エピ・オルメカ文字 英 Epi-Olmeca

メソアメリカの考古文化の中でも,オルメカ文化はその最初期のものとして認められている。メキシコ湾海岸部ベラクルス州(右図【拡大】)にある高温多湿の低地での発掘によって,紀元前 1500 年に遡る複合的な都市文化が発見された。その文化は,周辺の肥沃な土地の組織的農地開発によって支えられていた。その地域において,石はまれであり,遠く離れたところから,おそらくは船で輸送されていた。
オルメカの人々は碑文を刻み,すべてのメソアメリカの書記体系の起源であると多くの人が考える文字を発明した。これは研究者の間では,エピ・オルメカ文字(「オルメカを継いだ」の意)として知られている。これまでに知られている碑文は,実質的には 4 つにすぎない。これらのなかでもっとも長い碑文,いわゆるラ=モハーラ(La Mojarra)の第 1 のステラは,1986 年にラ=モハーラ村近くのアクラ川の泥の堆積の中から引き上げられた。この碑文は,高さ 2 メートルほどの玄武岩の石碑で,465 文字が縦 2 列に並び,支配者の像とともに刻まれていた。さらに,碑文自体の日付の同定(後 143 年と 156 年)が可能であった。

エピ・オルメカ文字には,対照可能な,既知のメソアメリカの別言語を併記した碑文は存在しなかった。エピ・オルメカ文字の解読は,言語学者のテリー・カウフマン(Terrence Kaufman)と碑文学者のジョン・ジャスソン(John Justeson)とによって,長期間にわたっておこなわれた。オルメカ文字の解読は,現代生きている言語を用いて1言語だけで書かれた古代の碑文を解読した成功例であるといえる。 [1]
文字構成
エピ・オルメカ文字は,音節文字と表語文字からなる。
音節文字表

表語文字

表語音節文字の例


数字

エピ・オルメカ文字テキスト
サンプルテキスト
ラ・モハラ1号石碑
縦二列に刻まれたラ・モハラ1号石碑の左列に刻まれた,冒頭3行の読みを Kaufman & Justeson (2001) [2] から引用する。


第 17 の月の3日目,それは長期暦では 8.5.3.3.5 で,その日はヘビの 13 である。

太陽を食べる月(日蝕)がおこる。

棍棒星(金星)がその前から夕方の星(明けの明星)のように目を射るように輝いていた。
テキスト入力
コード表
Apostolos Syropoulos による PostScript 形式フォント Epi-Olmec.pfb は CTAN epiolmec から入手する。文字の配列は下記のとおりである。

関連リンク・参考文献
Epi-Olmec culture
- Ancientscripts.com Epi-Olmec
- Pérez de Lara, Jorge and John Justeson "Photographic Documentation of Monuments with Epi-Olmec Script/Imagery" at Foundation for the Advancement of Mesoamerican Studies, Inc. (FAMSI)
注
- ^ ニコラス・エヴァンズ 著 ; 大西正幸, 長田俊樹, 森若葉 訳(2013)『危機言語 言語の消滅でわれわれは何を失うのか』(京都大学学術出版会)
- ^ Kaufman, Terrence and John Justeson (2001) Epi-Olmec Hieroglyphic Writing and Texts.
(3.25 MB)