongol script
中国の正史である『元史』などが伝えるところでは, 1203 年ウイグル族ナイマン部を攻略したチンギス・ハーンは,捕虜とした宰相タタトゥンガ(塔塔統阿)が国璽を携えているのを不審に思い,詰問して始めて印璽や文字の存在・用法を知り,乞うて蒙古人子弟に文字を教えさせたという。『長春真人西遊記』には, 1222 年に丘処機がチンギス・ハーンに長生の術を講じたが,それを阿里鮮なる書記がウイグル文字で記録したという記事がある。当初は,もっぱらウイグル人あるいはウイグル文字に通じた西域人が書記として登用されたが,阿里鮮もその一人だったのだろう。やがて,蒙古人自身この文字で書写するようになる。これが前古典期蒙古文字で,ウイグル文字と基本的には同じ字形であることから「ウイグル式モンゴル文字」とも呼ばれる。
[Poppe, Nicholas (1964) Grammar of written Mongolian. (Otto Harrassowitz] |
パスパ文字 ⇒ パスパ文字
パスパ文字は本来,フビライ汗の世界帝国の文字とされたが,フビライの治世の間と元代全般(1368 年まで)を通してもせいぜい散見して見られるにすぎない。これが記されている文書には,モンゴル・中国地域にみられる碑文資料,公的牌子や印章で,印刷されたものもある。他の地域では不連続的に使用されたパスパ文字ではあるが,チベット仏教を信仰するモンゴル人が多い地域を含む,チベット文化圏では装飾文字として,あるいは序列や宗教的階層を示す印章にも使用され続けた。朝鮮皇帝世宗が,漢字に対して,ハングル(諺文)を作る際に,パスパ文字に部分的に啓示を受けたとする説もある。しかし,世宗はパスパ文字の不具合であいまいともなる点を捨像し,多くの点で整合を行った。[Kuijip)
ガリック文字 英 Galik alphabet
外国語音を転写するための文字の意。とくに蒙古文字を,サンスクリット語(梵語)音,チベット語音等を正確に転写できるように改良した文字を指す。1587 年に,モンゴル人僧侶アヨーン・グーシ(Ayusi güsi)が考案したと伝えられている。アリガ(Ali γali)とも呼ばれる。
16 世紀後半から,チベット仏教がモンゴルに再導入され,梵語音やチベット語音の正確な表記が求められるようになるが,旧来の蒙古文字だけではこの要求に応じられなかった。17 世紀になって製作された「トド文字」は蒙古文字の体系を大々的に改良してこの要求に応える試みであり,一方,「ソヨンボ文字」は蒙古文字を廃止してまったく原理を異にするインド系文字を導入することで,この要求を満たそうとしたものである。これらに対して,「ガリック文字」は基本的には旧来の蒙古文字の体系内で,新たな字母を付け加えあるいは表記法に工夫を加えることで,この要求に応じようとしたものである。[樋口: 2001a]
母音文字
子音文字
二十一种救度佛母赞 [永瑢 / Public Domain / 出典] |
トド文字 英 Todo bichig(オイラート文字 Oirat alphabet, Oirat clear script)
オイラト族は,17 世紀の中頃までモンゴル文語を書き言葉として使用してきたが,1648 年,ホシュート部出身出身の高僧ザヤ・パンディタはモンゴル文語の表記上の曖昧さと,口語から乖離していた綴りを解消するために新しい文章語を考案した。彼は,モンゴル文字の一部の字形を変えたり,補助符合を加えたりして文字の種類を増やし,また口語を表記しやすい新しい綴りを採用した。この文字は「トド(明瞭な)文字」と呼ばれ,トド文字で綴る新しい書き言葉は以後オイラト族の間に広まり「オイラト文語」と呼ばれるようになった。オイラト文語は,現在でも中国新疆ウイグル自治区のオイラト族の間では使われている。
カルムイク共和国では 1924 年,トド文字に代わってキリル文字に基づく書き言葉が採用された。しかし,1920 年代にソ連邦の諸民族の間で高揚したラテン文字化運動に呼応して 1932 年にはラテン文字の正書法に移行し,さらにその運動が方向転換した 1937 年には再びキリル文字の正書法に戻るという二転三転の歴史を経ている。[栗林: 2000]
19世紀のオイラト文字写本 [Unknown / Public Domain / 出典] |
1980 年代初期から新疆でのモンゴル語文字改革は,「社会主義条件下でモンゴル民族の 1 民族 2 文字使用の現象を次第に終結させるべき」で,トド文字を廃止するという政治的理念によるものであった。この,文字改革における現実問題について,内モンゴルでは,通用しないホドム文字(モンゴル文字)の未来に対する懸念が大きい。具体的には,1)「言語的実態」の問題として,方言と文字表記の違いが大きいため,ホドム文字は読むための文字としてはよいが,トド文字に替わる文字とはならないという認識が強い,2)「社会的実情」の問題として,新疆では,ホドム文字よりもウイグルやカザフの文字を知っている方が実生活に有利である,3)「文化的距離」の問題として,新疆のモンゴル人はオイラト文化への愛着とホドム文字に対する違和感をもっている,が指摘されている。[フフバートル]
母音文字
子音文字
ソヨンボ文字 ⇒ ソヨンボ文字
サンスクリット語 svayambhu (「自在」)の転訛。チベット語の呼称 rang-byung snang-ba も同義。初代のクーロンの活仏オンドゥル・ゲゲン(Öndür gegen 1635~1723)が,インド系のランジャナ文字を母体として 1686 年に考案した文字である。16 世紀後半以降のチベット仏教の再導入に伴い,モンゴルでは仏典の正確な翻訳やサンスクリット語音,チベット語音の正確な再現が急務とされた。その要請に応えるため,モンゴル語だけでなく,サンスクリット語やチベット語も表記できるよう工夫されている。
モンゴル横書き方形文字 英 Mongolian horizontal square script
モンゴルの学者僧 Zanabazarは, Soyombo 文字とともに,パスパ文字に似た(ただし水平方向に記述する)方形文字を,チベット文字を基に創案した。
モンゴル横書き方形文字 [Xäwtää Dörböljin, or The Mongolian Horizontal Square Alphabet for LaTeX2e] |
ワギンダラー文字 英 Vaghintara script (ブリヤート文字)
[Kingfisher/ CC BY-SA 4.0 / 出典] |
ラテン文字からキリル文字
ソ連邦において 1920 年代後半から始まった諸民族の書き言葉をラテン文字化する運動は,1930 年代の前半に大々的な高まりを見せた後,1930 年代の後半に入ると一転してキリル文字に移行する方向へと方針転換され,1940 年の時点ではすでにキリル文字への移行を完了していた。ソ連邦内のモンゴル系の言語をみても,ブリヤートとカルムイクではいずれも 1931 年にラテン文字に移行した後,カルムイクでは 1938 年に,またブリヤートでも 1939 年にキリル文字に移行していた。
これに対して,モンゴルの党・政府は 1930 年 2 月にモンゴル文字からラテン文字への移行の方針を決めたあと,10 年を経た 1940 年 3 月にこの方針を再確認して本格的な移行の準備に入り,翌 1941 年 2 月 21 日にはラテン文字の字母と正書法の基本方針を最終的に決定した。しかし,その 1 ヶ月後の 3 月 25 日には,ラテン字化の計画を捨て,代わりにキリル文字に移行する決定が行われた。ただし,この決定はただちに実施されたわけではなく,1945 年 5 月 18 日に再度の実施決議が出され,翌年 1 月 1 日より学校教育・公務・出版物等で全面的にキリル文字が使用されることになった。[栗林: 2007]
ラテン文字 Latin alphabet
キリル文字 Cyrillic alphabet
モンゴル語字母
モンゴル文字の入出力
ユニコード
モンゴルと中国内モンゴルを中心とする研究者が,統一的な文字符合表の作成に着手し,1999 年 9 月に SC2/WG2 コペンハーゲン会合で最終的に承認され,翌年,ISO/IEC 10646 の 2000 年版に追加され,ユニコード第 3 版に収録された。この間の経緯は,确精扎布 (2000) に詳述されている。制定された符合表(下記)には,モンゴル文字 (U+1800 .. U+1842) のほかに,広義に蒙古系文字とよばれる,トド文字 (U+1843 .. U+185C),シベ(錫伯)文字 (U+185D .. U+1872),満州文字 (U+1873 .. U+1877),ガリック文字 (U+1880 .. U+1897),さらに,複数の文字系で使用する文字類 (U+1898 .. U+18A9) が含まれる。Microsoft Windows に含まれる Mongolian Baiti は,これら 5 種類の文字をカバーする。
モンゴル語入力例
Unicode フォントを用いる最近のエディターやワードプロセッサーでは,言語キーボードを切り替えることにより書字方向と対応するフォントを変更し,さらに,異なる書字方向の言語を混在した文章を作成することが可能である。Microsoft Word の場合,レイアウト文字列の方向から,縦書き(モンゴル語)を指定する。無い場合は,コントロールパネル→時計と地域→言語設定→言語の追加→リストからモンゴル語を選択する。スクリーンキーボード(スタート→Windows 簡単操作)を利用して入力する。
制御記号
記号 | コード | キーボード | 機能 |
<FVS1> | U+180B | : | MONGOLIAN FREE VARIATION SELECTOR ONE |
<FVS2> | U+180C | * | MONGOLIAN FREE VARIATION SELECTOR TWO |
<FVS3> | U+180D | 半角/全角 | MONGOLIAN FREE VARIATION SELECTOR THREE |
<MVS> | U+180E | = | MONGOLIAN VOWEL SEPARATOR |
<NNBSP> | U+202F | - | NARROW NO-BREAK SPACE |
注
- Kuijip, Leonard W. J. van der,家本太郎・内田紀彦訳 (2003)「チベット文字とその派生文字」Peter T.Daniels, William Bright [編], 矢島文夫 総監訳, 石井米雄 [ほか] 監訳『世界の文字大事典』朝倉書店.
- 栗林均 (1992)「モンゴル諸語」亀井孝 [ほか] 編著言『言語学大辞典 第4巻 (世界言語編 下-2 ま~ん)』三省堂.
- ― (2000)「草原の道」『言語』Vol. 29, No. 6.
- ― (2007)「モンゴル人民共和国における文字政策の転換点―ラテン文字からキリル文字へ」『東北アジア研究センター叢書 27』東北大学東北アジア研究センター.
- 樋口康一 (2001a)「トド文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂
- ― (2001b)「蒙古文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂
- フフバートル (2012)「新疆におけるオイラド・モンゴル人の文字改革問題」砂野幸稔 編『多言語主義再考』三元社.
- 三上喜貴 (2002)『文字符号の歴史 アジア編』共立出版, p. 266.
参考文献・関連リンク
- ことばのサロン モンゴルの言語と文字の歴史
- 古代文字資料館 Ancient Writing Library
- Mongolian writing systems
- Mongol Scripts
- Mongolian Calligraphy
- モンゴル語フォントについて
- Clear script Oirat clear script, Todo bicig
- Omniglot Kalmyk (Хальмг келн) Kalmyk-Oirat Clear Script (Todo Bichig)
- 中西コレクション(国立民族学博物館)モンゴル文字
- モンゴル文字
- Omniglot Mongolian (монгол)
- ScriptSource Mongolian
- Zanabazar square script
- Vagindra script