書写材料
アマテ(樹皮紙 2)
アマテ樹 [Public Domain / 出典] |
しかし,スペイン帝国征服(1521)後には一切の生産が禁じられ,ヨーロッパ式の紙に置き換わったと思われていたが,1900 年民族学者フレデリック・スターの調査行の際に,メキシコ北西部の辺鄙なオトミ族(Otomi)の集落において,マヤやアステカの遺跡から見つかっているような道具を使って,樹皮紙を作っている人々に出会った。マヤ,アステカの樹皮紙は,古代から受け継がれていた。山岳部でシャーマンにより「魔術的な」効果の紙としてアマテ紙の生産が行われていた[2]。アマテ樹皮紙は,日本の「壇紙」の風合い,温もりのある肌触りを持つものであった。
樹皮紙の起源
メソ・アメリカ地域でいつごろから樹皮紙製作が始まったか,その起源はどこだったか,という点については不明である。石碑や絵文書の研究から垣間見えてきたことは,マヤの先古典期後期(紀元前 400~紀元後 300 年頃)かそれ以前には樹皮紙生産が始まり,儀式やまじない,絵文書などに使われてきた可能性がある。
製法
イチジク科の樹木の皮はかなり大きく削ぐことができ,A2 サイズぐらいの大きさは普通に採れるという[3]。イチジクの樹皮を水に漬けて外皮をとり除き,熱湯で煮沸する。中心部が柔らかくなったところで引揚げ平滑な板の上においてビーターと呼ばれる小さなハンマーのような道具で打ち叩き延ばし,時間をかけて均一な薄いシート(紙・布状)に仕上げていく。
樹皮を叩き伸ばす [Thomas Tunsch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
焚書
1549 年にユカタンにやってきたディエゴ・デ・ランダは,フランシスコ派の修道士として,イヤマルに修道院を建てたが,1561 年にユカタンの管区長になると,早速過酷な宗教裁判を行った。特に翌年のマニ町で行われたそれは熾烈を極め,当時の記録によると 4,549 人の男女が拷問を受け,それがもとで死んだ者 157 人,そのほか罰金刑や鞭打刑を受けた者 6,330 人という有様であった。また,マニの教会前の大広場で,大破壊が行われ,偶像,大祭壇,小石造物が壊されたと記録に見える。ランダは,また,壊滅的とも言える量の絵文書を焼却したとの記録も残っている。[4]
絵文書
マニの焚書により現在,世界に残るマヤ時代の文書は 4 冊しかない。それらは『ドレスデン絵文書』,『パリ絵文書』,『マドリッド絵文書」および『グロリア絵文書』[5]と,それぞれ名づけられている。
『ドレスデン絵文書』
『ドレスデン絵文書』は後古典期が頂点に達した 1200~1250 年頃に書かれており,現存する 4 つの絵文書のなかで最古のものと考えられている。アコーディオンの蛇腹折りのように 78 面に折りたたまれた長さ 358 cm のこの文書は,ほぼ全面が文字で埋められ,豊かな色彩の絵で装飾ている。表紙は堅い板や獣皮ではさまれていた。文書はマヤ人の知識を理解する上で,きわめて重要な天文暦と星占いの暦を採録したもので,金星の食と周期を描いた絵文書の表は,高度な科学知識をうかがわせる。[6][7]
Dresden Codex B pp. 55–59,74 [Unknown Maya artist / Public Domain / 出典] |
『パリ絵文書』
『パリ絵文書』(別称『ペレシアヌス絵文書』)は,11 ページに折られた断片しか残っていない。これは,『ドレスデン絵文書』よりわずかに新しい年代に書かれたものとされる。文書は大部分が,11 カオゥン分の暦(カトゥンは長期暦の時の単位で,1 カトゥンは約 20 年)を記したもので,彩色した図で神々が描かれ,文字は予言や神聖な儀式を説明している。この絵文書にはコロンブス到来以降に書かれたラテン語の注釈がつけられている。[8][9]
Paris Codex pp. 2-7 [Unknown Maya artist / Public Domain / 出典] |
Paris Codex pp. 23-24 [Unknown Maya artist / Public Domain / 出典] |
『マドリード絵文書』
『マドリード絵文書』(別称『トロ=コルテシアノ絵文書』,竜舌蘭マゲイ [maguey] 繊維が使用されている)は,別の時期にスペインの 2 つの場所で発見された 2 つの断片からなる。最初に,この 2 つが同じ写本の断片であると気づいたのはレオン・ロニという研究者であった。2 つの断片の文書は,1300~1400 年に書かれた 56 ページの文書を構成している。この絵文書はほかの 3 点とは違って,天文や暦法を詳しく述べていない。日常活動に関する暦や予言を内容とし,初期の絵文書にくらべて科学知識のレベルはわずかに低い。[10][11]
Codex Tro-Cortesianus [Public Domain / 出典] |
『グロリア絵文書』
『グロリア絵文書』は,20 世紀半ばにメキシコのチアバス州の洞窟で発見された。現存するのは 10 ページの断片であり,最大の高さが 18 cm,各ページの平均幅は 12.5 cm である。内容は,金星の運行表である。『ドレスデン絵文書』は明けの明星としての側面を強調しているの対して,『グロリア絵文書』は明けの明星として見える時期,太陽に対して地球の反対側に一直線に並ぶ外合で見えなくなる時期,宵の明星として見える時期,太陽と地球の間にあって一直線上に並ぶ内合で見えなくなる時期という計 584 日における 4 つの時期の金星を等しく扱っているのが特徴といえる。人物像などの図像は,マヤ文明の美術様式に西のメキシコ高原の様式が混合している。[12]
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『ハークネス・コレクション絵文書』
『ハークネス・コレクション絵文書』(Huexotzinco Codex)という文書は,スペイン人征服者ヘルナンド・コルテス(1485~1547)に関わる文書群の一冊で,スペイン征服直後のメキシコおよびペルーについての報告書として 1531 年に作成された。この書は,アメリカの慈善家 E・S・ハークネスによって米国議会図書館に寄付されたことからハークネスコレクションと呼ばれる。この冊子の中に 8 枚の樹皮紙を用いた絵文書が綴じられていた。サイズは 23.0 × 44.0 cm から 41.2 × 51.6 cm の大きさであった。また,繊維組成分析により,4 枚がアマテ繊維(ビーターの筋目跡模様あり),残りの 4 枚がマゲイ繊維(ビーターの筋目跡模様なし)から作られた樹皮紙とされた。[13] [14]
Huex codex 1a [Public Domain / 出典] |
儀式用樹皮チュニック
ラカンドン族が使用した樹皮製儀式用のチュニック(衣装)。メキシコ合衆国のカサナ Bolom 博物館蔵。
儀式用樹皮チュニック [AlejandroLinaresGarcia / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
注
- ^ 坂本勇 (2008)「樹皮紙 (Beaten Bark Paper) の埋もれた歴史」『百万塔 130』紙の博物館, p. 66.
- ^ アマテは現在も,メキシコの中央高原地帯プエプラ州サン・パプリード村に住む先住民オトミの女性と子供によって作られている。しかし,今や観光客とアーティストに大人気のアマテの需要を満たす原料となるイチジクも桑も絶滅の危機にある。オトミやほかの先住民は,山に棲むと信じられているモンテスマの霊を称える祝祭にアマテを使う。マーク・カーランスキー 著, 川副智子 訳 (2016)『紙の世界史 : 歴史に突き動かされた』徳間書店. pp. 227-228.
- ^ 片野孝志 (1996)「世界『紙』紀行 メキシコいちじくの樹皮を原料に--アマテ紙」『印刷雑誌 = Japan printer』79(4).
- ^ ランダ [著] ; 林屋永吉 訳 ; 増田義郎 (1982)『ユカタン事物記』(大航海時代叢書 第 2 期 13)岩波書店.
- ^ グロリア絵文書 2018 年,メキシコ国立人類学歴史研究所によって,従来の名称 Grolier Codex 又は Sáenz Code が Códice Maya de México (CMM) と改称された。本稿では旧称を用いる.
- ^ マリア・ロンゲーナ 著 ; 植田覺 監修 ; 月森左知 訳 (2002)『図説 マヤ文字事典』創元社, p. 20.
- ^ ドレスデン絵文書
- ^ マリア・ロンゲーナ p. 21.
- ^ パリ絵文書
- ^ マリア・ロンゲーナ p. 21.
- ^ マドリード絵文書
- ^ マリア・ロンゲーナ p. 22.
- ^ 坂本勇 (2009)「神と人をつなぐ樹皮紙 (Beaten Bark Paper) ダード・ハンターの残した空白」『百万塔 134』紙の博物館, p. 65.
- ^ Huexotzinco Codex
関連文献
- アマテ
- マヤ遺跡探訪
- Hagen, Victor Wolfgang von (1944) The Aztec and Maya papermakers. (12.63 MB)Fig tree p. 55, illustrations 141 ff. 古典的な樹皮紙に関する著作.
- 青山和夫 (2015)『マヤ文明を知る事典』東京堂出版.
- 坂本勇 (2013)「樹皮紙紀行 : 南の紙の道 (1) その後,どんな発見が?」『百万塔 145』紙の博物館.
- 横山玲子 (2007)「マヤの儀礼」『インカマヤアステカ展 = The world of Maya, Aztec and Inca : 失われた文明』NHK.
- フェルナンド・バエス著 ; 八重樫克彦, 八重樫由貴子訳 (2019)『書物の破壊の世界史 : シュメールの粘土板からデジタル時代まで』紀伊國屋書店(第 6 章「メキシコで焼かれた写本」<)