アラビア文字 英 Arabic script
アラビア語とその他の中東イスラム文化圏の言語の表記に使用され,現代では,ラテン文字についで広範囲に普及している。系譜的には,原カナン文字に由来する西セム系文字の伝統を受け継ぎ,右から左に表記するとともに子音文字のみから構成される表音文字である。母音記号などの補助記号は,イスラム教の聖典コーランを除けば,児童用書籍にしか使用されない。基本的には単語単位に,右から横向きの一筆書きなので線状をなしているのが特徴で,文字(ḥarf)にたいしてアラビア文字全体を指す場合は,「線 ẖaṭṭ」と呼ぶ。【高階 p.42】
アラビア語以外で使用される場合は,各言語固有の音韻を表記するために,アラビア文字の改変による新しい文字の考案,不要な文字の削除,母音の表記などが導入されており,本来のアラビア文字正書法の原理と異なる点がある。このため「ペルシア文字」「ウルドゥー文字」のような独自の呼称をもつことが多い。
文字構成
アラビア文字アルファベットは,28 個の子音文字からなる。文字(1)'Alifに音価はないが,アルファベット外の補助記号 2 個のうち (a) Hamza が声門閉鎖音を表わすので,アラビア語の 28 音素がカバーされる。各文字は,頭音書法(acrophony)の原則により,文字名の最初の子音の音を表わす('Alifを除く)。
アラビア文字表
母音記号
母音記号 (šakl [(記号の)形状])は,コーランの正確な読み方を明示する必要から考案されたもので,コーランなどの宗教文献,古典詩,低学年用教科書などの児童図書を除き,一般のテキストでは表記されない。
アラビア語には [a,i,u] の短母音 3 個と対応する長母音 [ā,ī,ū] しかなく,[aw,ay] は [w,y] が音節構造から子音扱いされるので,二重母音は存在しない。母音欠如はスクーンで示す。長母音は,短母音の記号の後に文字 'Alif ا,Yā ى,Wā و を付加して表記する。【高階 p.46 表2】
句読点
アラビア語テキストで使用される句読点は,次の通りである。
コンマ,セミコロン,疑問符は逆になる。会話などの引用文は,二重カッコのような引用符で囲むか,ダッシュを引用文の前に置くが,アラビア語での句読点の使用は英語ほど安定していない。【高階 p.47】
数字
日本では,算用数字をアラビア数字と呼ぶが,アラビア語で使われる数字は「インド数字」と呼ばれる。インド数字は外来の記号体系なので,右から左に書くアラビア文字の中でも,数字だけは左から右に書く。【高階 p.48】
アラビア文字書体例
時代による表記材料の変化,社会変化に伴う表記目的の多様化や地域の個別要因などを反映して,アラビア文字には多くの書体が生まれた。また,広大な帝国内の公文書と市民生活に関わる多様な文書には,用途に適した書体が考案された。これらの書体は,登場した時期は異なっても旧書体が廃れることはなく,書体を多様化するものとしていずれも使用され続けている。
クーファ書体 Kūfī script
8 世紀始めには存在した。角ばった文字で,空白を埋めるために文字幅を大きく広げるのが特徴。コーランの書写,建築物・装飾的な威厳が求められる場合の書体である。例は羊皮紙に書かれたコーラン。【高階 p.55】
岩のドームに描かれたクーファ書体 [ MatthiasKabel / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
ナスフ書体
製紙工場の建設(10 世紀,スペインでは 12 世紀)により優れた書材が普及し,文書作成量も増大すると,細かい文字線で均一的な形の,丸みを帯びた読みやすいナスフ(筆写の意)書体が生まれた。簡潔で判読しやすいため,1000 年頃を境に,コーランの筆写でも,従来のクーファ書体からナスフ書体に交替した。これが現今の一般的な印刷用書体となっている。【高階 p.55】
ナスフ体で書かれた文字 [Unknown / Public Domain / 出典] |
スルス書体
ナスフ書体から発展した装飾用の書体。建造物,工芸品,書物の装飾部分などに使用される。文字幅が伸縮自在で,一定の空間に収めるため,他の文字の上下の隙間も利用する。下記の例は,本田孝一氏筆。コーラン 55 章 26,27 節「地上にある万物は消滅する。しかし永遠に変わらないものは,尊厳と栄誉に満ちたあなとの主の慈顔である」。【高階 p.55】
イスタンブール、ユスキュダルのアーメドIIIの噴水にある記念碑的な碑文 [CeeGee / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
ルクア書体 Ruqʻa/Riqaʻ script
今日でも使用される一般文書の草書体。文字形も小さく,文字識別記号の複数の点も短い線として書かれるなど,可能な限り続け書きするのが特徴である。【高階 p.56】
ルクア書体 [Jurji Zaydân, Rijalon fi Rajol / Public Domain / 出典] |
ムハッカク Muḥaqqaq script
ムハッカク体は「マシャーヒフ」(例:クルアーンの転写物)を転写するために用いられることが多く,有数の美しい書体である。ムハッカクという語はアラビア語で「完成」もしくは「明快」を表す単語である。
ムハッカク体で書かれたクルアーンの写本 [Unknown / Public Domain / 出典] |
マグリブ書体 Maghribī script
アフリカの北西部を中心とするマグリブ地域とイスラム時代のスペインでは,10 世紀にクーファ書体から固有のマグリブ書体が生まれた。角張って大きな字形のクーファ書体に丸みを加え,文字幅の下部が大きくはみ出るのが特徴である。例は,15 世紀スペインまたはモロッコで書かれたコーラン。【高階 p.56】
マグリブ書体で記されたコーラン(13 世紀,北アフリカ) [Public Domain / 出典] |
他言語で使用される文字と書体
多くの言語では,固有の音韻を表記するために,アラビア語の文字形を基本として各種の改変記号を追加している。各言語ごとに文字が考案されたため,同一の字形が異なる音値をもつとか,逆に,同一の音が異なる字形をもつことがある。【高階 p.56】
タアリーク Taʿlīq script
一続きの文字線を斜めに傾ける書体は 9 世紀には始まっていたが,14 世紀以降,ペルシアで文学作品の筆写に多用された。【高階 p.56】
タアリーク [Kamal al-Din / Public Domain / 出典] |
ナスタアリーク/ペルシア書体 Nastaʻlīq/Fārisī script
タアリーク書体の傾きをさらに強くし,垂直線に比べ水平線が太く流線型の書体。15 世紀以降,中央アジアを含むペルシア語域で世俗的文書に使用される一般的な書体となる。ウルドゥー語でも一般的に使用される。【高階 p.57】
Persian Chalipa panel [Mir Emad Hassani / Public Domain / 出典] |
シカステ書体 Shikasteh script
17 世紀にアフガニスタンのヘラートで発達した書体で,極端な傾斜,線の太さと大小の強い対照が特徴的である。名称はペルシア語の「壊れた」に由来する。【高階 p.57】
[PHGCOM / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
ディーワーン書体 Dīwānī script
「官庁」を意味する名称のとおりに,15 世紀以降のオスマン・トルコ帝国で公文書や布告などに使用された装飾要素の強い書体。文字の上下の幅を装飾で埋め尽くす変種は,ジャリー書体(Jalī script)と呼ばれる(図上)。【高階 p.57】
ディーワーン書体 [Mehmet Izzet al-Karkuki / Public Domain / 出典] |
[YasMouh / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
ジャワ書体 Jāwī script
いくつかの固有の識別記号を付加してマレー(ムラユ)語の表記に用いられる。15 世紀にジャワでイスラムが興隆して以来,広く普及した。字形はナスフ書体に似ている。【高階 p.57】
A copy of Undang-Undang Melaka (マラッカの海事法) [ https://ms.wikipedia.org/wiki/Pengguna:Kerina_yin / Public Domain / 出典] |
中国書体 Sīnī script
中国の方言(主に蘭銀官話、中原官話及び東北官話)をアラビア文字表記する独特な書記方が小児錦である(小児経)。下段の中国語はアラビア文字にあわせて,右から左に向かって書かれる。
小児経と中国体の両方を用いたクルアーンの翻訳例 [Unknown / Public Domain / 出典] |
テキスト入力
ユニコード
ユニコードのアラビア文字は U+0600..U+00FF の範囲に収録される。
文字サンプル
次は,「世界人権宣言第 1 条」を各種アラビア語ユニコードフォントを用いて出力した例。最初の例は,通常通り,母音記号を表記しない。出典:Arabic - Modern Standard
Transliteration
Yūladu jamī'u n-nāsi aḥrāran mutasāwīna fī l-karāmati wa-l-ḥuqūq.Wa-qad wuhibū 'aqlan wa-ḍamīran wa-'alayhim an yu'āmila ba'ḍuhum ba'ḍan bi-rūḥi l-ikhā'.
上掲サンプルで使用したアラビア語ユニコードフォント。Arabic Typesetting,Arial,Times New Roman (Microsoft),Noto Naskh Arabic (Google Noto Fonts),Scheherazade, Lateef (SIL Arabic Fonts) その他のフォントはWAZU Japan's Gallery of Unicode Fonts参照。
キー配列
Windows キーボードの設定は多言語環境の設定を参照。
Mac
注
- Kühnel, Ernst (1986) Islamische Schriftkunst (Akademische Druck- u. Verlagsanstalt)
- 高階美行 (2001)「アラビア文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂
関連リンク・参考文献
- アラビア文字
- Omniglot Arabic
- Omniglot Egyptian Arabic | Lebanese Arabic | Maghrebi Arabic alphabet | Moroccan Arabic | Syrian Arabic | Tunisian Arabic
- ScriptSource Arabaic
- The David Collection Islamic Art: Calligraphy
- Arabic chat alphabet
- 中西コレクションデータベース (国立民族学博物館)アラビア文字
- 小杉泰, 林佳世子 編 (2014)『イスラーム書物の歴史』名古屋大学出版会.
- 黒柳恒男, 飯森嘉助 (1999)『現代アラビア語入門』大学書林.