地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

エピ・オルメカ文字 英 Epi-Olmeca


メソアメリカの考古文化の中でも,オルメカ文化はその最初期のものとして認められている。メキシコ湾海岸部ベラクルス州にある高温多湿の低地での発掘によって,紀元前 1500 年に遡る複合的な都市文化が発見された。その文化は,周辺の肥沃な土地の組織的農地開発によって支えられていた。その地域において,石はまれであり,遠く離れたところから,おそらくは船で輸送されていた。

主要エピ・オルメカ地域 [Madman2001 / CC BY-SA 3.0 / 出典]

ラ・モハーラの石碑1号に刻まれた「実りの山の王」の肖像 [Adrian Hernandez / CC BY-SA 4.0 / 出典]
オルメカの人々は碑文を刻み,すべてのメソアメリカの書記体系の起源であると多くの人が考える文字を発明した。これは研究者の間では,エピ・オルメカ文字(「オルメカを継いだ」の意)として知られている。これまでに知られている碑文は,実質的には 4 つにすぎない。これらのなかでもっとも長い碑文,いわゆるラ=モハーラ(La Mojarra)の第 1 のステラは,1986 年 11 月半ばにメキシコ湾岸のベラクルス州南東部のアルバラード町(Alvarado)から 20 km 南のアクラ川(Acula)の水深 2 m の中から,巨大な石板が発見された。

この玄武岩製の石版は,約 4 t の重さがあり,形は不等辺四角形で,縦 2.10~2.34 m,横 1.10~1.42 m,厚さは 0.54~0.15 mである。人物像の下部で,全体の 7 分 1 の部分は彫像が壊されていて消えている。文字部分は一部が欠けているが,全体から見ればごくわずかで,このようなきわめて古い時代の遺物としては極めて保存状態がよい。

この碑文は,文字が縦 2 列に並び,支配者の像とともに刻まれていた。さらに,碑文自体の日付の同定(後 143 年と 156 年)が可能であった。この石板には,左側に豪華な衣装を身にまとった戦士(=実りの山の王)が右向きに描かれていて,この像の上部と右側に総計 520 ほどの文字が縦に 21 行並んでいる。この数は,メソアメリカで見つかった単一の記念碑の文字数としては最多である。当地は,かつてのオルメカ文明の中核地域にあって,著名なメキシコ湾岸のオルメカの遺跡セロ・デ・ラス・メサス(Cerro de las Mesas)とトレス・サポテス(tres Zapotes)を結ぶ線のちょうど真ん中にあるアルバラード町の小漁村ラ・モハラ(La Mojarra)だったから,このように呼ばれるようになった。[植田 p. 1104]

文字は左向きで,角ばっている。上から下に 1 行ごとに左から右に読まれる。しかし,ラ・モハラの文字の左半分は右向きで,普通の文字とは逆の鏡文字となっており,読み順も右から左に読まれる。[八杉 p. 1014] 後述「テキストの読み」参照。

ラ・モハラ1号石碑の模写 [PauloCalvo / CC BY-SA 4.0 / 出典]

エピ・オルメカ文字には,対照可能な,既知のメソアメリカの別言語を併記した碑文は存在しなかった。エピ・オルメカ文字の解読は,言語学者のテリー・カウフマン(Terrence Kaufman)と碑文学者のジョン・ジャスソン(John Justeson)とによって,長期間にわたっておこなわれた。オルメカ文字の解読は,現代生きている言語を用いて1言語だけで書かれた古代の碑文を解読した成功例であるといえる。[ニコラス・エヴァンズ]

文字構成

エピ・オルメカ文字は,音節文字と表語文字からなる。

音節文字表

Kaufman と Justeson によるエピオルメカ音節文字表 [PauloCalvo / CC BY-SA 4.0 / 出典]

Epiolmec子音-母音-子音の音節文字と、Kaufman and Justeson1996による国際音声記号のスペイン語と英語への翻訳 [PauloCalvo / CC BY-SA 4.0 / 出典]

表語文字

表語文字の一部を示す。

表語音節文字の例

数字

ラ・モハラ1号石碑テキストの読み

縦 2 列に刻まれたラ・モハラ 1 号石碑の左列に刻まれた,冒頭 3 行の読みを Kaufman & Justeson [p. 2.34[ から引用する。

第 17 の月の 3 日目,それは長期暦では 8.5.3.3.5 で,その日はヘビの 13 である。[Kaufman p. 2.34]

日付:石碑には 500 あまりの文字が刻まれており,その中に長期暦の日が 2 つ記されていた。Kaufman & Justeson によると,その 2 つの日は,西暦に直すと,143 年 5 月 1 日と 156 年 6 月 23 日になる。

太陽を食べる月(日蝕)がおこる。[Kaufman p. 2.35]

棍棒星(金星)がその前から夕方の星(明けの明星)のように目を射るように輝いていた。

テキスト入力

Type 1 (PostScript 形式)形式のフォントが利用可能であれば,Apostolos Syropoulos によるフォント Epi-Olmec.pfb は CTAN epiolmec から入手する。文字の配列は下記のとおりである。注意:PostScript Type 1 フォントのサポート終了

関連リンク

[最終更新 2022/01/20]