ウラルトゥ文字 英 Urartian writing
ウラルトゥ楔形文字(Urartian hieroglyphic)とも。紀元前 1 千年紀前半に,南東トルコのヴァン湖周辺地域にウラルトゥ王国を築いた民族が,自身の言語であるウラルトゥ語による記録を残すために使用した楔形文字である。ウラルトゥ語は現在のところフルリ語との親縁関係が指摘されている。[大城 p. 136]
同系のフルリ語に使用された楔形文字が古バビロニア文字(Old Babylonian)を基にして一部改変されて使用されたのに対して,ウラルトゥ文字は新アッシリア楔形文字(Neo-Assyrian cuneiform)を一部改変して使用している。その改変における主要な特徴は,縦の「楔」に交差する水平の「楔」を分断して表記する点である。下図左:新アッシリア楔形文字,右:ウラルトゥ文字。上から /an/, /sa/, /de/ を表す文字。[Haarmann p. 379}
文字組織
使用されている文字数は,「母音(V)}の字形と「子音+母音(CV)」の字形を合わせて 60 個あまりあるが,「母音+子音(VC)}の字形が 20 個あまり,「子音+母音+子音(CVC)」の字形が 20 個あまりしかないために,フルリ文字などと違って,-VCi-CiV- のような語中に子音重複の表現形式が少ない。さらに,15 個の決定詞または限定詞と約 150 個あまりの表語文字がある。
ウラルトゥ語の音節文字記号と音価
文章例
言語資料の年代は大体紀元前 830 年から紀元前 650 年頃のものである。その大部分は,石碑に刻まれた国王による歴史的な記録碑文で占められている。
ウラル朝の楔形文字の石碑。「ハルディ神のために,メヌアの子アルギシュティがこの神殿とこの強力な要塞を建設した。ビアイ(=ウラルトゥ)国の栄光とルルイ(=敵)国の畏怖の念のために,イルブニ(=エレブニ)を宣言したのである。ハルディ神の偉大さによって,これはメヌアの子アルギシュティ,強大な王,ビアイの国々の王,トゥシュパの町の支配者である」[--Enlil2 / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
聖堂の奉納碑文
前 8 世紀前半と中頃,ウラルトゥ人により,城塞や神殿,灌漑水路の建設など大規模な建設事業が行われ,それらについて語られた楔形文字碑文が発見されている。次は聖堂の奉納碑文の一部である。
聖堂の奉納碑文「ハルディ神の力によって、ハルディの統治者イシュプインの子メヌアはこの建物を建て、強大な要塞を築いた。メヌア、イシュプインの子、全能の王、偉大な王、宇宙の王、ビアイニリの地の王、王の王、トゥスパー市の摂政。ハルディ神の力により、ハルディの統治者であるイシュプインの息子メヌアがこの建物を建てた」[Haarmann p. 378] |
注
- 大城光正 (2001)「ウラルトゥ文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
- Haarmann, Harald (1991) Universalgeschichte der Schrift. Campus.
参考サイト
- ウラルトゥ語 | ウラルトゥ | フリル・ウラルトゥ語族
- ScriptSource Urartian