ヒッタイト象形文字 英 Hittite hieroglyphic
ヒッタイト聖刻文字とも。ヒッタイト王国時代(紀元前 17 世紀末~前 1200 頃)の王国内と,王国の滅亡(前 1200 頃)後の紀元前 1 千年から前 700 年頃にわたて,小アジアや北方シリアにおいて使用された象形文字の一種である。[大城 p. 802]
王国時代の資料は,印欧語族のアナトリア語派に属するルウィ語群に所属する言語として,象形文字ルウィ語(Luwian hieroglyphic)と呼称されている。つまり,ヒッタイト王国の滅亡後にこの地域を占めていた民族は,アナトリア語派のルウィ系の民族であったことを示している。そこで,これらの碑文に使用されている文字を,ルウィ象形文字(Luwian hieroglyphic)あるいは,ヒッタイトやルウィを含めてアナトリア象形文字(Anatolian hieroglyphic)という呼称も使用されている。
ヒッタイト語を記した文字ではなくヒッタイト人の文字でもないのであるが,国王が印章に使用するなど,ヒッタイト王国時代から使用されているので,慣用的に「ヒッタイト象形文字」と呼んでいる。この文字は,エジプト象形文字やミノア絵文字と類型的には似ているが,類似する字形の音価の比較からは,これらの文字体系が同じ源から出たとする有力な証拠は認められていない。しかしながら,ヒッタイト象形文字がエーゲ海域の文字体系から何らかの刺激を受けていることは十分考えられる。王国時代にアナトリア西部を占めていたルウィ系の民族がエーゲ海域の文字に接触する機会がなかったとは考えられない。[大城 p. 803]
文字組織
この文字の総数は約 500 個あり,それらの中で,音節構造の観点からは,「母音(V)」を示すものと,「子音+母音(CV)」の単純開音節の文字に分類される。これらの音節構造を持つ字形は,現在のところ,80 個あまり知られている。VC 型の文字の中には, wa/i,ra/i のように,母音 a を含む CVa と母音 i を含む CVi の両方を表す文字もある。VC 型や CVC 型のような末尾に子音をもつ字形がないために,語末が子音で終わる語形や語頭や語中の子音結合を正確に表記することができず,実際には発音されない母音をあえて書き記すことを余儀なくされる。[大城 p. 804] ここで作表に使用したルウィ象形文字フリーフォント “LUWHITTA” および “LUWHITTB” は Luwische Hieroglyphen Fonts から入手する。表中,“U+数字” は Unicode の文字番号を示す。なお, “LUWHITTB” に含まれる文字は文字番号の左肩に*を付す。
1) V
2) CV
3) CVC(V)
表意文字
記号
文字表記
象形文字による語形の表記には 4 通りあり,それらはそれぞれ次のように示される(たとえば,「牛」の語形 *wawis を表す場合)。
文字見本
ヒッタイト象形文字の字体
この文字の字体には,カルケミシュ(Carchemish,現代名 Jerablus)の碑文に代表される記念碑用の字体と,クルル(Kululu)やアッシュル(Assur)の鉛製の書版,カラテペ碑文やスルタンハン(Sultanhan)碑文などに見られる草書字体の 2 つの字体に区別される。[Diringer p. 70]
カルケミシュ出土の碑文(記念碑用字体)
カルケミシュは,当時ルウィ系民族の小都市国家群のなかの中心的な都市であった。ここから多くの石碑が出土している。下図は前 9 世紀のもので,カルケミシュで出土した中で最も美しい碑文といわれる。[Diringer p.67}
1947 年に,ボッセルト Helmuth Theodor Boussert により,トルコ東南部のタウロス山麓に位置した 8 世紀のヒッタイト王国後期の古代城塞都市のカラテペ(Karatepe)の発掘で,かなりの量のヒッタイト象形文字とフェニキア文字で書かれた碑文が発見された。これによりヒッタイト象形文字の解読は一気に促進した。
北門東壁のフェニキア文字 [Klaus-Peter Simon / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
注
- 大城光正, 吉田和彦 (1990)『印欧アナトリア諸語概説』大学書林.
- 大城光正 (2001)「ヒッタイト象形文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂
この文字の解読は,1876 年の上記セイによるハマト(Hamath)石碑文の研究により始まった。1930 年代から 1940 年代になると,メリッジ(P. Meriggi),ゲルプ(I. J. Gelb),フォラー(E. Forrer)。ボッセルト(H. Th. Bossert)らの研究がでてきた。メリッジはすでに 1932 年に,この文字で書かれた言語はヒッタイト語によるルウィ語に近いことを指摘し,「象形文字ルウィ語」という名称を提案している。1947 年には,ボッセルトによって,フェニキア語との待望の併記碑文が東キリアのカラテペの,8 世紀のヒッタイトの丘陵要塞の発掘で発見された。
さらに,1960 年代になると,ラローシュ(E. Laroche)の象形文字資料の研究と字形分類,メリッジの語彙集や文法書などの公刊によって,この文字研究は飛躍的な進歩をとげた - モーリス・W.M.ポープ 著 ; 唐須教光 訳 (1982)『古代文字解読の物語』新潮社.
- 吉田大輔,渡辺和子 (2000)『古代アナトリアの文字の世界』中近東文化センター.
- Boussert, Helmuth Theodor [et al.] (1950) Karatepe kazıları : birinci ön-rapor = Die Ausgrabungen auf dem Karatepe. (Ankara : Türk Tarih Kurumu Basımevi)
参考サイト
- Anatolian hieroglyphs | Hieroglyphic Luwian | Luwian language | Anatolian hieroglyphs
- Omniglot Luwian
- ScriptSource Anatolian Hieroglyphs (Luwian Hieroglyphs, Hittite hieroglyphs)
- ユニコード Encode Anatolian Hieroglyphs in the SMP of the UCS