デーヴァナーガリー文字 英 Devanagari script
ブラーフミー文字の系統に属する音節文字。デーヴァナーガリー文字はその代表的なものであるが,現代のヒンディー,ネパール,マイティリー,ラージャスターニーなど,多くの言語が,この系統の文字を使用している。6 世紀頃に成立し北インドに広く普及したシッダマートリカー文字は,我が国にも仏教の伝来とともに知られるようになったが(悉曇文字),ナーガリー文字(ナガラ (サンスクリット: नगर) つまり「都市の文字」という意)はこれを基に工夫されたものである。[1]
ナーガリー文字では,シッダマートリカー文字の持つ楔形の部分が横の線になってくる。また,右側の線も直線化して,右の下に尾のようなものが見られる。この書体はかなり整った形を示し,装飾的な要素がなくなっている。10 世紀頃,これがすべての字についてさらに明確な字体にまとめられたのが,デーヴァ(देव= 神)ナーガリー文字である。[2]
ブラーフミー・シッダマートリカー・デーヴァナーガリー文字対照表 |
文字構成
古代インドの音の分類と配列は,サンスクリット語のために古代インドで発達した精密な音声学の知識に基づいている。文字の配列もこの音の順にそって,母音をあらわす母音字,子音をあらわす子音字の順になっている。
日本語の五十音図における「アイウエオ」「カサタナハマヤラワ」の成立に,インド系文字の配列順が深く関わっていた。なお,五十音図成立時の日本語の音価を考慮すると,「サ」,「ハ」はそれぞれ文字表の ca ,ph に対応していたことが日本語音韻史で明らかにされている。[3]
khyāti (名声) の構成要素 | |||||||
ख | य | त | |||||
U+0916 | U+094D | U+092F | U+093B | U+0924 | U+093F | ||
KHA | halant | YA | OOE | TA | I | ||
通常の子音文字の右半分を削除したような半子音字を使った横型結合文字。 |
a-ḍḍā (基地) の構成要素 | ||||||
अ | ड | ड | ||||
U+0905 | U+0921 | U+094D | U+0921 | U+093B | ||
A | DDA | halant | DDA | OOE | ||
合成語を構成する子音字を縦に積み重ねた縦型結合文字。 |
母音字
文字は,音節文字(子音+母音)で単母音と二重母音からなる。しかし,語頭のゼロ子音の場合は,単独の母音字がある。a 以外の母音は,子音字の上下左右の一定の位置に,その音価を示す母音記号を付加して表す。二重母音は,もともと ai , āi および au, āu であったものが,サンスクリット語ではそれぞれ e [eː], ai [aːi] および o [oː], au [aːu] となった。
子音字
子音字の配列は,サンスクリット語のために古代インドで発達した精密な音声学の知識に基づいている。最初に配置されるのは,調音点が口腔の奥(軟口蓋)から次第にずれて唇に向かう順序に,各調音点ごとの5グループである。古期インド語派では閉鎖音であった硬口蓋音グループは,後に破擦音に分類される。各グループの内部は,無声と有声,無気と有気に対立で区別できる4個の子音,そして鼻音の計5個の子音が規則正しく並んでいる。
半母音・摩擦音
記号類
アヌスバーラは,文字の上に記号を付加して示す。ローマ字転写では ṃ または ṁ で表す。1個の鼻音として扱われるが,口腔内に閉鎖をつくらない点で他の鼻音と異なる。チャンドラビンドゥは,母音・半母音の完全な鼻音化を指す。ヴィサルガは,無声の気音で,直前の母音を発声した状態で気息を出す。
ハランタ形
子音は,そのままでは,常に母音 a を伴っている。そのため子音だけを表したいときはヴィラーマという特別な記号を付加したハランタ形を用いる。
異形字体
インド政府によりデーヴァナーガリー文字の標準化が図られているが,ムンバイ(ボンベイ)周辺を中心使われる最も一般的な(南方)スタイルと,カルカッタ(コルカタ)周辺で使われるサンスクリット語やヴェーダを表記する伝統的な(北方)スタイルがある。後者にはフりーフォント Uttara が Web 上から入手できる。ヌクター
特定の文字の下部に付加された点をヌクターと呼び,アラビア語,ペルシア語,英語からの借用語を表記する場合に使用する補助子音字である。ṛa, ṛha は,ヒンディー語独自の子音である。
子音結合と半子音字
サンスクリット語およびサンスクリット語からの借用語で,語頭または語中の二つまたは三つの連続した子音が現れる。このような場合ただ最後の子音だけの後ろに母音が来ることを示すために結合文字が使われる。伝統的な方法ではこのような結合子音文字は,連続する子音文字の最後のもの以外の文字を半子音字(ハランタ,省略)形にすることによってつくられる。なお,子音の連続を結合文字として扱わない方法については,後述の「制御記号」を参照。
典型的なものは,たいていの文字に見られる右側に長い縦棒を取り去っている。(例:pya,tka) また,いくつかの結合文字は水平に結合せず垂直に結合する。垂直結合は二つの文字が da や ka のように長い垂直の棒を持っていないときに特に多く起こる。(例: dva,hya) r(a) を含む結合子音は,第一構成要素が r(a) であるときは,その後ろに来る子音文字の上にレーバと呼ばれる記号を子音文字の上に付加する。結合子音字の第二要素が ra の場合は,その前に来る子音文字の下に記号を付加する。(例: rpa,pra)→ William Bright
子音結合文字を入力する際は,前述のヴィラーマを用いる。三つの連続した子音結合の場合も同様に子音字を順に結合する。(例: ṣṭra)
次に,ヒンディー語の子音字と,それに対応する半子音字を挙げる。
多数存在する結合文字から一部をつぎに示す。因みに,二文字からなる合成字すべてがここに掲載されている。
制御記号
Unicode に基づく文字合成上重要な役割を果たすのが, ZWJ “ZERO WIDTH JOINER”U+200C と ZWNJ “ZERO WIDTH NON-JOINER”U+200D である。つぎに,これら記号を用いて,ヴィラーマ,あるいは,半子音字を明示する際の入力方法をしめす。Windows 上で制御記号を挿入する方法は, ZWJ : Ctrl+Shift+1, ZWNJ : Ctrl+Shift+2 である。[5]
デーヴァナーガリー文字を使用する言語と文字
ヒンディー語とデーヴァナーガリー文字
北インドを中心に話されるヒンディー語は,インドの主要公用語の1つであると同時に,憲法では連邦レベルの公用語(official language)として規定されている。
言語系統的にみると,ヒンディー語はインド・ヨーロッパ語族のインド語派に属する。インド語派は,古期(B.C. 1700~B.C.400),中期(B.C.400~A.D.1000),新期(A.D.1000~)に分けられる。ヒンディー語を含む現代インド・アーリア諸語の歴史は,新期インド語派の時代から始まる。
現代標準ヒンディー語は,西部ヒンディー方言群に属するデリー,メーラト周辺の方言を基に成立したといわれている。ヒンディー文学史にこの言語が登場してくるのは,19 世紀以降である。ヒンディー文学史上黄金時代と称される中世ヒンディー文学では,西部ヒンディー方言群に属するブラジ語や東部ヒンディー方言群に属するアワディー語がもっぱら使用されていた。[6]
数詞
サンプルテキスト 世界人権宣言
マラーティー語とデーヴァナーガリー文字
マラーティー語は,サンスクリットに由来するブラークリット諸語から生じた民衆語(アバブランシャ)を母体として,9~10 世紀にはその原型がほぼ固まったとされている。ただドラヴィダ系言語地域に接しているため,音韻や語彙にその影響をとどめている。独自の言語としての発展は,13 世紀からの大衆的宗教運動,特にヴィトーバー神への熱烈帰依を説くワールカリー派の活動と共にみられた。14 世紀後半以降,マハーラーシュトラはムスリム王権の支配下に入り,この時期にペルシア語・アラビア語の語彙がマラーティー語に入った。17 世紀末以降にこの地域に一大政治勢力を確立したマラーター王朝の首都だったブネーを含む西マハーラーシュトラの言語が,次第に標準的マラーティー語の地位を獲得しいった。
マラーティー語はデーヴァナーガリー文字を用いて表記するが,この他に草書として考案されたモーディー文字があり、13 世紀から 1950 年代まで、マラーティー語の文献の多くはモーディー文字で書かれていた。 また、ペルシャ文字ベースの表記も裁判所の文書で使用されていた。[7]
特殊な合字の例を挙げる。
母音字の使用方法として,マラーティー語でサーヴァルカル方式(サーヴァルカル V. D. Sāvarkar の提唱)という,基本的には母音字の簡素化をめざし, a に略符を付してすべての母音字を表そうとする試みがある。[7]
サンプルテキスト 世界人権宣言
テキスト入力
ユニコード
デーヴァナーガリー文字のユニコードでの収録位置は U+0900..U+097F である。
入力方法
ヒンディー語用キーボードを設定すると,タスクバーにはヒンディー語を表す「HI」が表示される。同様に,サンスクリット語「SA」,マラーティー語「MA」となる。これらデーヴァナーガリー文字の配列は, INSCRIPT (Indian script) Keyboard と呼ばれるインドの情報処理用標準キーボード配列である。結合文字の入力方法は前掲「子音結合と半子音字」を参照。デーヴァナーガリー文字フォント
北方(カルカッタ)スタイルのフォントとしては,Sahadeva, Uttara がある。下記のサイトからは,多種多様なフォントを入手することができる。
- Google Noto Devanagaro Noto Serif Devanagari
- SIL International Annapurna SIL Fonts
- South Asia Language Resource Center Hindi, Marathi, Nepali
- WAZU JAPAN's Gallery of Unicode Fonts Devanagari
注
- ^ 風間喜代三 (2001)「デーヴァナーガリー文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 621.
- ^ 風間 p. 622.
- ^ 町田和彦 (1998)「ヒンディー語」東京外国語大学語学研究所 編『世界の言語ガイドブック 2 (アジア・アフリカ地域)』三省堂, p. 276.
- ^ 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 編 (2014)『図説アジア文字入門』河出書房新社, p.35.
- ^ 三上喜貴 (2002)『文字符号の歴史 アジア編』共立出版, p. 204.
- ^ 町田 p. 274.
- ^ 内藤雅雄 (2001)「デーヴァナーガリー文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 630.
関連サイト
デーヴァナーガリー文字一般
- デーヴァナーガリー
- 中西コレクション(国立民族学博物館)デーヴァナーガリー文字
- Omniglot: Devanāgarī | The Devanagari Script
- ScriptSource“Devanagari” General Overview | Fonts & Keyboards
- Bright, William,家本太郎・内田紀彦訳 (2013)「デーヴァナーガリー文字」Peter T.Daniels, William Bright [編], 矢島文夫 総監訳, 石井米雄, 植田覺, 佐藤純一, 西江雅之 監訳『世界の文字大事典』朝倉書店
ヒンディー語
- ヒンディー語
- Omniglot: Hindi
- ScriptSource “Hindi” General Overview | Fonts & Keyboards
- 町田和彦(1998)「ヒンディー語」東京外国語大学語学研究所 編『世界の言語ガイドブック2(アジア・アフリカ地域)』三省堂
マラーティー語
- マラーティー語
- Omniglot: Marāṭhī
- ScriptSource “Marathi” General Overview | Fonts & Keyboards
- モーディー文字
- 内藤雅雄(2009)「マラーティー語」梶茂樹, 中島由美, 林徹 編『事典世界のことば141』大修館書店