世界の文字
書写材料
白樺 (樹皮紙 1)
「白樺(シラカバ,シラカンバ,英 white birch)」は,温帯から亜寒帯地方に多く見られるカバノキ科(Betulaceae)カバノキ属(Betula)の植物のひとつであり,学名を Betula platyphylla という。日本では北海道・東北・甲信越に多く見られる。一説によると,世界にはカバノキ属が 40 種,分類によっては 60 種あり,日本,朝鮮半島,中国,モンゴル,ネパール,アフガニスタン,ロシア,ヨーロッパ,北米などに広がっている。[1]
明るい場所を好み,生長が速いが,一代の寿命は 70 年程度と樹木の中では比較的短い。ブナなどの暗い場所を好む樹木にとって代わられて,通常は一代限りで消えていく。高さは 20〜30 m になる。幹は 30 cm〜1 m 程でまっすぐに伸びる。枝は多岐に別れて伸び卵形の樹幹を形成する。外皮は薄く,黄色みを帯びた白色で光沢があり,紙状に剥がれる。葉は秋には黄葉する[2]。春,芽吹く頃の白樺の幹に傷を付けると,大量の樹液が吹き出す。アイヌ民族はこの樹液を「タッニ・ワッカ」(シラカバの水)と呼び,水場がない場所で野営する際の,炊事の水に用いてきた[3]。また,フィンランドでは,国の自然を代表するシンボルとしてシラカンバがあげられており,事実上,国の木として扱われている[4]。
| シラカンバの林(松本市上高地)[663highlan / CC BY 2.5 / 出典] |
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| シラカバの樹皮 [Dhatier / Public Domain / 出典] |
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紙の大量生産の登場前に,一般的に書写材料として白樺樹皮が用いられていた。書写用には,白樺の皮を剥がしその内側を用いたり,剥がした皮の外皮を除去して薄いシート状にし,乾燥させてから使用する場合がある。紙状の樹皮は,折本や巻物(巻子本)にも用いられた。
白樺に記された言語と文字
日本語
「白樺日誌」:舞鶴引揚記念館に収蔵される,瀬野修氏(舞鶴生,明治 41~平成 7)による「白樺日誌」は,3 年間のシベリア抑留生活とその間における故郷日本を想う気持ちを,和歌・俳句約 200 首にしたためた「舞鶴への生還 1945-1956 シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」である。白樺の皮をノート(15 × 10 cm)代わりにし,缶詰の空き缶を切ってペン先を作り,煤をインク代わりにして書き留めたものである。[5]
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白樺日誌(舞鶴引揚記念館)[TOTIZYOUKA / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
サンスクリット語
『バクシャーリー写本』シャーラダー文字:今のパキスタンのバクシャーリー(Bakhshali)付近で発見された文献。西暦 4 世紀から 5 世紀頃に書かれたとされる。古代インドのヴェーダ時代と古典期をつなぐ数学の貴重な文献として知られている。[6]
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バクシャーリー写本 [National Geographic / Public Domain / 出典] |
『ダルマパダ』ガンダーラ語,カローシュティー文字:新疆ウイグル自治区の西南,タリム盆地の南辺のユルン・カーシュ河とカラ・カーシュ河に挟まれたオアシスのコータン(于闐)で発見された,白樺の樹皮に書写され,書写年代も 1~2 世紀と見られている『法華経』の断片である( 45.0 × 23.5 cm)。時代的にも最古層の仏典として世界的に貴重な写本であり,書物や写本の歴史を考える上でも重要な写本となっている。大英博物館所蔵。[7]
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ダルマパダ(断片) [Public Domain / 出典] |
『バウアー写本』後期ブラーフミー文字グプタ文字:イギリスのインド学者ヘルンレ(August Friedrich Rudolf Hoernle, 1841~1918)は,英国陸軍諜報官であるハミルトン・バウアー中尉が 1890 年の初めにクチャ(庫車/亀茲)近辺で入手した樺皮写本を調査し,1891 年にそれが 5 世紀のサンスクリット文書であることを明らかにした。[8]
| バウアー写本 1部:医学治療法 [Ms Sarah Welch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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| バウアー写本 5部: 占星術 [Ms Sarah Welch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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「カシミールの経典」シャーラーダ文字:樹皮紙の上に書かれたヒンドゥー教シヴァ派の経典の一部。17 世紀頃。[9]
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シヴァ派の白樺樹皮経典 [Public Domain / 出典] |
『パーニニ文典』:パーニニは,紀元前 4 世紀頃のインドの文法学者である。ガンダーラ(現在のパキスタン)出身。パーニニはサンスクリット文法学者であり,ヴェーダの補助学(ヴェーダーンガ)のひとつとして生まれた文法学(ヴィヤーカラナ)の体系を確立した。パーニニはアシュターディヤーイー(『パーニニ文典』とも呼ぶ)として知られる文法体系の中でサンスクリットの形態論を 3,959 個の規則にまとめたことで名高い。[10]
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パーニニ文典 [Jbuchholz / CC BY 4.0 / 出典] |
スラヴ語中世ノヴゴロド方言 キリル文字
白樺文書(Новгородская берестяная грамота ,10~15 世紀,古代ロシア語,古ルーシ語)は,ロシアの諸古都市の考古学的発掘のときに発見された,白樺の樹皮に書かれた文書類である。最初に発見されたのは,1951 年ノヴゴロドであった。 白樺文書の年代は考古学的手法(年輪年代学)で定められる。この方法が示す白樺文書の年代の精度は 20 年ないし 40 年程度である。
白樺文書の 3 分の 2 以上は個人的な書簡であり,その大部分は,日常生活での実際的な問題を書いたものである。その内容は,出来事の報告,さまざまな依頼,主人からの命令であり,商売その他の金銭的な事柄,などが記されている。書簡の書き手・受けとり手の社会的身分は極めて様々であり,文通には女性の参加が目立っている。このことは,当時の識字率がかなり高かったことを物語っている。[11]
文書 1:1951 年 7 月 25 日に発見された最初の白樺文書で,長さ 38 cm,幅 13 cm という大型のものだが,5 箇所に大きな欠損部分があり全文は読み取れない。年代は 1409~1422 年と見做される,白樺文書は発見された順に番号が割り当てられ,これは文書番号1となった。内容はフォマという土地領主が村々から徴収する典型的な封建地代収入の記録である[12]。
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文書 1:所領地からの貢祖収入記録 [Public Domain / 出典] |
文書 109:《ジズノミルよりミクラへの書。お前はプスコフで女奴隷を買ったが,今,私はこの女奴隷の件で公妃に逮捕され,私に代わって親衛隊員が〔調査を〕委任された。〔女奴隷を売った〕かの男が〔他の〕女奴隷も所有しているかどうが,今すぐ手紙を送って確かめてくれ。…… 》キエフ時代の「ロシア法典」の規定が,そのまま 11 世紀のノヴゴロドで生きていたことを具体的に示す貴重な資料。
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文書 109 [CC BY 1.0 / 出典] |
文書 199-202:オンフィム少年の絵と文章:白樺文書の最も有名な書き手は 13 世紀前半の 6 歳ぐらいのオンフィム(Онфим)少年であり,アルファベットの練習をしている。文書 199 は,通常の白樺樹皮ではなく,家庭で使われていた樹皮製品の廃物を利用している。表側には文字の練習をしているが,裏側には勉強に飽きたのか一匹の獣が描かれている。獣の首のあたりに「おれは怪獣だ」との書き込み。右脇上方の四角の枠の中に「拝啓,オンフィムよりダニールへ」というノブゴロドで日常化している手紙の冒頭の決まり文句を記入している。文書 200 でも,騎乗の英雄の横に「オンフィム」と書かれている。[14]。
文書 292:キリル文字で綴られたカレリア語による 3 行の呪文があった。それは,13 世紀初期のものと考えられ,バルト・フィン諸語の現存するテキストとして最古のものとされる。およその意味は「神の剣(稲妻),汝の十の御名。かの剣は神のもの。神は裁きを下し給う」となる。典型的な雷よけの呪文。[15]
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文書 292:キリル文字で綴られたカレリア語による呪文 [Unknown / Public Domain / 出典] |
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文書 292:模写図 [Unknown author / Public Domain / 出典] |
文書 419:この白樺樹皮の絵本は端のところに縫い目の穴跡を残した 3 枚の二つ折り樹皮からなっている。最初の 4 ページは空白で,テキスト部分を保護するいわば表紙の役目をしている。後の 7 ページには書き込みがあり,最後のページもまた空白になっていて裏表紙の役をしている。書き込みのある最初のページの冒頭には,羊皮紙本の装飾カットを真似た,絡み合ったリボンのごとく単純な模様の飾りがついている。
このテキストの所有者は,8 週間に 1 回ずつ日曜日に唱えられる晩禱(晩の公祈祷)のなかの最も難しい下りを記したこの豆本(縦横 5 cm × 5 cm)を一種のカンニング・ペーパーとして使ったものであろう。[16]
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文書 419:カンニング・ペーパー [Public Domain / 出典] |
古アイルランド語オガム文字
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オガム文字アルファベット [Al-qamar / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
古代ケルト人は樹木のもつ魔術的な力に対する信仰の表れから,彼等が使用した古アイルランド語を表記するオガム文字(Ogham)一字一字に綴りがその文字で始まる樹木名を当てた。アルファベットの最初の文字の名称は「新しい始まり・浄化」といった意味を持つ白樺(Beith / Beth,英 birch tree)である。それは,冬至が過ぎ太陽の半年が始まる 12 月 24 日から 1 月 20 日の白樺の月にあたる。
オガム文字という名称そのものは,伝説上ルーン文字を作ったといわれるゲルマンの神オーディンにあたる神の名オグマ(ゴールの雄弁の神オグミオスと同系)からつけられたものである。ルーン文字は,北欧の海賊バイキングたちによって使われていた文字であり,その使用範囲は広く,今日のフランスからバルト海周辺諸国にいたるゲルマン人居住地域である。[17]
古ゲルマン語共通ルーン文字
ルーン文字の B は,白樺・ポプラを意味するゲルマン祖語(Berkanan),古英語(Beorc),古ノルド語(Bjarkan)の名称に因る。始まり・成長を見守る・母親的な役割,おせっかい・世話焼きなとが解釈の例とされる。
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ゲルマン共通ルーン文字 [Peehyoro Acala / Public Domain / 出典] |
クリー語クリー文字
メソジスト派宣教師であったエヴァンズ(1801~1846)は,カナダのマニトバにおいて,アルゴンキン語族に属するクリー語(西部の平原クリー)を表記するためにクリー文字を創案して,インディアンに教えた。これが成功し,またたくまにクリー・インディアンは焦がした木切れでシラカバの皮に伝言を残すことを覚え,エヴァンズは「シラカバにことばを喋らせた男」として知られるようになった。おそらく 1841 年頃のこととされている。エヴァンズは,煙突の煤と魚油で作ったインクを使い,シラカバの皮に印刷を始めた。[18]
注
関連サイト・文献
[最終更新 2022/01/11]