「ことわざを見直す」
● 2017年12月9日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎442教室
● 話題提供:北村孝一先生(ことわざ学会代表理事)
講演要旨
はじめに
「ことわざを見直す」というタイトルでお話ししますが、ことばのサロンに話題を提供するということで、これを契機にみなさんと対話できればありがたいというのが基本的なスタンスです。ことわざに対するアプローチは、ことわざとはこういうものだという国語辞典などの定義、抽象的な記述をみますと、間違いではないにしても、ことわざの実態、その生命や魅力からは乖離しているのではないかというのが私の感覚です。「ことわざ」ということば自体、どんな響きがあるかというと、ちょっと不思議な響きがあるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。「こと」というのはたぶん「ことば」のことなのだろうと思いますが、「わざ」というのはテクニックのように聞こえますが、もう少し広い意味で「神業」とか、「仕業」など、大和ことばの古い「わざ」であって、近代になってもそういう響きがどこかに残っているのではないか、と感じています。
私が大学で教えた学生に聞くと、ことわざは受験勉強で覚えた、という人が多い。あるいは、ふだんの生活ではテレビのクイズなどによく出てきます。受験勉強やクイズでは、ことわざをもっぱら「花より団子」のようなテクスト(本文)と意味(風流より実利がよい)のセットとしてとらえるのですが、私の考えでは、このとらえ方はことわざを非常に狭めていて、ことわざの持っている魅力や威力、ある種の皮肉やユーモアがみな飛んでしまう。どういう場面で使うかも飛んでしまいますから、テクストと意味のセットでいくら覚えても自分では使えないのです。
以前NHK国際放送で、ことわざを素材にしたドラマを何人かのシナリオライターが書いて、そのチェックを依頼されたことがありました。読んでみると、ほとんどが用例としてはおかしい。なぜならシナリオライター自身が、使われる場面に居合わせていない。あるいはことわざが印象に残るような文学を読んで書いているわけでもない。ことわざ辞典に書いてある意味を使ってシナリオにしようとすると、どうもおかしなことになってしまうわけです。例えば「割れ鍋に綴じ蓋」というのは、他人に対して使うと、やや非難がましい、あるいは下にみるような意識が感じられるのですが、それを表向きのことばだけで「似合いの連れ合い」ということで書いてしまうのですね。それを外国語で翻訳するとますますおかしくなる、そんなことがありました。
そこで、私はテクストと意味のセットではとらえられないものも視野に入れ、多角的なアプローチを目指して、いくつかのことわざに具体的に取り上げることで、ことわざの特徴、ことわざの世界を考えていきたいと思います。
ことわざの魅力に迫るヒント―具体例を挙げて
① あばたもえくぼ
相手に好意を持って惚れ込んでしまうと欠点さえも長所や美点に感じられることのたとえです。
ある程度以上の年齢の方なら、説明するまでもないと思われるでしょうが、現代の学生には分からない場合があります。なぜなら、「あばた」ということばが日常用語から消えてしまって、私の学生ではないのですが、「アバターもえくぼ」と解釈した。(笑)天然痘(疱瘡)にかかった跡、あるいはニキビの跡も含めて「あばた」というわけで、いくらなんでもそれが「えくぼ」に見えるかなとお思いかもしれません。しかし、ことわざはたとえであって、誇張することで笑えたり、説得力を増したりするわけです。言われた者も、誇張してある分、距離を置いて自分を見直すこともできる、笑うこともできるのです。印象に残ることばなので、あとで思い出したときに、あぁ、そういう心理だったのだなぁと思われるのではないでしょうか。
しかもみんなに共通する心理なので、教訓や価値判断に直結するものではない。ことわざはすべて教訓や教えがある、と思い込んでいる人が多いのですが、そうではないということを押さえておきたいと思います。むしろ、教訓である前に人間観察の結晶といえる側面がある。人間心理を長年にわたって観察した結果、そのエキスのようなものが現れているのではないかと思います。なぜかというと、ことわざとはある権威があって、あるいはある体系があって教え込まれるものではなく、共感されなければ消えていく存在なのですね。そうか、なるほど、うまいこと言ったなぁと、共感する人がいてこそ続いてきているものです。
② 灯台もと暗し
これはみなさんよくご存じだと思います。アンケートを取ると、90パーセント以上の学生が知っていて、その8割以上が、知っているだけでなく使っていると答えています。これは身近なことほど、案外わからないものだというたとえですね。この「灯台」は港や岬の灯台ではない、というと、たいていの人は驚きます。江戸時代の人々の灯台のイメージは、この鍬形蕙斎の絵のように、菜種油などを入れた油皿に灯心をいれた照明具で、室内を明るくするものですね。(画像)この絵では、男が灯台の明かりで本を読んでいて、灯台の真下にネズミが隠れているのに気づいていない。お皿の下はどうしても暗くなるわけです。これを見ると、日常的な光景から、なるほど、という広がりが感じられる絵ですね。
港や岬の洋式灯台は、たしか明治2年くらいにできた観音崎の灯台が最初で、歴史的にもこのことわざの灯台ではない。それに、海の灯台は周囲を照らすためのものではなく、船に位置の基準を示すものです。このことわざは海の灯台でもいいじゃないかという向きもありますが、私はそれではイメージがずれてしまうので違うのではないかと考えています。
マンガにすると、老眼鏡を頭に載せているのに気づかず、あたりを探し回る、というのがすぐ浮かんできますが、もっと広い意味があると思います。原田康子の小説「挽歌」の主人公の女性と父親の対話では、娘に好きな人がいることを知らなかった父親が「パパは知らなかった、灯台もと暗しだね」と言います。これは比喩的な例として非常に自然でよいと思いました。
ことわざの構造
ここでことわざの構造について考えてみましょう。ロシアや東欧中心に構造ことわざ学というものがあって、欧米もその影響を受けていますが、日本ではことわざの研究がほとんど行われていなかったので、構造ということをいう人はあまりいません。
わかりやすく言いますと、ことわざは大体以下のような三つの層からなっています。
表層=言語、中層=民俗(生活文化~暮らし)、深層=論理
一番表側は言うまでもなく言語表現、深層は論理、意味ということになります。その間に中層があり、民俗、つまり民衆の暮らしがあるわけです。ですから、同じことばを使ったとしても、時代が隔たったり国が異なって文化や価値観が異なる社会では理解されないものがあり、また、そういう中層が介在していること自体意識されず、見落とされることも多いのです。
ことわざはできる限り短くしようとします。「あばたもえくぼ」も最初は「惚れた欲目にあばたもえくぼ」だったようですが、了解できれば、条件や結論をカットしてしまいます。とりわけ、同じ生活の中で了解できている、そういう事項はカットされることが多いといえます。
③ 我が身をつねって人の痛さを知れ
これはみなさんが、「ひとのふり見て我がふり直せ」とともに小さい時からよく言われたことわざだと思います。つねったら痛いのは、とてもわかりやすく、子どもにも相当な説得力を発揮します。格言でいいますと、論語の「己の欲せざるところを人に施すなかれ」というところですが、この論語のことばは漢文の素養がないと分かりづらいし、その点を割り引いても、抽象的でかくあるべしという上からの説諭の響きがします。ことわざのほうはごく身近な比喩を用いていて、二歳の子どもでもわかる。一方的に言われるだけでなく、聞くものの内側からの共感を引き出し、納得させるものがあります。それがことわざの大きな特色です。
鎌倉時代の「極楽寺殿御消息」、鎌倉幕府のナンバー2であった北条重時が家訓の形で書いたものですが、その中に「我が身をつねって人の痛さを知れ」が出てきます。女などのたとえとして出てきますが、私は当時の男性社会の中、漢語の素養のある人物が女などのたとえを引くのは異例のことで、評価したいと思っております。「たとえ」ということばを使っていることにも注目したいのですが、比喩というだけでなく、ここでは明らかに「ことわざ」という意味で、使っています。また、文中に「(このたとえは)本説あることなり」とあり、「極楽寺殿御消息」を収録した本では皆、漢語に典拠があると注釈をつけていますが、私はそうではなくて、「内容として根拠のある正しいことである」という判断をしているのだと考えます。
余談ですが、鎌倉から江ノ電に乗ると、長谷の次にトンネルをくぐって出たところに極楽寺駅があります。この辺りは、鎌倉前期には地獄と呼ばれ、野垂れ死にするような人々が集まる場所だったのですが、北条重時は、そういうところこそ社会の大切なところだとして寺を建立し、極楽寺と名付けたといわれます。
④ なくて七癖
自分では特に癖などないと思っている人でも、傍から冷静に見ると、さまざまな癖が七つほどもある、というのが一般的理解ですね。明らかにこれは比喩ではありません。しかし、かならず癖が七つ以上あるというわけではなく、この「七」は象徴的な数と考えるほうがよいのでしょう。「多くの」ということなのですが、七のつく他のことわざに「七転び八起き」や「親の七光り」「七度探して人を疑え」などがあり、どうやら「さまざまな」というニュアンスが付随していることが分かります。七には八のようなおめでたい感じではなくて、時にはやや不吉なところまで含んだものあるのではないかと感じます。
英語や韓国語のものと比較して、日本のことわざの中には数がよく出てきます。多いことをいう場合、「多くの」と言うと印象が弱いので、具体的な数を言って印象を強めると、ことわざ研究の先駆者藤井乙男が指摘していますが、ただ単に具体性が出てくるというだけでなく、多くの場合それぞれの数に象徴的な意味合いがあるといえるでしょう。例えば「石の上にも三年」、「三度目の正直」、「仏の顔も三度」など、日本文化の中では三を区切りとして考える傾向があります。「三人寄れば文殊の知恵」もそうですが、英語の場合は「Two heads are better than one」のように1対2で対比する考え方ですね。象徴としての数は、比較文化の素材としても大変興味深いものがあります。
「なくて七癖」は「しちくせ」ではなく「ななくせ」で、頭韻をそろえています。だから、より印象に残るのですね。江戸時代には「難(なん)なくて七癖」と言い、欠点がないようでもということで、「な」の頭韻が三つ重なっていました。
謎々や、早口言葉、俗信、昔話など、フォークロア(口承文芸)にはさまざまなジャンルがありますが、ことわざはその中でもテクストが最も短いジャンルと言えるでしょう。そのため、単なる慣用表現とされ、軽く見られることもありますが、短いからといってレトリックが単純なわけではありません。頭韻や脚韻以外にも、さまざまなレトリックが用いられ、内容的にも深い意味が込められていることも少なくないのです。
⑤ 二兎を追う者は一兎をも得ず
比喩的な意味は、二つの目標を同時に追求しようとするとどちらも成就しない、というたとえですね。兎は普通、一匹二匹、古い言い方では一羽二羽で、一兎二兎とは言いませんが、このことわざの場合は、文字で見るとすぐに了解できて、漢字文化の特色が生かされています。ことわざは口承なのですが、近代になると文字も伝える媒体として大きな影響を持つようになります。このことわざは漢文の読み下し文の調子で、いかにも中国起源のように思われますが、実は西洋のことわざの翻訳です。英語では「If you run after two hares you will catch neither」といい、ヨーロッパの多くの言語に共通することわざです。英語以外にオランダ語やフランス語から日本語に入ってきた可能性もありますが、印刷媒体が発達し、教育制度も軌道に乗ってきた明治10年頃から、英語のことわざの翻訳が定着していったようです。それ以前に他の言語から入ったとしても、影響はごく一部にとどまり、なかなか定着しなかったと思われます。
明治期には国語や修身の教科書にも取り入れられます。江戸時代まで獣の肉は食べないという建前でしたが、兎狩りはどこでも行われていて、割合ふつうに食べられていました。徳川将軍家でも、武士の時代を忘れないようにと、お正月には兎の肉のお雑煮を食べたという話があります。そんなわけで兎を追うというのは、比喩として日本人にも大変わかりやすかった。そのため、この西洋由来のことわざは短時日に普及していきます。大正時代には西洋から入ったという意識が無くなり、東西(東洋と西洋)のことわざに分ける場合、東のほうに入れる教科書も出てきます。その上、訳文が漢文風だったので、翻訳臭もなく、抵抗なく入ってきたのだと思います。
ことわざは、ある言語の粋、エッセンスという側面もあるのですが、同時に民族や言語の壁を乗り越えていくインターナショナルな面もあるのです。よくご存じの「溺れる者は藁をもつかむ」も明らかに西欧から入ってきたものです。しかし、従来の国語辞典では、そういうことを指摘しているものはたぶんなかったと思います。ちなみに、「火のない所に煙は立たない」も江戸時代以前の用例はありません。黒船の来航以来、幕府はあわてて通詞にオランダ語を通して英語を学ばせ、安政四年(1857)に、オランダで発行された英語の学習書を長崎でそっくり翻刻(リプリント)させたことがありました。その中に、「火のない所に煙は立たない」に相当するNo smoke without fire. がありました。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」は明治初期から急速に普及し、ほぼ同じ意味で使われて「虻蜂取らず」に取って代わるのですが、なぜ「虻蜂取らず」が衰退したのか。たぶん、「虻蜂取らず」は何らかの説話があって、それを要約することわざだったものが、説話のほうが先に失われたのではないかと推測しています。衰退の原因を探るのも大変面白いテーマですね。
⑥ 渡る世間に鬼はない
⑦ 人を見たら泥棒と思え
⑥と⑦は全く対極的なことわざです。「渡る世間に鬼はない」は、世の中は意地の悪い人や無情な人ばかりではなく、思いがけないところで親切な人や気持ちの通い合う人との出会いがあり、そういうときに感慨を込めて想起することが多いでしょう。誇張表現ですが、救いのある、性善説に通じる表現です。一方で「人を見たら泥棒と思え」は性悪説に傾いています。このように対極的なことわざはほかにもあります。典型的には「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と「君子危うきに近寄らず」、「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」など。このように矛盾することわざをどう捉えたらよいのでしょうか。
一つの考え方は、それぞれケースが違うから、必ずしも矛盾しないとするものです。ことわざは簡潔で、いちいち条件をつけませんが、たとえば、「人を見たら泥棒と思え」は見ず知らずの他人を相手にするときに言うのであって、一般的な物言いではない、と考えるわけです。しかし同じケースでも、どちらのことわざを選ぶか、迷うことが少なくありません。「急いては事を仕損じる」に対して「急かねばことが間に合わぬ」という打ち返しのことわざもありますね。むしろ刻々と変化する現実に対して、ことわざは複眼的にいくつもの選択肢を与えてくれると捉えるのが妥当なのではないでしょうか。状況に柔軟に対応することを勧めているのです。ことわざは、全体としてかなり多様な考え方を含んでいて、状況に応じて、そのなかなから選び出せる。だからこそ現実に対して有効なのではないかと思います。
⑧ 夜目遠目傘の内
これはあまりポピュラーでなく、学生へのアンケートでも知っているのは一割に満たなかったのですが、最後に私好みのことわざとして取り上げました。
夜見ると、遠くから見ると、傘をかぶっているところを見ると、(明示していませんが)美しく見えるということわざです。見る対象は、用例を集めてみると、男性に対して使っている場合も稀にありますが、たいていは女性です。レトリックを見なおすと、テキストは女性と明示せず、美しいとも言わず、ただ名詞を三つ並べただけです。にも関わらず、十分に風情が感じられて印象深いものがあります。国文学者の潁原退蔵氏はこのことわざを引いて、ことわざは余情の文学だとされていましたが、日本人の言語感覚と美意識の粋が確かにここにあるのではないかと思います。
言語学分野の方はことわざを慣用表現としますが、私は、単なる慣用表現というだけではなくてフォークロア(口承文芸)であり、しかも、ことわざを使う者がテクストと改変することも可能な集団文芸であって、時にはこの「夜目遠目傘の内」のように鑑賞に値するレベルにまで到達するものだと考えます。
以上、八つのことわざを取り上げてコメントを加えてきました。数万あるといわれることわざの中の、わずか八つですが、八つでもきちんと見ていくと、かなりことわざがわかるのではないでしょうか。受験勉強やクイズとは違って、テクストと意味のセットだけでは捉えきれない世界が垣間見られたのではないかと思います。ことわざの世界の広さ、奥深さを実感して頂けたら幸いです。
ここからはことわざ研究を通じて出会った印象深いエピソードや、同じことわざを扱ったときに日本語学(国語学)とのアプローチの違いなどについてお話しします。
シュメール語のことわざ
(画像)この楔形文字の粘土板には、今のイラクあたりの、3600年から3800年前のことわざが書かれています。アメリカのゴードンなどが解読しているのですが。シュメール語は全く死滅した言語で、アッシリアの時代にも書記が記録するためだけに使っていたと言われています。シュメールあるいはアッシリアの文化は非常にレベルが高かったようで、すでに二次方程式は解けていて、円周率の近似値も用い、複利計算もやっていました。数学的にはかなり高度なことができ、驚いたことに10進法ではなく、60進法を採用していました。格言やことわざは、よくわからないものもありますが、現代人にもわかるものもあります。たとえば、「楽しいのはビール、厭なのは旅」。この旅は、軍隊の遠征という説と、遠くまで行く行商の旅だという説があるようです。ビールは「カシュ」、旅は「カスカ」で、頭韻をそろえています。「かわいくて彼女の美しさで結婚、後の考慮で離婚」――実にわかりやすい。「馬鹿が宮殿にうじゃうじゃ」とか。現代から見ると、専制的体制の中でよく書けたと思いますが、すでにシュメール語が日常生活では使われず、貴族や王族はまったく読めなかったので、書けたのだろうと言われています。
このように非常に古い時代からことわざがあって、一種の批評として機能していた。道徳律ではなく、本音の鋭い批判がすでに芽生えていたわけです。シュメールだけでなく、ことわざの主流は、実は批判的なものなのではないかと私は考えています。
大まかにいうと、いずれにせよ、ことわざ研究は古くからあるようでいて、まだまだ日本でも世界でもスタートラインに着いたばかりと言ってよいと思います。
ユーラシアにかかる月
ことわざに関する印象的なエピソードを一つ、ご紹介しましょう。ドストエフスキーが『賭博者』を口述し、速記者に筆記させたことがあります。すでに『貧しき人びと』などで知られていた作家は、『罪と罰』の連載を始めていましたが、借金のために短期間で新作を書き上げなくてはならない立場に追い込まれていました。そこで作家は、若く美しい速記者のアンナの協力を得て1カ月ほどで作品を完成させようとします。その目途がついた頃、作家はアンナに、仕事が終わって会えなくなるのが寂しい、「どこかでまた会えるのでしょうか」と語りかけます。彼は数年前に夫人を病で亡くしていました。アンナは「山と山は会えずとも人間同士はいつか会えると申しますわ」と答えます。山と山は文字どおりに解釈してもいいし、傲慢な人と解してもよいでしょう。このロシアのことわざは「また会いましょう」というあいさつにもなるし、偶然出会ったときの感嘆を表すためにも使われます。しかし、私は、これほど効果的に余韻ある使いかたをした例を知りません。
私はロシアのことわざと言いましたが、実はアルメニア共和国やトルコ、ウィグル族の中にも、さらにはアフリカのスワヒリ語にもほとんど同じ形のことわざが認められます。これらの地域を地図の上で塗りつぶしてみると、ややいびつですがユーラシア大陸に雄大な三日月が描けます。しかし、三日月といっても、月面自体は球形で存在しているわけで、三日月以外の面にもこのことわざがあるに違いないと思いつき、調べてみたら、やはり、英語やフランス語、ポルトガル語などにも類似の表現がありました。
帆影七里
帆掛け船がだんだん遠ざかっていくとき、まず船の本体(船端)が見えなくなり、帆だけが見える状態が続きます。地球が丸いせいですが、理屈で知らなくても海沿いの人々は昔からわかっていました。海にかかわる人々の間には、「帆影七里船影三里」ということわざがあります。柳田国男も九州南部にあると言っていますが、東北にもあるし、ほぼ日本中の漁師、船の関係者の多くに知られていた表現だっただろうと思います。私は日本海でフェリーに乗っていて、すれ違った船の大きな煙突(フェンネル)が、しばらくするとそれしか見えなくなったという経験がありまして、どの程度離れるとそうなるのか、ことわざが正しいのか数理的に調べたことがあります。その経験からいうと帆影六里くらいが妥当かと思いますが、ことわざとして覚えるには七里くらいでもよいのではないかと結論づけました。
実は、私自身はこのことわざを自分の耳で聞いたことがありませんでした。それが気になって、海のそばで人が立ってみるだけですと、非常に短い距離になってしまうので、番屋のような高いところから見ることにしたり、いろいろ条件を設定して考えたのですが、そんなことをほとんど忘れた頃に、たまたま具体例に出会えました。それは江戸時代の「船長日記」という資料で、尾張から江戸へ城米を運んだ督乗丸が帰途御前崎沖で遭難し、ロサンゼルス近海まで漂流して、イギリス船に救助される顛末を記録しています。日本に何とか戻ってきて尾張藩の取り調べを受けるわけですが、その中に件のことわざが出てきます。英国船と行き会った際、間の距離がどうしてわかったかと尋ねられ、「帆影七里船影三里というのがさだまりにて……」と答えていたのでした。重吉という船長はとても優れた能力の持ち主で、自分の船は小さいから早い段階で向こうの船からは見えなくなる、と視点を変えて考え、靡という帆に代わる筵旗のようなものを掲げて、首尾よく助けられることになります。神仏に祈るよりも先に、ことわざを想起して適切な行動をとった感動的な用例だと思います。
日本語学とのアプローチの違い
最後に、日本語学の北原保雄先生が新著『しっくりこない日本語』(2017)の中で、一部ことわざにふれられているので、日本語学とことわざ学とのアプローチの違いについてお話ししてみようと思います。
『しっくりこない日本語』の中で、「情けは人のためならず」にはサブタイトル「自分のためでもある」が付されています。そして、「人に情けをかけるとやがてはよい報いとなって自分に帰ってくる、というのが正しい意味だ」、「人に情けをかけて甘やかすのはその人のためにならない、というのは勘違いである」、「ためならずの『ならず』は文語の助動詞『なり』の未然形であり」「『成らず』のならを勘違いしている」と論じられています。
これはその通りなのですが、私は文法的にはそう説明できるけれど、勘違いの要因はそれだけではないと考えます。私は小学校にあがる頃、半年だけ、お遍路さんが来るような四国の山奥にいたことがあるのですが、そこでは近隣のおばあさんたちがわらじや下駄の鼻緒を作ってお地蔵さんのところに置いておくのです。お地蔵さんのところまで行くと必ず何本か鼻緒がある。そういうことが、私にとっての「情けは人のためならず」の原風景です。善意ですることは人の心に訴える、だから親切にすれば皆がよい結果を受けられるのだ、ということが実感できる社会ですね。そういう実感は現代の東京のようなところではなかなか成立しにくい。そういう社会的要因を考えないと、ことわざの理解はちょっと難しいのではないか、という気がします。基本は、因果応報という仏教思想が浸透していて常識になっている、そういう前提の部分がことわざでは全部カットされているわけで、単に情けをかけるとそれがめぐりめぐって自分のためにもなる、というだけではなくて、逆に情けをかけないと大変なことにもなる。そういうことが実感できる社会と、それがなかなか実感できない社会、ことばの上でも伝承されなかった社会、そういう要因をことわざ研究者は考えなくてはならないと思います。
「犬も歩けば棒に当たる」について、『しっくりこない日本語』では、「この『ことわざ』にはふたつの意味がある」として、「何かをしようとすると思いがけない災難に遭うことも多い」と「思いがけない幸運に出会うこともある」のふたつでそのどちらが正しいか――ことばの解釈の上ではどちらも正しいけれど、骨にあたるのではなく、棒にあたるのだから犬にとっては好ましいことではないだろう、とされています。
私はどちらも正しいのではなく、元来は災難に遭うほうだっただろうと考えます。ただ、江戸時代から両方の用法がありました。犬は比喩として下層の人間を指し、上から見た場合は、つまらぬ輩が用もないのに出歩くととんでもない目にあうぞ、ということになります。逆に、自らを下層の人間だと考えると、しがない身ではあるが一所懸命やっていればそのうち幸運に会うこともある、ということになるわけです。このことわざはいろはかるたの最初の札で、赤い色を使っている。いろはかるたの代表で、しかもめでたい札なのです。今日の目からすると、なかなか理解しにくいことですが、一つ指摘できるのは、江戸の後期には、しがない身ではあっても何か積極的にやっていれば幸運に出会うこともある、ということを自ら言い出すような意識が芽生えていたといえるでしょう。
ことわざというのは、まったくニュートラルにことばだけで見るのは限界があって、支配層の目で見るか、下層の者の目で見るかで相当違うものが出てきます。「犬も歩けば棒に当たる」も最初は悪い意味で使われていたのが、ある時それを逆用し全体を反語として使うことで初めて生きたことわざになったのではないでしょうか。しかも表向きは自ら下賤な者であると認める、一種の逃げ道も残しているわけです。用例をみると、じつは圧倒的に幸運説が多い。明治以降はほぼ100%幸運説です。私が監修した「故事俗信ことわざ辞典 第二版 2012」で、このことわざについて「肯定的に使う心理はかなり屈折したもので、斜に構えてひねりを利かせた表現といってよい。江戸っ子の粋に通じるものだ」という意味のことを書きました。このように、なぜふたつの解釈が成立するのか、考えることに小さからぬ意義があるのではないかと思っています。
ことわざ研究というものが、日本語学あるいは国語学とは少し視点が異なるアプローチをするということで、私の話を終わり、ご意見や感想を伺いたいと思います。
(文責:事務局)
講演後、参加者からの質問や感想が寄せられました。いくつかご紹介します。
参加者
「謎々や格言、説話などとことわざを区別する、最も基本的区別は何と言えるでしょうか」
北村先生
「ことわざの特徴はいろいろ挙げられますが、最終的に残るのはたぶん、批評、批判精神ということなのではないかと思います。国文学の金子武雄先生は、文学の祖型ということをおっしゃっていて、詩の祖型は歌、小説の祖型は物語、批評の祖型としてことわざがあったのではないか、と。この仮説はアイディアとしてはかなり有力なのではないかと思います。
ことわざはあいさつだという見方もありますが、私はそういうアナロジーからいえば、あだ名に近い、特徴をとらえて他の人の共感を呼んで流通するものだと思います。社会の変遷によって、生まれたり消えたりし、古くからの伝承ではあるけれど単に古いからよいというのではなく、生きた形での伝承ではないかな、と考えるわけです。」
参加者
「あばたもえくぼ」のように使われなくなったことばをことわざを通じて覚えるということもあると思いますが、ことばを学習するという面はいかがでしょうか」
北村先生
「伝承と学習という面でいうと、高度成長期にコミュニティが失われてコミュニケーションをする場が失われた。今YouTubeでいろはかるたの動画を見ると、親が読んで、こどもがひとりで取るという場面が出てきます。ことわざが分からなくなる原因は、現実の場で伝承されなくなったのが一番大きい。ことわざはこどもがそばで聞いていてその時はわからなくても、後で蘇ることがある、それが言葉に対する鋭敏さなどを徐々に育てていく。暗記するようなタイプの知識では言語感覚が養成されない、生きたコミュニケーションを回復していくことが根底に必要でしょう。」
参加者
「ことわざの特徴には、使われているということがあると思います。今でもよくことわざが使われている社会では、言霊というか、そういうものが生きている。そういう社会がなくて、ことわざを使おうよといってもなかなかそうはならないのではと思います。」
北村先生
「想起するということを含めて、ことばにするというのがことわざの本質ですね。テクストは影の部分で、声にするかどうかは別ですが、ことばにするのがことわざ、文句(テキスト)がことわざではなくて、それを発することがことわざだろうと思います。」
参加者
「教えている大阪の大学では学生たちが、例えば「灯台もと暗し」などを会話に出してきて、確かにそうやなぁ、とみんなで共感することがよくあって、多分小学生、中学生の学校での彼ら自身の会話の中で、今習ったことわざを使ってみる、というようなことが起こっている気がします。使う場が変わった、共感する相手も変わったのでしょうが、単に受験のために学んでいるだけではなく、使ってみたい、確認してみたい、ということをお互い同士でやっているのかな、と思います。」
ことわざの奥深さを垣間見たサロンでした。ことば村ホームページに北村先生による「ことわざの世界」が掲載されております。毎月ひとつのことわざについて、詳しくコメントされていますので、ぜひご覧ください。
「ことわざの世界」
http://www.chikyukotobamura.org/muse/life100518.html
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