ことば村・ことばのサロン
■ 2009・1月のことばのサロン(第5回言語学ゼミナール) |
▼ことばのサロン/言語学ゼミナール |
「深層構造はなくなったか?」 講演要旨 「深層構造」というのは40数年前にノーム・チョムスキーが提示した概念です。それは生成文法の標準理論と言われる理論体系の中で重要な役割を果たしました。彼の考えでは、それは生成変形文法が紡ぎ出す一連の句構造のなかで、語彙項目が入った一番基底にある構造とされましたが、その存在について後の生成理論の内部の二つの面から深刻な疑念が出されました。一つは、生成意味論といわれる理論からは、もっと基底に語彙挿入という操作が働く構造があるのではないかという疑念、もう一つの変形主義的理論からは、句構造派生のずっとあとでも語彙を入れたり、入れ替えたりする操作などの操作が必要であるので、特別な一枚の句構造は存在しないというものでした。 「深層構造」の存在は、このように生成理論内部からも危ぶまれたのですが、外側からもさまざまな誤解を生みました。その一つが、「深層構造」を言語普遍と勘違いするひとたちがいたことです。そしてその後の生成理論の発展のなかで、「深層構造」という一枚の句構造があるという考え方はなくなりました。しかし文法が作り出す文は、その構造が過不足なく解釈できて意味を与えなければなりません。そのためには、人の言語的思考に一番近い形式を作り出す形式的操作が文法の仕組みに組み込まれているはずで、そのような意味的な構造が生成されなければならないことは一度も疑われたことはありません。いまの生成理論ではその構造を論理形式と名付けています。要するに、1960年代の考えは否定されたが、その中身は文法が生成する基底の構造という形で生き残っているのです。 しかしなぜこんなことを今更ほじくり出さなければならないのでしょうか。理由は二つあります。第一は、いま発展しつつある認知理論の片割れに人の概念を形式化して表示しようという試みがあります。それは言語学的な意味論なのだろうかという疑念が生まれます。文法と言語外的認知のインターフェースの境にあって、言語のなかの事実を書いているのか、それとも言語の外の話なのか、その点を方法上もきちんとして、研究しているのかを確かめなければなりません。第二に、論理形式と言われているものが言語に共通なのか、言語ごとに変わるのか、変わるとするとどこがどう変わるのかという問題です。一歩進めて言えば、論理形式やその操作の類型論はあるのかという問です。ともに言語研究内部の問題ですが、これら二つの問に答えるために、「深層構造」を振り返って見る必要がいまあるのではないでしょうか。 (金子亨) |