マニプール文字 Manipuri script
インド東北部のマニプール(Manipur)州を中心に,その周辺に住むメイテイ族の言語メイテイ語を書き表すために用いられる文字,現地ではメイテイ文字(メイテイ・マイェック Meitei mayek)という。ミャンマーのチン丘陵に接する地域にはメイテイ族が居住し,15~16 世紀には,小規模ながら王権が成立していた。17 世紀になると,ベンガル地方からヒンドゥー教のヴァイシュナヴァ派の信仰が広まり,それとともにベンガル文字がマニプールに持ち込まれた。現代メイテイ語は,ベンガル文字による正書法をもっている。この正書法が広く用いられるようになったのは,19 世紀に英領になってからであろう。 [1]
メイテイ族の伝承では,メイテイ・マイェックの起源は西暦紀元 1 世紀まで遡るといわれているが,根拠はない。ベンガル文字が広く普及するに至るまでは,このマニプール文字が,王族・宮廷官僚や知識人・文人の間で用いられていたようである。そして,この文字によるメイテイ語の写本が 1 千点ほど残されていて,その内容は,古典文学作品・歴史資料・宗教関係など多岐にわたっている。 [1]
文字構成
子母(頭子音字)
最も古い写本(?15~?17 世紀)に見られる字母は下表の中「k, s, m, p, n, c, t, kh, ṅ, th, y, h, w, y, ph, '」である。18~19 世紀以降,サンスクリット語,ベンガル語,ヒンディー語など,インド・アーリア系の語彙を大量に受容することになり,外来の音韻が加わることになった。こうして,借用語表記のために採用された文字を加えて,次のような字母表が作られた。さらに,本来のメイテイ語にはなかった子音結合を表記する綴り字も考案された。[2]
上記のような経緯を経て,1980 年4月,マニプール州知事により認可された「メイテイ・マイェック」の字母表は下記のとおりである。これは,この伝統的な民族文字復興をめざしてメイテイ文字専門委員会が知事に提出した報告書に示されたものである。この改良版をメイテイ語の話しての間に普及させようという運動があるが,現行の文字体系(ベンガル文字)の普及度がきわめて高いため,メイテイ文字に替えることは難しいといわれる。[2]
1992 年,インド連邦政府は,憲法を改正しマニプール州の希望に沿って,このマニプール語(メイテイ語)を公用語に指定した。このマニプール語は,ベンガル文字による現行の新マニプール文字によるものを想定している。[2]
尾子音字
母音符号
数字
メイテイ語テキスト(マニプール文字)
サンプルテキスト
Meetei Mayek script [Public Domain / 出典] |
ユニコード
メイテイ・マイェックのユニコードでの位置は U+ABC0..U+ABFF である。
注
関連リンク・参考文献
- マニプリ語 | Meitei language
- 中西コレクション (国立民族学博物館)新マニプール文字
- Omniglot Manipuri alphabet
- Chelliah, Shobhana L. (1997) A grammar of Meithei (New York : Mouton de Gruyter)
- Singh, Inder (1975) Manipuri Phonetic Reader (Central Institute of Indian languages, Mysore)