カルキス文字 英 Chalcidian alphabet

カルキスは,ギリシア本土のボイオティアに接する大島エウボイアの海峡を挟んで本土と真向かいにある都市で,ここは前 8 世紀以来,ギリシアの植民と通商活動で指導的な役割を演じたエウボイア人の本拠地であった。この植民活動によって各地にもたらされたギリシア・アルファベットを「カルキス文字」と称する。→ 松村
カルキス人はギリシアの西方,とくにイタリアの南・中部に植民市を建設したが,これらの諸都市,とりわけクマエ(Cumae)を通じて,当時イタリアで最も先進的なエトルリア人がこの文字を借用し,こうして成立したエトルリア文字が,その後の古代イタリア諸文字の基盤となった。したがって,カルキス文字は,イタリア半島に移植されたギリシア文字としてとりわけ重要な意味をもっている。
文字体系
このカルキス文字は,4 つの補足文字(ギリシア文字の最後に配置された Φ,Χ,Ψ および Ω の 4 文字)の配列とその音価が西ギリシア語,すなわち,Χ = /ks/,Ψ = /kh/ (そして H = /h/)であるというほかに,セム文字の sāmek に該当する文字を実際には使わなかったが文字表の中に保存し,表中で赤字で示したように字形の違いや別形を備える,といった点で,ギリシア文字の中でも特殊な性格をもっていた。カルキス文字のこのような特徴は,エトルリア文字を通じてラテン文字の中に持ち込まれ,のちのラテン文字とギリシア文字の違いがここに胚胎した。
カルキス文字表

カルキス文字テキスト
エウボイア(Euboea)は,アッティカと同じように,言語的にはギリシア語のイオニア方言に属し,また,ギリシア語圏で最も早く文字を使用し始めた地域の 1 つであるが,その文字は,イオニア圏ではまったく例外的に,西ギリシア型のアルファベット(Western Greek alphabet)であった。
本拠地のカルキスには古い時期の文字資料はあまり残存していないが,隣接する本土のボイオティア(Boetia),テッサリア(Thessalia)などのアルファベットも,エウボイアから伝わったものと見られる。また,イタリアのクマエに近い,やはりカルキス人の植民市ピテクサ(Pithecussa,別名 Ischia)から発見された「ネストルの杯(Nestorian beaker)」と呼ばれる後期幾何学文様の酒杯(前 8 世紀後半と見られる)に記されたこの文字による刻文,アッティカの「ディピュロンの水差し(Dipylon jug)」は,ギリシア文字記録の最古の資料に属す。しかし,カルキス文字の姿を最も忠実に伝えているのは,最古期のエトルリア文字で,現存するいくつかの文字表,とくに有名は「マルシリアーナの文字表」から,それを窺うことができる。
サンプルテキスト
ネストルの杯
Pithekoussai (Ischia) 出土。前 725~700 年頃。→ Bonfante
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ディピュロンの水差し ca. 740 BCE → Dipylon Inscription
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関連リンク
注
- 松村一登(2001)「カルキス文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- Bonfane, Giuliano, Larissa Bonfante (1983) The Etruscan language: an introduction (Manchester University Press)