書写材料
パピルス 希: πάπυρος,羅/英: papyrus
パピルス(古代ギリシア語 πάπῡρος,ラテン語/英語: papyrus)は,「紙」を意味する英語の ‘paper’ やフランス語の ‘papier’ などの語源となる。ただし,パピルスは,日本工業規格で定義する「(紙とは)植物繊維その他の繊維を膠着させて製造したもの」ではないため,狭義の紙とは分類しない。
ギリシア語には,フェニキアにおけるエジプトからのパピルスの輸入にとって重要都市ビブロスの名前に由来すると言われている βύβλος(biblos,ビブロス)と biblíon(βιβλίον)に由来する単語があり,biblosは,参考文献,Bibliophile,Bible として英語で使用される。エジプト語では,パピルスは wadj(w3ḏ),tjufy(ṯwfy),またはdjet(ḏt)と呼ばれる。[1]
カミガヤツリ [Arpingstone / Public Domain / 出典] |
その事態に対応したペルガモンの皮紙(パーチメント)の工夫から,皮紙の西欧諸国における利用が高まり,これが逆にパピルスの衰退を導くことになったという。ちなみに,巻物 1 巻の値段は,古典古代を通じて労働者の 1 日あるいは 2 日分の給料に相当した。パピルスのおもな使用者階級の人々にとって,この値段はちょっとした贅沢品程度のものであったという[3]。
製法
収穫したパピルスの茎の表皮をむいている男 [Hugh R. Hopgood / Public Domain / [出典]] |
パピルス紙の大きさはマチマチだが,平均的な大きさは縦(高さ)42 cm,横は時代によって異なるが 42 cm ~ 38 cm,あるいは 20cm ~ 16 cm ほどで,文書など短い内容のものには単葉で用いられたが,巻子本では各シートとシートを横に約 1 cm の幅のつなぎ目を重ねて,槌で叩いてはりつかせる(普通 20 枚まで),長さ 6 m ほどの巻物が作られた。[4] 書写は繊維が横に走る表(reclo)に書き,例えば 12cm ~15 cm 幅の欄をなして書かれる。裏面(verso)は通常はつかわれないが,時には裏面に及ぶこともある。[5]。
ほとんどの時代を通じて筆記に用いられたのは,炭から作られた黒と,赤鉄鉱を用いた赤の顔料のインクであった。すりつぶした顔料は凝固剤で固め,書記が持つパレットに納められた。赤は,句や他の部分を強調したり,あるいは,宗教書では魔物の名前を記すために用いられた。
巻子本
書写生の坐像 [Copyrighted free use/出典] |
右から左へヒエラティックで書かれている巻物では,つなぎ目が筆の流れの妨げにならないように,右のシートが左のシートの上にくるように繋いている。一方,ギリシア語のパピルスでは,その書く方向(左から右)に従って左のシートを右のシートの上に繋いで記されていた。 なお,テキストは右から左に読むが,繋ぎ目は左側のパピルスアが上になっている巻物もある。[6]
パリンプセスト
パリンプセストとは,不要と見なされた文書に書かれていた文字を消し,別の内容を上書きした古文書。多くのパリンプセストは羊皮紙写本にみられるが,パピルスの例もある。
『ウェストカー・パピルス』と呼ばれる第 15 王朝から第 17 王朝の間に筆記された文献。整然と書かれた文章の間に,古いテキストの赤い痕跡が残っていることから,パリンプセストであるかのように見える。未知の古代エジプト人の作者は明らかに古いテキストを一掃しようとしたが,部分的に失敗した。綺麗で書道的な文献は,作者が高度な教育を受けた専門家であったとことを示している。[7][8]
ウェストカー・パピルス(部分) [Keith Schen-gili-Roberts / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
パピルスに記された文字
ヒエログリフ
エジプトのヒエログリフは精巧な絵文字で,彫刻や彩色をほどこしたりすることができる。ヒエログリフは右から左にも,また,左から右に書くこともできる。そのうえ,縦書きも横書きも可能であった。中王国時代には,簡略化された筆記体ヒエログリフが現れた。筆記体ヒエログリフは,絵文字としての特質を残し,つづけ字にはされず,ヒエログリフのようにていねいに細部まできちんと書かれることもあった(次項「アニの死者の書」)。[9]
「アニの死者の書」紀元前 1300 年頃:有名な裁判の場面の左半分で,上方に陪審の神々が座り,左方からアニと妻ススが入廷する。中央ではインプ(アヌビス)が死者の心臓と羽毛(真理を表わす)を秤にかけている。その右方にはジェフティ(トト)がその結果を文字に記している。さらにその右にはアーマーンという怪物が控えている。物語は左から右へ進行する。[10]
アニの死者の書:死者の心臓と真理を表わす羽毛を秤にかけている [British Museum; original artist unknown / Public Domain / 出典] |
『エーベルス・パピルス』紀元前 1500 年頃:ヒエログリフで書かれ,古代エジプト時代の医学知識を伝える最も古い文書のひとつである。[11]
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ヒエラティック
ヒエラティックはほとんど例外なく右から左へと書かれた。初期のヒエラティックの文章はほとんどは縦書きであるが,中王国時代後期になると横書きが一般的となり,新王国時代の初めには縦書きはめずらしくなった。[12]
教訓文学
教訓文学(セバイトもしくはセバーイェト)は,古代エジプト文学の最も特徴的なジャンルであり,ローマ時代のキリスト教の普及によって古代エジプト文化が終わりをつげるまで,エジプト文学の中心的位置を保ちつづけてきた。[13]
宰相プタハヘテプの教訓』前 2400 年頃:ほぼ完全な形で残されている最古の教訓文学である。650 行近い教訓文学の最長のテキストの復元がほぼ可能であり,最古の一つで,しかも最も典型的な教訓文学の作品となっている。[14][15]
宰相プタハヘテプの教訓 [Ver información del autor / Public Domain / 出典] |
『アメンヘムハト 1 世の教訓』紀元前 1900 年頃:すでに死亡したファラオ(アメンエムハト 1 世)がすでに即位したわが子センウセルト 1 世に語るものである。自分の生涯を誇り,子孫に対しこれを手本とするよう呼びかける[16]。それぞれの「節」は赤で番号が付けられている。[17]
アメンヘムハト 1 世の教訓 [Ancient Egyptian Writer / Public Domain / 出典] |
物語・記録
『シヌヘの物語』紀元前 1800 年頃:エジプト第 12 王朝の始祖であるファラオの死をきっかけとした出来事を描いた物語である。古代エジプト文学を代表する作品であり,『シヌヘの物語』の成立した中王国時代がエジプト文学の古典時代と呼ばれている通り,古典中の古典の位置を占めるものである。[18][19] 右 3 分の 2 は右からの横書き,残りの部分は縦書きになっている。
シヌヘの物語 [George Möller Hieratische Paläographie, Band 1(東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション Digital Resources for Egyptian Studies)コマ番号 112 を改変] [20] |
『二人兄弟の物語』紀元前 1185 年頃:長大でありながら,最初から最後の行まで,完全に残されているほとんど唯一の古代エジプト文学作品の例である。しかも当時の口語である新エジプト語で書かれた文章は単純明快であり,解釈の違いはほとんどないため,中エジプト語の研究をさらに進め,新エジプト語研究への足ががりとなった。また,美しい神官書体(ヒエラティック)もこの書体を学ぶ者が最初に取り組むべき最良の実例となっている。[21][22]
二人兄弟の物語 [Public Domain / 出典] |
『アポット・パビルス』紀元前 1100 年頃:写本の旧所有者の名前にちなんで呼ばれる。墓泥棒に対する裁判記録(7 ページ)と墓泥棒の名前のリスト(2 ページ)が記されている。[23]
アポット・パビルス [Captmondo / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
数学書
『リンド数学パピルス』紀元前 1650 年頃:書記養成学校で用いられていた教科書のようなもので,ピラミッドの角度を求める問題,三角形や長方形,台形などの土地の面積を求める問題,円の面積を求める問題など 87 問の例題が書かれている。(295.5 × 32 cm) [24]
リンド数学パピルス [Paul James Cowie / Public Domain / 出典] |
ギリシア文字
『デルヴェニ・パピルス』:マケドニアのデルヴェニで 1962 年に発見された古代ギリシアの古文書。ヨーロッパ最古の残存する文書であり,このパピルス自体の埋葬期は約紀元前 340 年とされる。[25]
デルヴェニ・パピルス [Public Domain / 出典] |
『死海文書 7Q5』西暦前 50 年 〜西暦 50年 :死海文書の多くは羊皮紙であるが,この第7洞窟から発見された 7Q5 をはじめ一部パピルスに書かれた文書も残っている。[26]
死海文書 7 [7Q5Public Domain / 出典] |
『パピルス 𝔓37』3 〜 4 世紀;ギリシア語新約聖書の初期のパピルス文書マタイによる福音書。表側:マタイ 26:19-37,裏側:マタイ 26:38-52[27]
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『パピルス 𝔓72』3 世紀~4 世紀:1 ペテロ 5:12–終わりと2 ペテロ 1:1–5 パピルスボドマー VIII の見開きページ [28]
パピルスボドマー VIII [Mediatus / Public Domain / 出典] |
『ユークリッド原論』紀元 100 年頃:エジプト中部のオクシュリュンコスで発見された『ユークリッド原論』のパピルスの写本断片。[29]
ユークリッド原論 第 2 巻の命題 5 に添えられたもの [Euckud / Public Domain / 出典] |
初期コプト文字
上エジプトの都市アクミーム (Akhmīm) 周辺の方言で紀元 4 世紀から 5 世紀にかけて最も栄え,その後,消滅したアクミーム方言は,コプト語の方言の中で最も古い音韻体系を保持している。また,書記体系も初期のコプト文字の表音体系に極めて近い,古い体系を保持している。[30]
ユダの福音書の写本の最初のページ [WolfgangRieger / Public Domain / 出典] |
ヘブライ文字
『1QIsab』紀元前 100 年以前:クムラン第一洞窟から見つかった死海文書イザヤ書の第二の写本〈Isa 57:17 - 59:9〉[31]
𝟙QIsab [Daniel.baranek / Public Domain / 出典] |
『マソラ本文』 2 世紀:ユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書のテキストをいう。ヘブライ語のマソラ (מסורה) とは伝統の伝達のことを示す語である。1902 年に W.L.ナッシュがエジプトで発見したため「ナッシュ・パピルス」と呼ばれている。十戒などが記述されている。[32]
ナッシュ・パピルス [Public Domain / 出典] |
注
- ^ Papyrus
- ^ 箕輪成男 (2002)『パピルスが伝えた文明 : ギリシア・ローマの本屋たち』出版ニュース社 p. 36.
- ^ リチャード・パーキンソン, スティーヴン・クワーク 著, 近藤二郎 訳 (1999)『パピルス : 偉大なる発明,その製造から使用法まで』(大英博物館双書. 古代エジプトを知る ; 2)學藝書林 p. 29.
- ^ 死者の書 (古代エジプト) 世界最長全長 37 m の死者の書として知られる。
- ^ アルキビアデスI
- ^ リチャード・パーキンソン p. 60.
- ^ ウェストカー・パピルス
- ^ Westcar Papyrus
- ^ リチャード・パーキンソン p. 34.
- ^ 死者の書 (古代エジプト)
- ^ エーベルス・パピルス
- ^ リチャード・パーキンソン p. 38.
- ^ セバイト
- ^ 杉勇, 屋形禎亮 訳「宰相プタハヘテプの教訓」『エジプト神話集成』ちくま学芸文庫 p. 625.
- ^ Enseignement de Ptahhotep
- ^ 杉勇, 屋形禎亮 訳 p. 640.
- ^ リチャード・パーキンソン p. 65.
- ^ 杉勇, 屋形禎亮 訳 p. 574.
- ^ シヌヘの物語
- ^ Möller, G.(1965)Hieratische Paläographie : die aegyptische Buchschrift in ihrer Entwicklung von der fünften Dynastie bis zur römischen Kaiserzeit. (O. Zeller) Digital Resources for Egyptian Studies. Hieratische Paläographie. Band 1. 東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション
「ヒエラティック古書体学」データベース
メラー『ヒエラティック古書体学』の初版は 1909 年と古く,文字番号はエジプト学で使用される Gardiner のヒエログリフ番号とは異なるが,このデータベースを使うとヒエログリフ番号や音価から文字を検索して,比較することができる。最大の利点は,ページや巻を跨いで文字を比較することが出来る点にある。 - ^ 杉勇, 屋形禎亮 訳 p. 615.
- ^ Tale of Two Brothers
- ^ Abbott Papyrus
- ^ リンド数学パピルス
- ^ デルヴェニ
- ^ 7Q5
- ^ Papyrus 37
- ^ Papyrus 72
- ^ ユークリッド原論
- ^ ユダの福音書
- ^ 1QIsab
- ^ マソラ本文
関連文献
- パピルス
- 羊皮紙工房 パピルス紙の作り方
- 矢島文夫 (1986)『死者の書 : 古代エジプトの遺産パピルス カラー版』社会思想社(パピルスの作り方の説明書とともにパピルス製作キットが附録として付く)
- 大沢忍 (1977)「パピルスの秘密」『百万塔 (43)』紙の博物館, p. 6-6, 63-63.
- 大沢忍 (1978)『パピルスの秘密 復元の研究』みすず書房(当時のエジプト人にとってはパピルスは書写材料であるだけでなく,実は衣食住の生活全般に広く関係を持つ植物の一つであった。(具体例:食用,造船,家庭用具,履物,縄網,雑器雑具,燃料,儀式用,落し紙。p. 37,41-45)
- 八木健治 (2016)「製作者から見る[パピルスと羊皮紙]」豊田浩志『モノとヒトの新史料学ー古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版, pp. 45-63.
- Naveh, Joseph (1970) The development of the aramaic script. (Israel Academy of Sciences and Humanities)