漢字 ― 楷書体 英 Kanji - Regular script
楷書は,漢代の標準的な書体であった隷書に代わって,南北朝から隋・唐にかけて標準となった書体である。行書体が確立した時代に発生したため,これらの中では最後に生まれたとされている。唐時代までは「楷書」とは呼ばれず,「隷書」「真書」「正書」と呼ばれていた。書体の名称として「楷書」という用語が普及した時期は宋時代以降である。 現時点で最古の楷書は,1984 年に発掘された呉の朱然墓から発見された名刺である。しかし,それ以後も,隷書と楷書の両方の特徴をもつ中間的な書体が並行して行なわれていた。これを今隷と呼ぶ。北涼時代の写経に例が多いので北涼体と呼ぶこともある。また,中国では楷隷,晋楷とも呼ぶ。当時は,楷書の字形が標準化されていず,異なった字形の文字が多かった。この多数の異体字を六朝別字と呼び,専門の字典として『碑別字』がある。[Wikipedia: 楷書体]
牛橛造像記
龍門石窟は中国河南省洛陽市の南方 13 キロ,伊河の両岸にある石窟寺院。「龍門石窟」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。龍門石窟で最も早く造営されたのは「古陽洞」で,そこには北魏の長楽王の妻尉遅うつち氏が夭折した息子牛橛への供養として作った弥勒菩薩像を始めとする多くの仏像が安置されている。この供養によって息子の永遠の眠りと,一族が安楽に暮らせるようにと願をかけた「牛橛造像記」が初期の楷書で刻まれている。[阿辻]
参 照 牛橛造像記 - 文化遺産オンライン 牛橛造像記王羲之『黄庭経』
中国,東晋(317~420)時代の道教経典。黄庭(脾臓のシンボル)を中心とする道教的身体構造論に基づき,五臓神をはじめとする人体に宿る八百万の神々の観想と呼吸法の実践とによって,不老長生を得て神仙となれることを説く。王羲之の書跡で著名な《黄庭(外景)経》と東晋期の上清派道教徒がそれを基に改作し,より宗教的価値が高いという主張をこめて命名した《黄庭内景経》との 2 種類のテキストがある。[コトバンク 世界大百科事典 第2版「黄庭経」]
[晉王羲之黄庭經・寳晉齊本 国立国会図書館インターネット公開 昭和法帖大系 巻1 <コマ番号 23-25>] |
欧陽詢 九成宮醴泉銘
唐の太宗は貞観 6 年夏,隋の仁寿宮を修理して造営した九成宮(離宮)に避暑した。そのとき,たまたま一隅に醴泉(あま味のある泉。甘泉)が湧き出たので,これは唐の帝室が徳をもって治めていることに応ずる一大祥瑞であるとし,この顚末を記して碑に刻することとなり,勅命により魏徴が撰文し,四大家(欧陽詢・顔真卿・柳公権・趙孟頫)の一人欧陽詢が書いた。全 24 行で,各行 50 字あり,篆額に「九成宮醴泉銘」とある。欧陽詢の書として最も有名であり,書体は隋代に行われた方形から脱して特色ある長方形を成し,王羲之の楷書を脱して隷法を交え,清和秀潤な風格がある。陝西省麟游県に現存する。[Wikipedia: 欧陽詢]
唐歐陽詢書 九成宮醴泉銘 [国立国会図書館インターネット公開(保護期間満了)/ 出典 <コマ番号 3>] |
趙孟頫 楷書玄妙観重脩三門記巻
宋代には天慶観と称されていた蘇州城内の道観が,元の至元 25 年(1288)に玄妙観と改称されて,額を賜ったため,三清殿と三門が重修された。そこで,牟巘が撰文し,趙孟頫(1254~1322)が揮毫した碑文の原稿である。三門記以外に,「玄妙観重脩三清殿記」も現存している。本巻は 49 歳から 56 歳の間の書写と考えられるもので,趙孟頫の典雅な篆額を巻頭に見ることができる。[東京国立博物館 楷書玄妙観重脩三門記巻]
楷書玄妙観重脩三門記巻 [趙孟頫 / Public Domain / 出典] |
顔真卿 多宝塔碑
『多宝塔碑』(たほうとうひ)の建碑は天宝 11 年(752 年)。題額は徐浩の隷書,碑文は真卿 44 歳のときの楷書,撰文は岑勛による。題額の隷書は「大唐多宝塔感応碑」の 8 文字,碑文の初行には「大唐西京千福寺多宝仏塔感応碑文」とある。この碑は長安の千福寺に勅命により建立したもので,僧・楚金(698年~759 年)が千福寺に多宝塔を建立した由来を記した碑である。現在は西安碑林に移されている。現存する真卿の作品の中では最も若いときのもので,後年のいわゆる「顔法」と称される風骨は未だ十分に発揮されていないが,碑字にあまり損傷がなく,旧拓もあるため楷書の手本として広く用いられている。[Wikipedia: 顔真卿]
顔真卿多宝塔碑 [国立国会図書館インターネット公開(保護期間満了)/ 出典 <コマ番号 3>] |
柳公権 金剛経
『金剛般若波羅蜜経』,『金剛般若経』とも)は,長慶 4 年(824 年)の最も早期の楷書作品である。唐代の拓本一本が存在するのみで,これは 1908 年に発見された敦煌文献の一つである。石碑から名筆を拓本に取ることは唐代に広く普及したが,現存する最古の拓本は,『温泉銘』・『化度寺碑』とこの『金剛般若波羅蜜経』の唐拓 3 種であり,極めて貴重である。款記に「長慶四年四月六日,柳公権が僧・録準公のために書き,邵建和(しょうけんわ)が刻した。」とあることから公権の書と考えられている。毎行 11 字。
唐柳公权《金刚经》拓本 [柳公权/ Public Domain / 出典] |
注
- 永田 (2001)「漢字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.