世界の文字
書写材料
羊皮紙
書写材料として動物の皮を使用した最も古い記録は,古代エジプト第四王朝時代(紀元前 2500 年頃)に遡る。ただし,それは,皮の構成物質であるコラーゲンをタンニン等と化学的に結合させるなめし(鞣し,レザー)であって,今日の物理的な加工工程による羊皮紙とは基本的に製法が異なるものである。[1] 同じくエジプトで生産されたパピルスの後に,西洋で利用が拡大した書写材料である。羊皮紙として加工・利用するようになったのは,ペルガモン王国であったという。英語では parchment と呼ぶが,これは王国の名に由来する。英語のもう一方の呼称 vellum はフランス語の「子牛」から来ている。
紙の普及以前にパピルスと同時に使われていたが,パピルスの生産には地域的制約があり,その上アラブが主生産地エジプトを占領したため,パピルスより高価な羊皮紙に頼らざるを得なかった。8 世紀までのギリシア語は大文字体(アンシャール)で書かれていおり,碑文などには最適だったが,文字が大きくスペースをとるという難点があった。そこで,スピードとスペースを節約するためにも小文字体が開発された。9,10 世紀には大小の両方の書体が用いられ,11 世紀以降はもっぱら小文字が用いられるようになった。[2]
パピルスは,貴重な筆写の材料として,エジプトが重要な国家の財源として,当時の地中海諸国への輸出を管理し,専売制をとっており,通貨の役割も果たしていた。パピルスの需要が高まり,後にはアレキサンドリア図書館とアナトリアのペルガモン図書館との発展競争から,プトレマイオス王のパピルス禁輸の断行という事件さえ起こった。それに対応したペルガモンの皮紙(パーチメント)の工夫から,皮紙の西欧諸国における利用が高まり,これが逆にパピルスの衰退を導くことになったという。[3]
羊皮紙の衰退
グテンベルクは,四十二行聖書を紙とともに羊皮紙(仔牛皮)にも印刷した。しかし,羊皮紙は紙と比べインクを吸収せずに乾燥が遅い。印刷自体も羊皮紙に安定して行うことは難しく,ほとんどの場合,羊皮紙に印刷されるのは部数の少ない限定版のみであった。古代から中世まで中心的な素材である羊皮紙は,このような出版需要の高まりと技術発展により,メインステージから退くことになった。[4]
製法
中世の羊皮紙職人 (percamenarius) はギルドを作り,製法の秘密を厳重に守っていたので,当時の製法はあまり伝わってはいない[5]。現在の一般的な製法は,まず,原皮を脱毛するために消石灰を溶かした液に漬ける ー 台に載せナイフで毛を押し出すようにして脱毛する ー 皮を木枠に張って伸ばす ー 風通しの良い日陰で乾燥させる ー 最後の仕上げに軽石で磨き,炭酸カルシウムの粉で不透明処理をする,という工程を経て羊皮紙が作成される 。[6]
| 羊皮紙製作所 [Fondo Antiguo de la Biblioteca de la Universidad de Sevilla / CC BY 2.0 / 出典] |
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| 羊皮紙職人 16 世紀ドイツの木版画 [Anonymous / Public Domain / 出典] |
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羊皮紙の動物の違いによる特徴をみると,まず,羊は中世ヨーロッパの一般的な写本や中世・近世の公文書に最も多く使用されている。羊皮の色は白色~黄色っぽいクリーム色で沈んだ色味が一般的である。特にスペインの写本は羊が多い。[7]
仔牛皮(Vellum ヴェラム)は最も繊維が細く緊密で,色はほぼムラのない均一な白色~乳白色である。毛根の位置が羊や山羊に比べて皮の表面近くにあるため,大部分は除去されて毛穴がほとんど目立たない。そのため,文字を削って消しても修正跡が目立たず,王侯貴族に贈る豪華写本にふさわしい素材となる。仔牛はドイツやオランダ,イギリス,アイルランドなどヨーロッパ北部の写本に多い。[8]
山羊は,一般的に寒色系の白色である。山羊は表裏の差が比較的大きく,毛側はプラスチック状で毛穴が目立つのが特徴である。イタリアやビザンティンの写本,死海写本など,ヨーロッパ南部や中東地域に多く見られる。[8]
羊皮紙に記された言語と文字
ヘブライ語
死海写本:約 2000 年前の古文書であり,1947 年以降死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にあるクムラン洞窟などで発見された 972 の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。
第 1 洞窟(1947 年発見)からは,イザヤ書(Isaiah Scroll,1AIsaa)[*] など 7 つの写本,そのほかに巻物を保管していた陶器の壷などが発見された。第 11 洞窟(1956 年発見)からは,11Q5(詩篇 The Great Psalms Scroll)[⁑] など 21 点のテキストが発見された。その中でも特にThe Temple Scroll 11Q19(神殿の巻物)は死海文書の中でも最長で 814 cm ある。
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イザヤ書 1Qisaa:クムラン洞窟からほぼ完全な状態で発見された。 長さ約 734 cm,高さ 25.3~27 cm で,54 列のテキストからなる[*]。 (紀元前 2 世紀) [Ardon Bar Hama / Public Domain / 出典] |
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詩篇 11Q5:濃い黄色の獣皮(厚さ1 mm 弱)5 枚が縫い合わされた巻子装(425.3 cm)である。(紀元 30~50 年)[⁑]。 [Photograph: the Israel Antiquities Authority 199 / Public Domain / 出典] |
トーラー写本およびトーラー・ケース:ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で毎週朗読される。ユダヤ人社会は,東ヨーロッパに離散したアシュケナージ系とスペインや西アジアなどアラブ圏を中心に広がったスファラディー系の二つに大分される。トーラー・ケースにもそれぞれの特徴が表れている。[9][10]
| スファラディー系:打ち出し細工が施され,銀メッキされた真鍮製のケースに入れられる。その上にトルコ石やルビーなどが配される。[NYC Guru / Public Doamin / 出典] |
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| アシュケナジー系:豪華に刺繍された布製のケース(マントル)に入れられ,銀製の王冠や胸当てが添えられる。[HOWI / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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ギリシア語
ヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳したとされる七十人訳聖書(lat. Septuaginta)の最古の写本は,断片的なパピルスに書かれた写本以外には,四大ギリシア語写本と呼ばれる,バチカン写本[*],シナイ写本[⁑],アレクサンドリア写本,エフライム写本のほぼ完全な写本が残っている。
| バチカン写本:4 世紀に作られた旧約聖書・新約聖書のギリシア語写本で,アンシャル体を使って書かれており,759 葉からなる冊子本(コーデックス)。[*] [Unknown / Public Domain / 出典] |
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| シナイ写本 Matthew 6:4-32:1844 年にシナイ山の聖カタリナ修道院で発見された。旧約聖書の一部と,新約聖書のほとんどを含む。[⁑](330~360 年) [Unknown / Public Domain / 出典] |
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クルドフ余白詩篇写本 Chludov Psalte / Хлудовская псалтырь:中期ビザンティン(9~13 世紀)の作例が残る余白詩篇写本は,テキスト・コラムを綴じ側に寄せて予め設けた余白に,新旧約聖書や聖人伝等に基づいた挿絵を描く。本文は旧約聖書の「詩篇」であり,末尾に頌歌が収録される。本文の内容を字義通りに絵画化するのみでなく,本文に絵画による註釈をつけ,各挿絵がそれぞれの章句に対応しながら挿絵のみでも意味を形作る箇所も見られる。[11] [12]
| イコノクラスムの場面 [Anon-ymous / Public Domain / 出典] |
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| 右頁に逆 L 字型,左ページに L 字型の余白を設け,その部分に挿絵を配する。 [Anonymous / Public Domain / 出典] |
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ゴート語
銀写本 Codex Argenteus:341 年にゴートの司教に叙階された
ウルフィラ(Wulfila 311~383)は,この時からギリシア語の七十人訳聖書を元にゴート語翻訳に着手し,約 40 年をかけ完成したのがウルフィラ聖書である。訳出にあたっては,ゴート語を記すための
文字を創案した。
520 年頃[13],東ゴートのテオドリクス大王は自身のために,王位を象徴する朱色に染めた羊皮紙[14]に金・銀泥文字で記したウルフィラ聖書の新約聖書前半の 4 福音書のみの特製写本を作らせた。これがラテン語で Codex Argenteus 銀文字聖書である。[15]
ページの下部に見えるアーチは,共観表(あるいは対観表)といい,マタイの福音書で書かれているものが,他の福音書ではどこに書かれているかといった,四福音書の共通する箇所を参照するためのコンコーダンスである。
ラテン語
「島」の装飾写本:7 世紀以降にアイルランドとイギリスの修道院の中心地で製作された写本を指す際には,「島の」(Insular)という用語が使われる。島の写本は,アンシャル字体もしくは半アンシャル字体(アイルランドにおけるインシュラー体は両者に密接に関連している)で書かれている。[16] 島の装飾写本は6世紀の頃にアイルランドで発明された「わかち書き」での表記が使用された。[17]
装飾写本の福音書の中で,ケルズの書 Codex Cenannensis [*],ダロウの書 Codex Durmachensis [⁑],リンディスファーンの福音書 irish Soiscéil Lindisfarne [⁂] は,三大ケルト装飾写本と称されアイルランドの国宝であり,世界で最も美しい本とも呼ばれる。
| ケルズの書:豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書。(縦 33 cm,横 24 cm)[*] [Abbey of Kells / Public Domain / 出典] |
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| ダロウの書:マルコによる福音書の冒頭。[⁑] [Dsmdgold / Public Domain / 出典] |
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| リンディスファーンの福音書:マタイによる福音書の序頁(27 判右頁)[⁂] [Eadfrith of Lindisfarne / Public Domain / 出典] |
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ブラヌス写本 [Anonymous / Public Domain / 出典] |
カルミナ・ブラーナ Carmina Burana:1803年,ドイツ南部,バイエルン選帝侯領にあるボイエルン修道院の図書室で,250 編におよぶ詩を筆写した羊皮紙の冊子本に書かれた詩歌集が発見された。
作品は 11~13 世紀に作られたもので,大半は中世ラテン語であるものの,まれに,中高ドイツ語,古フランス語,マカロニックなどのものも含まれている。 作者のほとんどは学識のある世俗聖職者やゴリアルド(ゴリアール,遍歴学生)だと考えられ,教訓から酒,自然と愛,宗教劇といった分野の題材を,硬軟織り交ぜて表現した詩歌集である。いくつかの詩には,ネウマと呼ばれる歌の抑揚を示す記号が付されている。[18]
グーテンベルク聖書 The Gutenberg Bible, The 42-line Bible, The Mazarin Bible, The B42:グーテンベルク聖書の印刷は,1455 年 2 月 23 日に開始された。初め羊皮紙に 45 部印刷されたといわれる。羊皮紙版のうち,現存するものは完全なものが 4 部と不完全なものが 8 部の合計 12 部のみである。[19]
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グーテンベルク聖書 アメリカ合衆国議会図書館収蔵 [Raul654 / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
ベリー公のいとも豪華なる時禱書 Les Très Riches Heures du Duc de Berry:ベリー公のいとも豪華なる時禱書は,中世フランス王国の王族ベリー公ジャン 1 世が作らせた国際ゴシックの最も豪華な装飾写本(羊皮紙 206 葉,1 ページのサイズ 29 × 21 cm)である。 [20]
| 聖アウグスティヌスの洗礼 [Public Domain / 出典] | |
| キリストの降誕 [Limbourg brothers / Public Domain / 出典] | |
| 黄道十二宮と解剖図 [Limbourg brothers / Public Domain / 出典] |
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古代スラヴ語
古代スラヴ語の資料としては,ラテン文字で書かれた 1 篇以外は,スラブ語のための 2 つの文字,グラゴル文字とキリル文字で書かれたものしかない。[21] なお,グラゴル文字の方がキリル文字より古く,キリルが作ったのはグラゴル文字というのが定説である。[22]
グラゴル文字:グラゴル文字で書かれた写本には,マリア写本(Марии́нское Ева́нгелие 四福音書,11 世紀)[*],シナイ詩篇(Сина́йская Псалты́рь 詩篇,11 世紀)[⁑],キエフ断片(Киевские глаголические листки 西方教会方式のミサ典礼書の断片,10 世紀)[⁂],クローツ文書(Сборник Клоца 説教集,11 世紀)などがある。
| マリア写本:アトス山のマリア修道院の聖ボゴロジッァ庵で発見された(1845 年)。古代スラヴ語による最古の四福音書である。[*] [Unknown / Public Domain / 出典] |
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| シナイ詩篇:シナイ山の聖カタリナ修道院で発見された(1850年)。古代スラヴ語唯一の旧約聖書カノンである。[⁑] [Anonymous / Public Domain / 出典] |
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| キエフ断片:西方教会方式のミサ典礼書の断片で,最古の写本とされる。言語的に最も古形を保持している。[⁂] [Unknown / Public Domain / 出典] |
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キリル文字:キリル文字で書かれた写本には,オストロミール福音書(ロシア語:Остро-мирово Евангелие)[*],サバの本(ブルガリア語:Савина книга 福音書の典礼用抜粋),エニナのアポストル(ブルガリア語:Енински апостол,使徒言行録の典礼用抜粋(10/11 世紀)[⁑]などがある。
| オストロミール福音書:現存するロシア教会スラヴ語による最古の写本。1056 ~ 57 年に,司祭グリゴーリが領主オストロミールのために筆写したもの。[*] [Public Domain / 出典] |
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| エニナのアポストル:ブルガリア中央部のエニーナ村で発見された。[⁑] [Unknown / Public Domain / 出典] |
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アラビア語
クルアーン写本はイスラーム教徒の情熱に支えられ,歴史的・地理的に多様な姿を見せてきた。偶像崇拝を否定するイスラームでは,クルアーン写本には一切,挿絵を入れない。文字と文様,そしてレイアウトに芸術的感性の限りを注ぎ込み,神の言葉を飾り立てながら再現することが試みられた。[23]
クルアーンは基本的に「クーフィー体」と呼ばれる字体で書かれた。この字体で獣皮に書かれた写本が,聖典としての原始的な姿であった。[24] クーフィー体より古いとされるのが「ヒジャージー体」である。この名称は,イスラームの聖地であるメッカとメディナを含む地域の呼び名に由来している。その起源は 7 世紀に遡る。[25] 西方イスラーム地域(北アフリカのマグリブおよびスペインのアンダルス)で特徴的な字体は 10 世紀頃生まれた「マグリビー体,西方クーフィー体とも」と呼ばれる書体である。[26]
| ヒジャージー体:初期のクルアーン(ヒジュラ〈西暦 622〉282 節から 286 節)。[Unknown / Public Domain / 出典] |
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| クーフィー体:アッパー朝を中心に,イスラーム教徒支配下の北アフリカやスペインにまでいたる。 図はブルーコーランと呼ばれる染色ベラムに金泥で書かれる。9/10 世紀のもの。 [Marie-Lan Nguyen / CC BY 2.5 / 出典] |
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マグリビー体:最大の特徴は,文字の下半分にお皿のようなはらいが顕著に見られることである。1300 年頃のもの。 [Unknown / Public Domain / 出典] |
シリア語
Syria という名称はギリシアのものであるから,シリア語では「シリア文字」といわず,書体によって 3 種に呼び分ける。最古の書体たる「エストランゲロ体 estrangelā」,のちにこれから変化した,西方シリア人(ヤコブ派キリスト教徒)に用いられた西方書体または「セルトー体 serṭā/ō」,および,東方のネストリウス派キリスト教徒の間で変容した東方書体または「ネストリウス体(nestūryānā/ō」の 3 種である。[27] ネストリウス派の典礼に使うシリア語訳聖書はペシタ訳聖書と呼ばれる標準聖書である。旧約聖書はヘブライ語から,新約聖書はギリシア語からの翻訳とされる。[28]
| エストランゲロ体の書物:9 世紀のもの。 [Public Domain / 出典] |
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| ペシタ訳:ネストリウス体。9 世紀のもの。 [J-History / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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アルメニア語
トロス・ロスリンの福音書:トロス・ロスリン(Թորոս Ռոսլին,神父,写本画家,1210~1270)によるアルメニア彩飾写本の傑作。上質の白いパーチメントに美しい色彩,そして洗練された金箔を使用している。[29]
| 共観表のページ (1256) [T'oros Roslin / Public Domain / 出典] |
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| 魔術師の帰還 (1262) [T'oros Roslin / Public Domain / 出典] |
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| Zeytun Gospel (St. Mark) [T'oros Roslin / Public Domain / 出典] |
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古ノルド語
古アイスランド語:王の写本 Codex Regius - Konungsbók:詩のエッダ(Sæmundar-Edda )が記録されているアイスランド語の写本である。写本は,45 枚の羊皮紙でできており,1270 年代に書かれたと考えられている。この写本に収録された詩の大部分が,唯一の情報源となっている。[30]
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王の写本:見開き [Unknown / Public Domain / 出典] |
古デンマーク語:ルニクス写本 Codex Runicus:1300 年頃に中世ルーン文字で書かれた 202 ページのコーデックスで,デンマークの土地スコーネ(スコーネランド)に関連する最古の保存された北欧の州法であるスコーネ法(Skånske Lov )が含まれている。 本写本は,羊皮紙に見られる数少ないルーン文字の 1 つである。[31]
| ルニクス写本 Leaf (f. 27r.) [Template:Asztalos Gyula / Public Domain / 出典] |
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| ルニクス写本 最終ページ (f. 100r) [Unknown author / Public Domain / 出典] |
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ドイツ語
| ザクセンシュピーゲル:王の選挙 [Public Domain / 出典] |
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ドイツ語の方言は,大きく分けて北部方言(低地ドイツ語)と中部・南部方言(高地ドイツ語)に分けられる。歴史上,1050~1350 年頃にかけての高地ドイツ語を「中高ドイツ語
」,1200~1650 年頃にかけての低地ドイツ語を「中低ドイツ語」と呼ぶ。
中低ドイツ語:ザクセンシュピーゲル Sachsenspiegel:ザクセンの騎士アイケ・フォン・レプゴウ(Eike von Repgow 1180 頃〜1233 以降)によって 1225 年まとめられた。本書はドイツ最古の法典であり,また,低地ドイツ語で書かれた最初の散文文書である。[32]
中高ドイツ語:マネッセ写本 Codex Manesse / Die Manessische Liederhandschrift / Die Große Heidelberger Liederhandschrif:中世盛期におけるドイツの代表的な 140 人の宮廷詩人(ミンネゼンガー)の詩歌(愛の歌)を収録した大型(355 × 250 mm)の豪華彩飾写本。チューリッヒの都市貴族マネッセ家の注文により,1280 年頃から 1330 年頃までおおよそ 50 年をかけて作成されたと考えられている。図は,詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walter von der Vogelweide)の像と詩節。[33]
| 詩人像(Fol. 124r)[Mas-ter of the Codex Manesse / Public Domain / 出典] |
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| 詩節(Fol. 127r)[Public Domain / 出典] |
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ゲエズ語
Gunda Gunde 福音書:16 世紀の前半に作成された,エチオピア正教会の伝統的な典礼言語であるゲエズ語で書かれた福音書。 11 枚のフルページのミニチュア,6 枚のカノンテーブル,5 枚の精巧に装飾されたハラグ(ornamented harags)を含む福音書。[34] [35]
| Gunda Gunde:福音書の見開きページ(ウォルターズ美術館) [Public Domain / 出典] |
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日本語
日本で作られた羊皮紙の文物として知られる中で最も古いものとしては,17 世紀の航海図が挙げられる。アジア各地と貿易を行うために,ポルトラーノ型海図を基に日本人か作成したものである。国産であることは,九州方面で作成されたとの記録があり,また,地名が漢字で書かれていることから自明である。羊皮紙自体が国産か否かはわからない。[36]
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角屋家貿易関係資料 アジア航海図 [C17 artist / Public Domain / 出典] |
| プラハ断片 IB7 行目と 8 行目の終わり,8 行目と 9 行目の始まりに,消去された古い文字の痕跡が残っている。[37] [Public Domain / 出典] コマ番号 73 |
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羊皮紙は非常に高価なものであったため,不要となった写本の文章を軽石などで削り,新たな文章を上書きすることが行われた。この再生本のことをパリンプセスト (palimpsest) と呼ぶ。語源はギリシア語で πάλιν (パリン=再び)+ ψάω(プサオー=削る
),つまり
,「削って再び使えるようにしたもの」となる。消された元の文章等は肉眼では判別しがたいが,紫外線やX線等を利用する特殊なスキャナを使って復元することができ,そこに貴重な古文書が隠れている場合がある。
プラハ断片
「グラゴル文字とキリル文字 ー どちらが古いか」また,聖キリルが創案したのはどちらの文字かというような問いが,スラヴ語学が成立して以来論争が続いていた。グラゴル文字が先行するという結論が出たのは 1958 年に開催された会議であり,その際,証拠の 1 つとしてあげられたのが,パリンプセストの存在であった。それは「グラゴル文字の上にグラゴル文字を書くか,グラゴル文字の上にキリル文字を書いたものが大部分で,逆のキリル文字を消してグラゴル文字を書いた例は稀である」[38]という事実であった。
プラハで発見された2葉のプラハ断片(Fragmenta Pragensia Fragmenta Pragensia)は,1葉がパリンプセストで,その下のテキストの文字もグラゴール文字である。文字の特徴は最古の大モラヴィア時代,チェコの時代であることを示している。[39] [40]
シナイパリンプセスト
| シナイパリンプセスト マタイ 1:1-17. (Folio 82b,) [Unknown / Public Domain / 出典] |
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シナイパリンプセスト(Sinaiticus palimpsest)は,4 世紀後半にさかのぼり,シナイ山の聖カトリーヌ修道院に保存されている 358 枚の写本で,シリア語の 4 つの福音書の翻訳が含まれている。言語; テキストは磨耗し,778 年頃に聖人と殉教者の伝記で上書きされた。このパリンプセストは,ペシタ訳よりも前のキュアトニアの福音書とともに,2 つの最も古い写本の 1 つであるシリア語版の聖書の最も古い例である。聖書の標準的なシリア語版
。[41]
- ^ 八木健治 (2016)「製作者から見る〔パピルスと羊皮紙〕:その製法と特徴」豊田浩志 編『モノとヒトの新史料学』勉誠出版 p. 51.
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- ^ プリニウス [著], 中野定雄 [ほか]訳『プリニウスの博物誌 2』雄山閣, 1986, 13 巻 21章:70 節.
… ウァロんの言うところだが,プトレマイオス王とエウイメネス王が図書館のことで敵対関係にあったとき,プトレマイオスがパピルスの輸出を抑えたときペルガモンで羊皮紙が発明された。そしてその後人類の不滅がそれにかかっている物質の使用が無分別にも普及していた。pp. 578-579.
- ^ 八木健治 (2021)『羊皮紙のすべて』青土社, pp. 70-71.
- ^ 「羊皮紙」製法
- ^ 八木 (2016) p. 52.
- ^ 八木 (2016) pp.54-55. ちなみに, 平均的に羊 1 頭から A4 サイズが約 6 枚取れる. 10 頭で A4 サイズ 60 枚, 半分に折って A5 サイズの本を作るとページ数(表裏)換算で 240 ページの本ができることになる.
- ^
a
b 八木 (2016) p.56.
- ^ 杉本智俊 (2012)「プラハ〔ウズベキスタン〕経由のヘブル語聖書トーラー写本及びトーラー・ケース一式」『MediaNet』No. 19, p. 59. (243 KB)
- ^ Sefer Torah
- ^ 辻絵理子 (2014)「ユダの銀貨と慈悲の施し:ビザンティン余白詩篇第 40 篇の図像選択と改変」『WASEDA RILAS JORNAL』No. 2 (2014 10) p. 99. (523 KB),辻 (2018)『ビザンティン余白詩篇写本挿絵研究』中央公論美術出版.
- ^ Chludov Psalter
- ^ 小塩節 (2008)『銀文字聖書の謎』新潮選書 放射性炭素年代測定 により, 本文の羊皮紙は 6 世紀, 少なくとも 550 年以後のものではないことが確定した. p. 139.
- ^ 本文の羊皮紙は, 子山羊で厚さ 0.2~0.1mm, 赤紫色の染料には植物性染料が用いられた. 小塩 p. 140.
- ^ 小塩 p. 11.
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ケルト系のゲール語一色であったアイルランドは 5 世紀中頃よりキリスト教が浸透し, ラテン語は教会と聖職者の言葉として定着した. (p. 43) 外国語として受け入れた同地で, 連続記法であったラテン語表記に対し「読みやすさの文法」の一つとして分かち書きが生まれ, ここから大陸に広まっていった。(p. 49.) この分かち書きは,古代以来修道院における読書とは音読「聖なる読書」にほかならなかったが, 10 世紀中頃のイングランド南部における修道院の「ベネディクト改革」は「沈黙のうちに瞑想すべし. 読書の時間は無言の時間である」という黙読と瞑想の方法に一つの革新をもたらした. 音読ならば,連続記法であっても声によって語や句を分節し, 意味の切れ目を浮かび上がらせることができるが, 黙読では目で語を識別しなければならず, そのためには語が視覚的に独立している分かち書きが必要になってくる.(p. 97)
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- 羊皮紙工房「羊皮紙の作り方」「羊皮紙紀行」など,羊皮紙に関するさまざまな情報を掲載。
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- 黒田龍之助 (1998)『羊皮紙に眠る文字たち : スラヴ言語文化入門』現代書館.
- 小西正捷 (1982)「インドにおける紙本以前の文書素材」『中央大学アジア史研究 = Chuo journal of Asian history』 (6) 1982-03.
(羊皮紙は)インドではほとんど用いられることがなかった. ひとえにそれは, 獣皮を不浄とする考えによるものであり, ましてその表面に, 聖なる文字や語を配して宗教文献とすることはできなかった. p. 12.
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ポルトガル国印度副王信書 [Duarte de Menezes / Public Domain / 出典] |
例外として, インド西岸に位置する当時のポルトガル領ゴア州の副王から, 関白豊臣秀吉に宛てた羊皮紙にしたためた外交文文書が, 現在, 京都の妙法院に所蔵されている. 内容は, 1587 年に秀吉が発布した「バテレン追放令」によるキリスト教徒弾圧に対する緩和を求めるものであった. 上述のような事情を抱えるインドにおいて, ポルトガル領となったことでこのような文書が作成され,今に伝わっているものとみられる。八木 (2021) p. 90.
- 佐藤彰一 (2016)『贖罪のヨーロッパ:中世修道院の祈りと書物』(中公新書 ; 2409)第六章4節「写本製作の仕組みとその物的基盤」
- 田中久美子 (2019)『世界でもっとも美しい装飾写本』エムディエヌコーポレーション.
- 箕輪成男 (2004)『紙と羊皮紙・写本の社会』出版ニュース社.
- ― (2006)『中世ヨーロッパの書物 : 修道院出版の九〇〇年』出版ニュース社.
- クリストファー・デ・ハメル 著, 加藤磨珠枝 監修, 立石光子 訳 (2021) 『中世の写本ができるまで』白水社.
- B.M.メッツガー[著], 土岐健治 監訳 (1985)『図説ギリシア語聖書の写本 : ギリシア語古文書学入門』教文館
- スチュアート・A.P. マレー[著], 日暮雅通 監訳 (2011)『図説図書館の歴史』原書房.
- リヴィエル・ネッツ, ウィリアム・ノエル[著], 吉田晋治 監訳 (2008)『解読!アルキメデス写本 : 羊皮紙から甦った天才数学者』光文社.
- リチャード・ド・ベリー [著], 古田暁 訳 (1989)『フィロビブロン : 書物への愛』講談社学術文庫.
真理の説教者,異教徒の優れた教師,使徒パウロは旅立つとき,マント,本,羊皮紙を持参するよう,弟子テモテに命じている。これは福音を説く者のよい模範である。装いはじみに,勉強の助けに書物,執筆のために羊皮紙を忘れず,「特に,羊皮紙を」と命じている。 p. 62.
[最終更新 2021/01/16]