世界の文字
書写材料
貝葉
ヤシの葉に書かれた写本(Palm leaf manuscript)は,日本では貝多羅(または貝多羅葉,略して貝葉)写本と呼ばれる。ヤシの葉は,パピルス,パーチメント,紙などと並ぶ重要な書写材料であり,古代インドに端を発し,東南アジア,南アジアの広い地域で利用された。ヤシの葉の用い方は一様ではなく,国や地域,民族,言語圏・文化圏などの違いにより,その用法,また,書写方法,書籍・書帙としての仕立て方などに相違が見られる。
原材料は,地域や植生によって様々な材料が用いられるが,主に南インド,バリ島などで広く用いられるオウギヤシ(学名 :Borassus flabellifer,パルミラヤシ,おそらくアフリカ原産)と,スリランカ,タイ,ビルマ,ラオスなどで用いられるコウリバヤシ(学名: Corypha umbraculifera,タリポットヤシ,おそらく南インド原産)が使われた。なお,シュロ椰子の葉に書かれたものは,南インドの気候で「ラーマの矢(Rāma bāṇa)」と呼ばれる昆虫などによって損なわれやすいといわれる。[1]
| オウギヤシ [Public Domain / 出典] |
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| コウリバヤシ [Franz Xaver / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
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貝多羅葉の名称は,サンスクリット語で「木の葉」の意味を持つパットラ (pattra) と,さらに主に用いられたパルミラヤシである「ターラ(tāḷa,多羅樹)の葉」を漢訳したものを起源とする。ヤシの葉に書かれた貝葉文書も,単に貝葉と呼ばれる。タイではヤシの葉,また,その貝葉本をバイ・ラーン (ใบลาน Bai-larn),インドネシアではロンタール (lontar) と呼ばれる。ブギス語で hurupuq lontaraq,マカッサル語で ukiriq lontaraq と呼ばれる文字は,いずれも「貝葉(lontaraq)」の意味である。現存する最古の貝多羅は,5 世紀頃のものといわれるが,それ以前から使われていたと考えられている。貝葉の用途は仏典写本に限らず,天文学,数学,医学,文学,歴史など広範囲に用いられ,インド・オリッサ州の博物館は 25 項目に分類し,27,000 余りの写本を収蔵している。[2]
製法
貝葉の基本的な制作過程はつぎのようになる。ただし,地域,時代,ヤシの種類によって製法に違いがある。1: 最初にヤシの幼葉(発芽から成長 4~5 週間後の雄株)を切り出し,葉中央の主脈(リブ)を取り除く。そうしてできた細長い葉を,次いで乾燥させる。2: この過程で,水・ミルク・米のとぎ汁等の中で煮沸あるいは蒸す,濡れた砂・湿った干し草中に埋めるなどの方法を加えることが多い。3; その後,乾燥したヤシの葉を長方形(短冊状)に切断し,プレスする。4: 続いて表面を滑らかで光沢がでるよう石や砂,貝などで磨き,最後に布で拭く。[3]
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ラオス北部ルアンパバーン郡の古都で見習い僧による貝葉の製作過程を記録したものの一部。製作に適した葉を選択している場面 [PLMP, National Library of Laos / Public Domain / 出典] |
書写方法
ヤシの葉に書写する方法は,主に北・中部インドにおけるペン・筆を道具にインクで書写する方法と,西南・東インド・東南アジアで用いられたスタイラス(Stylus,鉄製などの尖筆)で線刻する方法に 2 大別できる。線刻では,葉の表面に煤(インク)を塗布し,その後葉面を拭くと,刻まれた文字の部分に煤が残り,文字が浮き上がる。ペン書き法では直線も曲線も書き易いが,貝葉の表面を尖筆で刻む方法では,直線は繊維に即すると壊しやすく交差する場合は刻みづらい。そこで,インド南部では丸みを帯びた字形のオリヤー文字,タミル文字,シンハラ文字,ビルマ文字などが貝葉に刻まれた。
貝葉の形態
ポーティ(pothi)様式
ポーティ(pothi)様式ヤシの葉写本の一般的形態は,短冊状のシートを重ね,その上下に木(または竹)の板「夾板」をあて,ヤシの葉と夾板の両方の中央に孔を1 つあるいは 2 つ,時には 3 つ開け,夾板とシートの孔に紐に通す。それによりシートの秩序,写本の形態を維持する。この形態はインドではポーティ(pothi)様式と呼ばれる。日本では貝葉装あるいは梵挟装と言う。[4]
ポーティ形態の場合,ヤシの葉の両面に書写するのが普通である。ヤシの葉を重ねた一番上が第 1 葉で,その表から裏へと書き進み,次葉の表おもて面へと移る。ある葉の裏と次葉の表が絵と文などで対をなす写本も見られる。書誌的には写本一束ねを「束(bundle)」,一束を「葉(leaves またはfolios)」数で示す。葉の表おもて面の端にページ付けに該当する序数が記される場合もある。[4]
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装飾夾板(内側 シンハラ文字)初転法輪 [CC BY 4.0 / 出典] |
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古スンダ文字で記されたロンタール(インドネシア国立図書館所蔵) [Aditia.Gunawan / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
様々な貝葉の形態
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巻き取り式貝葉(スラウエェシ島) [Public Domain / 出典] |
貝葉の形態はポーティ様式が一般的だが,そのほか,リボンのように巻く様式もある。「巻き取り式貝葉」は,木枠に組み込まれたロール(幅 1.5 cm,55 枚のヤシの葉をつなぎ全長 41.6 m)を巻き取りながら読む,独特な形式のものである。
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Kammavācā「羯磨文集」または「羯磨本」19 世紀ビルマ,サンディエゴ公立図書館蔵 [Kaldari / Public Domain / 出典] |
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バッティカロア博物館(スリランカ)所蔵貝葉 [Anton Croos / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
貝葉に記された言語と文字
サンスクリット語貝葉
『八千頌般若経』ランジャナ文字:大乗仏教の般若経典の 1 つ。文字は金インキで書かれている。ネパール(1511年)[5]
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八千頌般若経 [Ms Sarah Welch /CC BY-SA 4.0 / 出典] |
『デーヴィー・マーハートミャ』初期ブジンモーラ文字:プラーナ文献である聖典『マールカンデーヤ・プラーナ』の一部であり,紀元 400 年-500 年頃にサンスクリット語で記された書物である。[6]
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デーヴィー・マーハートミャ:現存する最古の複製 [Anonymous / Public Domain / 出典] |
『ヴァジュラーヴァリー』ネワール文字:インド後期密教を代表する学僧アバヤーカラグプタ(Abhayākaragupta)による大部のマンダラ儀軌である。当時の密教儀礼体系を知るための,もっとも基本的な文献のひとつ。[7]
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ヴァジュラーヴァリー マンダラ儀軌 [Ms Sarah Welch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
「五護陀羅尼の成就法」ランジャナ文字:インド密教の成就法儀軌。「抜苦与楽」「四梵住」「五識」「三毒」「蘊界処」等といった仏教的な概念を説く。[8]
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五護陀羅尼の成就法 [Ms Sarah Welch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
「梵文法華経」初期南トルキスタン・ブラーフミー文字[9]
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梵文法華経 [Unknown / Public Domain / 出典] |
『サーマ・ヴェーダ』グランタ文字:バラモン教の聖典であるヴェーダの一つ。祭式において旋律にのせて歌われる讃歌(sāman)を収録したもの。 歌詠を司るウドガートリ祭官(udgātṛ)によって護持されてきた。[10]
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サーマ・ヴェーダ [Ms Sarah Welch / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
『バーガヴァタ・プラーナ』ベンガル文字:「古き物語」を意味する言葉の略称で呼称される一群のヒンドゥー聖典の総称であるプラーナと呼ばれる聖典は多数存在するが,その中でも特に重視される以下の18書は,大プラーナ (mahāpurāṇa) と総称されている。[11]
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バーガヴァタ・プラーナ [Public Domain / 出典] |
『梵本心経および尊勝陀羅尼』悉曇文字:タ-ラ樹の葉を乾燥させ,両端を切り,横に押界を施し,第 1 葉から第 2 葉の第 1 行にかけて「般若心経」を,続いて「仏頂尊勝陀羅尼」を梵字で記した貝葉経である。(貝多羅葉墨書/紙本墨書 心経:4.9 cm × 28.0 cm,陀羅尼:4.9 cm × 27.9cm/10.0 cm × 28.3cm)(後グプタ時代 7~8 世紀)
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| 梵本心経并尊勝陀羅尼(貝葉) [C7/8 brushwork / Public Domain / 出典] |
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| 梵本心経および尊勝陀羅尼(法隆寺貝葉心経) [C7/8 brushwork / Public Domain / 出典] |
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パーリ語貝葉ほか
『大義釈』パーリ語ビルマ文字:このパーリ仏典『マハー・ニッデーサ』は,3種類のビルマ文字で記されている。上から,方形ビルマ文字,円形ビルマ文字,マージーズィ体。[14]
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マハー・ニッデーサ Burmese-Pali: MS 93 [CC MY 4.0 / 出典] |
「ドラウパディー」オリヤ語: ドラウパディーと呼ばれる古代オリヤ叙事詩『マハーバーラタ』の写本。Gyana Mandira library, Koraput.所蔵
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ドラウパディー [Prateek Pattanaik / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
『ナガラクレタガマ』古ジャワ語:マジャパヒト王国時代(1293 年から 1478 年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国)に,ムプ・プラパンカが古ジャワ語(カウィ語)で記した叙事詩(カカウィン)。[15]
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ナガラクレタガマ [Unknown author / Public Domain / 出典] |
「タミル語文献」:Butticaloa Museum バッティカロア博物館(スリランカ東海岸)所蔵
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タミル語文献:バッティカロア博物館所蔵 [Anton Croos / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
注
関連文献
- 貝葉 | Palm-leaf manuscript | Lontar
- Manuscript writing material palm-leaves
- Sureshkumar Muthukumaran Speaking of Palm-leaf and Paper (31.62 MB)
- 中西コレクションデータベース 国立民族学博物館
- 京都国立博物館 編 (2009)『シルクロード文字を辿って = On the trail of texts along the Silk Road : ロシア探検隊収集の文物 : 特別展覧会』京都国立博物館.
- 小西正捷 (1982)「インドにおける紙本以前の文書素材」『中央大学アジア史研究 = Chuo journal of Asian history』(6) p1~18 (羊皮紙はインドではほとんど用いられることがなかった。それは,獣皮を不浄とする考えによるものであり,ましてその表面に,聖なる文字や語を記して宗教文献とすることはできなかった。)
- 三保 サト子, 三保 忠夫 (1999)「インドネシア・バリ島における Palm Leaf Manuscripts について」『島根女子短期大学紀要』通号 37 (4.72 MB)
- 安江明夫 (2011)「ヤシの葉から紙へ―ネパール写本研究ノート」『学習院大学文学部研究年報 58』(1.52 MB)
[最終更新 2022/01/10]