マンヤン文字 英 Mangyan script
フィリピン諸島で外来文化の影響を受けなかった,あるいは,受ける程度の少なかった地域のなかには,今日までスペイン人到来以前のインド系文字の流れを汲む文字を継承しているところがある。現在なおその文字を使用しているのは,パラワン島のタグバヌワ族(Tagbanua)とミンドロ島のハヌノオ・マンヤン族(Hanunóo-Mangyan),および,その北に接するブヒッド族(Buhid)のみである。なぜこの文字が使われ続けたかについては,地理的に周囲と隔絶していて,キリスト教・ラテン文字,イスラム教・アラビア文字との接触がなかったからだとされる。町田(2011) [1]
北部ブヒッド族では,思春期の若者が恋愛歌を習得し,それを文字に書く学習をする。その文字の使用法・使用者ともに限られており,その文字は消滅しかかっているという。この文字の知識の有るのは 50 人弱であり,地域も限られている。一方,南部ブヒッド族とハヌノオ・マンヤン族においては,この文字はより実用的で,識字率約 70%,使用者数約5千である。伝承文芸,借財の証明書,交易,選挙,路傍に生える竹に刻む書き置きなどにも用いられる。山田(2001) [2]
文字構成
南北両地域とも音節文字を用いている。南の地域には字母が 17 あり,北には 18 ある。母音字母が南北とも 3,その他は子音と母音 a の結合音を表す。子音と母音 i (または e)との結合の場合には,子音と母音 a の結合を表す字母(基本形)の上に,また,子音と母音 u (または o)との結合の場合には,その下に,それぞれ短い横棒を加えて表す。つまり,この判別音符(タガログ語で Kudlit という)のないものが基本形で,それは常に母音 a をつけて読む。北のブヒッド族は,音素 p と f の両方に同一の字母を用いる。南のハヌノオ・マンヤン族は,音素 l のための字母に判別音符をつけて,音素 r を表記する。
上記の字母は,すべて開音節を表すことから,閉鎖音節の末尾子音を表すことができない。たとえば,mag や pad のように子音で終わる閉鎖音節は,それぞれ ma,pa を示す文字で表さなければならない。つまり,magtepad (はっきりいう)も matapang (荒々しい)も「マタバ」になる。「マタバ」が「マッグタッパッド」であるか「マタパン」であるかは前後の脈絡によることになる。 [3]
ブヒッド文字
ハヌノオ文字
テキスト
ブヒッド語文例
[Omniglot Buhid] |
ハヌノオ語文例
次のアンバハン(恋愛歌)は子供に対する子守唄として歌われたものである。左の列から始めて,下から上に読み進める。ハヌノオ族にとっては,個々の文字の向きはさして重要ではない。自分の目の前から読もうが,反対から見ようが,逆さまに見ようが,その文字は誰にでも読めるのである。ローマ字(ラテン文字)の学習の際に,ハヌノオ族以外のものにとって時に奇妙に映ることが起こる。ハヌノオ族はローマ字で書かれた本を,しばしば,逆さまにして読むのである。山田(1984) [4],町田(2011)
[Kuipers, Joel C. and Roy McDermott, 若狭基道 訳 (2013)「島嶼東南アジア文字体系」Peter T.Daniels, Peter T.Daniels, William Bright [編], 矢島文夫 総監訳, 石井米雄, 植田覺, 佐藤純一, 西江雅之 監訳『世界の文字大事典』朝倉書店, p. 507. 例文の作成には,フリーフォント Noto Sans Hanunoo を使用。] |
文字入力
ユニコード文字
ブヒッド文字およびハヌノオ文字のユニコードで収録位置は次のとおり。
ブヒッド文字:U+1740..U+175F
Free Font: Noto Sans Buhid
ハヌノオ文字:U+1720..U+173F
Free Font: Noto Sans Hanunoo
注
- ^ 「ハヌノオ文字」町田和彦編 (2011)『世界の文字を楽しむ小事典』大修館書店, p. 244.
- ^ 山田幸宏 (2001)「マンヤン文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, pp. 956-960.
- ^ 宮本勝 (1985)「フィリピンのマンヤン文字」『月刊みんぱく』 9(6) (通号 93) 国立民族学博物館, p. 13.
- ^ 山田幸宏 (1984)「フィリピンの文字使用」『民博通信 25』国立民族学博物館. 刻字する書写材料には,竹筒やココ椰子の葉など柔らかい材質のものが用いられる。竹の場合は,それを左手に持ち,身体に押し付けておいて,ナイフやボロ(山刀)で文字を刻む。身体から遠ざかるように手前から先端に,つまり,竹の下から上に向かって書き,書いた文字を確認しながら,筒を左へ回転させて次の行を書いて行く。また,檳椰子を噛む時に石灰の粉を用いるが,それを入れる容器の表面にマンヤンの恋愛歌が刻まれている例がある。
関連リンク・参考文献
- Hanunó'o script
- Omniglot: Hanunó'o | Buhid Alphabet
- 中西印刷:世界の文字 ハヌノオ文字
- 塩原朝子:マンヤン文字の教科書 | マンヤン文字刻印の竹製容器