ウラルトゥ文字 英 Urartian writing

ウラルトゥ楔形文字(Urartian hieroglyphic)とも。紀元前 1 千年紀前半に,南東トルコのヴァン湖周辺地域にウラルトゥ王国を築いた民族が,自身の言語であるウラルトゥ語による記録を残すために使用した楔形文字である。ウラルトゥ語は現在のところフルリ語との親縁関係が指摘されている。→ 大城
同系のフルリ語に使用された楔形文字が古バビロニア文字(Old Babylonian)を基にして一部改変されて使用されたのに対して,ウラルトゥ文字は新アッシリア楔形文字(Neo-Assyrian cuneiform)を一部改変して使用している。その改変における主要な特徴は,縦の「楔」に交差する水平の「楔」を分断して表記する点である。下図左:新アッシリア楔形文字,右:ウラルトゥ文字。上から /an/, /sa/, /de/ を表す文字。→ Haarmann

文字組織
使用されている文字数は,「母音(V)}の字形と「子音+母音(CV)」の字形を合わせて 60 個あまりあるが,「母音+子音(VC)}の字形が 20 個あまり,「子音+母音+子音(CVC)」の字形が 20 個あまりしかないために,フルリ文字などと違って,-VCi-CiV- のような語中に子音重複の表現形式が少ない。さらに,15 個の決定詞または限定詞と約 150 個あまりの表語文字がある。→ Gragg
ウラルトゥ語の音節文字記号と音価
文章例
言語資料の年代は大体紀元前 830 年から紀元前 650 年頃のものである。その大部分は,石碑に刻まれた国王による歴史的な記録碑文で占められている。
聖堂の奉納碑文
前 8 世紀前半と中頃,ウラルトゥ人により,城塞や神殿,灌漑水路の建設など大規模な建設事業が行われ,それらについて語られた楔形文字碑文が発見されている。次は聖堂の奉納碑文の一部である。→ 1) Gragg, 2) Haarmann
1) ᵈḪal-di-ie e-ú-ri-i-e ᵐIš-pu-ú-i-ni-še
2) ᴰḫal-di-i-ni-ni uš-ma-a-ši-i-ni
"Durch die Macht des Gottes Ḫaldi, hat dem Ḫaldi, dem Herrscher, Menua, der Sohn des Išpuin, dieses Gebäude errichtet, (auch) hat er errichtet eine mächtige Festung. Menua, der Sohn des Išpuin, der allmächtige König, der große König, der König des Weltalls, der Köngi des Landes Biainili, der König der Könige, der Regent der Stadt Tušpā. Durch die Macht des Gottes Ḫaldi, hat dem Ḫaldi, dem Herrscher, Menua, der Sohn des Išpuin, dieses Gebäude errichtet."
楔形文字の粘土板
ウラルトゥ王の書簡と経済文書 国立アルメニア歴史博物館蔵 → ボリス・ピオトロフスキー

参考サイト
ウラルトゥ語 | ウラルトゥ | フリル・ウラルトゥ語族
- ScriptSource Urartian
注
- 大城光正(2001)「ウラルトゥ文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- ボリス・ピオトロフスキー 著 ; 加藤九祚 訳(1981)『埋もれた古代王国の謎』(岩波書店)
- Gragg, Gene B.,岡田明子訳「メソポタミアの楔形文字」,Peter T.Daniels, William Bright [編] ; 矢島文夫 総監訳 (2013)『世界の文字大事典』(朝倉書店)
- Haarmann, Harald (1991) Universalgeschichte der Schrift. (Campus)