ピケーヌムの文字 英 alphabet in Picenum
古代イタリア中東部,アドリア海に面する地域にピ(ー)ケーヌムがあり,首都はアースクルム・ピケーヌム(Asculum Picenum)で,北部に港市アンコーナ(Ancona)があった。このピケーヌムを中心とし,北はウンブリア(Umbria)のアドリア海沿岸から,南はピケーヌムの南辺を越え,アーテルヌス川(Aternus)の南方に及ぶ地域で,一連の碑文が発見されている。しかし,中部のマチェラータ(Macerata)あたりを境とし,それ以北と以南とでは,碑文の文字も年代も相違があり,通常,北と南に分けて取り扱う。 [1]
北ピケーヌム文字
ノヴィラーラの石柱碑文
アドリア海沿岸の海港ペーザロ(Pesaro)南方のノヴィラーラ(Novilara)の近くの古代共同墓地で,1889 年発見された。長方形の砂岩塊。縦 64 cm,幅は上部 45 cm,底部 41 cm,厚さ 8.89 cm。表面に各行右から左へ,12 行にわたり文字が刻まれている。ノヴィラーラ碑文の文字は,概して,(前 400 年頃の)エトルリア文字と一致するが,それ以外に若干の文字が加わる。 [2]
ノヴィラーラの石柱碑文 [French Wikipedia / Public Domain / 出典] |
ノヴィラーラの石碑
ノヴィラーラの石碑 [Accurimbono / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
南ピケーノ文字
南ピケーノ語の文字は,エトルリア文字に由来しているが,ギリシア文字の影響を受けているものもある。文字は概して 22 文字(とその別形,他に不明の 1 字あり)あるが,それらすべての音価は長い間確認されなかった。 [3]
サンプルテキスト
碑文の文字の書き方は,並列行の場合はすべて第 1 行は「左から右へ(dextrorsum)」,第2行は「右から左(sinistrorsum)」と,いわゆる「犂耕式」,すなわち,方向が交互に逆になるのみならず,文字の姿勢も倒置になる,いわゆる serpentine「蛇状犂耕式」である。これは,これらの文字の古さを示し,前 6 世紀ないし前 5 世紀初期のものと推定される。
ロロ・ピチェーノの石柱碑文
1943 年,マチェラータのロロ・ピチェーノ(Loro Piceno)出土。砂岩柱,136 × 30/15 × 22 cm。碑文は石碑の底部左より始まり,第 1 行は左から右へ,以下,犂耕式。《訳》「アパエウスがここに眠る(すなわち)ポ(ン)ポーニウス氏族の長がこの墓のなかに臥している」 [4]
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注
- ^ 蛭沼寿雄 (2001)「南ピケーノ文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 973
- ^ -- 「北ピケーヌムの文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 294.
- ^ - 「南ピケーノ文字」p. 974
- ^ -- (1993)「南ピケーノ語」亀井孝 [ほか]編著『言語学大辞典 第 5 巻 (補遺・言語名索引編)』三省堂, p.350.