地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

書写材料


文字を書き記す材料としての石は,金属が登場するまでは最も堅牢で入手しやすいものであった。古代エジプト文明では,アスワン近辺から良質の花崗岩が産出し,戦争や王の即位などの公的な出来事が生じると,その次第を記した石碑を主要な神殿や事件現場に立てる習わしがあった。地中海世界では,公共の場所に立てられた告知板,境界表示板,墓碑,奉納石碑などの例が見られる。

西アジアでは,自然の岩壁を磨いて文字や画像を刻んだ墓(磨崖墓)の風習があり,碑文を伴う例も多い。中国では,文字や図像を刻んだ方形の立石を「碑,円形のものを「碣(ケツ)と呼び,「碑碣」と総称する。[1]

ペトログリフ・ペトログラフ

岩に刻まれた彫刻のことをペトログリフ(Petroglyph,日本語では線刻画・線刻文字と呼ばれたり,岩面彫刻,岩石線画,岩面陰刻と訳される,岩に描かれた絵画のこととペトログラフ(Petrograph)と呼ぶ。[2]

淡島神社(北九州市のペトログリフ [豊瀬源一 / CC BY-SA 2.0 / 出典]
画像は合成図。去勢牛で耕す農民,弓を持った射手,犬を連れた男など,典型的なスカンジナビアのペトログラフ [Olof Ekström / CC BY-SA 3.0 / 出典]
小樽市の手宮洞窟のペトログラフ。 [渡瀬荘三郎(正三郎) / Public Domain / 出典]

多言語併記石碑

居庸關過街塔内壁の碑文(中国)

居庸関は,万里の長城・八達嶺南東にある関所。華北平野と蒙古高原を繋ぐ街道筋にある。1343 年,過街塔(旅行者の安全を祈願する塔)が建てられ,その雲台(仏像や祭具を載せる台)に仏像が載っていただけだったが,のちに関所となった。碑文は,過街塔内壁西側のダラニ経典で,ランツァ文字で書かれたサンスクリット語のダラニ(仏教で用いられる一種の呪文)が,チベット文字パスパ文字ウイグル文字西夏文字漢字で「音写」されている。[3]

居庸關過街塔内壁の碑文 [SMartneddy / CC BY-SA 2.5 / 出典]

ロゼッタ・ストーン(エジプト)

現存する部分は,縦 114 cm,横 75 cm,厚さ約 28 cm の玄武岩からなる。上部その他の欠損部分を補って原型が推測されている。上部のヒエログリフで書かれた文章が最も欠落が激しく,最後の 14 行のみが読み取れる。中段のデモティックの箇所は最も良い状態で保たれており,全 32 行のうち右辺にある最初の 14 行がわずかに欠けている。下段に記されたギリシア語の文章は 54 行あり,最初の 27 行は全文が残っているが,右隅が斜めに割れて断片的になっている。[4]

推測される原型 [British Museum / CC BY-SA 3.0 / 出典]
リチャード・ポーソンの提言をもとに欠損部分を再現したギリシア語の文章(1803年) [Hugh R. Hopgood / Public Domain / 出典]

ミャゼディィ碑文(ビルマ)

碑文が刻まれた四面体の石柱には同一内容が,パーリ語モン語ビルマ語は総称的に「古モン文字(Old Mon script)」ないしは「古ビルマ・パーリ文字(burmese Pali script」で,ピュー語(Pyu)はピュー文字で書かれていることから「ビルマのロゼッタ石」と呼ばれたことがある。[5]

ビルマ語面 [Public Domain / 出典]
モン語面 [Public Domain / 出典]
パーリ語面 [Public Domain / 出典]
ピュー語面 [Public Domain / 出典]

カラテベ碑文(トルコ)

トルコ東南部に位置した 8 世紀のヒッタイト王国後期の古代城塞都市のカラテペ遺跡には,フェニキア語象形文字ルウィ語の二言語で記されたカラテペ碑文がある。碑文は初期フェニキア語で書かれ,それから象形文字ルウィ語に翻訳された。[6]

カラテペ碑文のフェニキア語面 [Klaus-Peter Simon / CC BY-SA 3.0 / 出典]

ベヒストゥン碑文(イラン)

ベヒストゥン碑文は,アケメネス朝の王ダレイオス1 世が,自らの即位の経緯とその正当性を主張する文書とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑。同じ内容の長文のテキストが,エラム語古代ペルシア語アッカド語という 3 つの異なる言語で書かれている。[7]

ベヒストゥンの磨崖に刻まれた碑文 [Hara1603 / Public Domain / 出典]

石碑に記された文字

石鼓《石鼓文》

石鼓文(せっこぶん)とは,唐初期に鳳翔府天興県三疇原(現在の陝西省宝鶏市鳳翔県)で出土した 10 基の花崗岩の石碑,またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので,出土した当時から珍重され,現在は北京故宮博物院に展示されている。その一部が、岩波書店刊行の『漱石全集』の装丁に用いられた。[8]

「吾車鼓」の拓本冒頭 [Public Domain / 出典]
「而師」 [Mlogic / CC BY-SA 3.0 / 出典]

北大王墓誌《契丹大字》

北大王墓誌は,現在の中国内蒙古自治区赤峰市で発見された,契丹国(遼朝)時代の墓誌(墓碑)である。契丹大字は漢字を参考・借用して作った表意文字であり,これまでに異体字を含めて1600~1700字程度が知られているが,そのうち,読み方が推定されているのは 188 字しかない。[9]

契丹大字(北大王墓誌) [Wolfan at zh.wikipedia / Public Domain / 出典]

プールナヴァルマン王の足石文《初期パッラヴァ文字》

西部ジャワのボゴール付近で発見されたダルマ国王プールナヴァルマン王の足石文。5 世紀後半と推定される。[10]

プールナヴァルマン王の足石文 [Wibowo Djatmiko / CC BY-SA 3.0 / 出典]

アショーカ王碑文《ブラーフミー文字》

アショーカ王碑文は,紀元前 3 世紀にアショーカ王が石柱や岩などに刻ませた詔勅(法勅)である。現在のインド・ネパール・パキスタン・アフガニスタンに残る。この詔勅は,インドに現存する文字資料のうちほぼ最古のものであるとみられている。[11]

アショーカ王碑文(インド西部グジャラート州ギルナール) [Public Domain / 出典]

バンタラットモン碑文《モン=ビルマ文字》

ラオスのバンタラットで発見されたモン=ビルマ文字碑文。[12]

バンタラット・モン碑文(ラオス)[Htawmonzel / CC BY-SA 4.0 / 出典]

ハンムラビ法典《アッカド語楔形文字》

紀元前 1792 年から 1750 年にかけバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され,楔形文字で記されている。材質は玄武岩で,高さ 2.25 m,周囲は上部が 1.65 m,下部が 1.9 m。発見当時は大きく 3 つに破損していた。 [13]

前面(ルーブル美術館) [CC BY 3.0 / 出典]
背面(ルーブル美術館) [CC BY 3.0 / 出典]
テキストの抜粋(法典部分) [Public Domain / 出典]

Yehawmilk 碑文《フェニキア文字》

今日のレバノンの首都ベイルートから 39 km の地中海沿岸に位置する,古代フェニキアの都市ビブロスから出土した Yehawmilk 王の碑文。フェニキアの歴史の再構築における重要な文書の一つとされる。(紀元前 450 年頃,石灰岩,高さ 1.12 m) [14]

Yehawmilk 碑文 [Zunkir / CC BY-SA 4.0 / 出典]

ゴルテュンの法典《ギリシア語ドーリア方言》

法典は,南クレタの都市国家ゴルテュンの公共広場アゴラのわきにある壁の一面に刻まれた,全部で 600 行からなり,商業や契約にかんする法などが記されている。言語は,クレタその他の南の島々で使われたドーリア方言である。 [15]

ゴルテュンの法典 [Unknown author / Public Domain / 出典]

コパン神殿の階段《マヤ文字》

ユネスコ世界遺産(ホンジュラス,文化遺産)に登録された,コパンのマヤ遺跡にある「神殿 26」 の階段に刻まれたマヤ神聖文字。62 段の階段に 2,000 個あまりのマヤ文字が刻まれている。[16]

コパン神殿にあるマヤ文字が刻まれた階段 [HJPD / CC BY 3.0 / 出典]

関連文献

[最終更新 2020/12/10]