ウプシューとファーファー~久高島(くだかじま) の方言
船の上から見た時、その島は水平線上に短い横線を一部分引いたように、 細長く浮かんで見えた。その平らな島に上がると、本当に人が住んでいるのか と思うほど、音の無い、真空のような空間があった。そして清潔感溢れる白い サンゴの小道は、キラキラと輝き、続いていた。
1978年の春、沖縄本島からわずか数キロ東方にある「神の島」と呼ばれている 久高島へ、12年ごとの午年(うまどし)に行う祭儀「イザイホー」の取材に同行 した(写真集「イザイホー」撮影・吉田純、文・吉本隆明)。その折、宿泊先 としてお世話になった糸数次平さんご夫婦は、とても物腰がやわらかく、初め て会った私たち取材班を自然体で迎えてくれた。
夕食を終え、TVを見ていたご夫婦が突然大声で笑い出した。私達は何事かとTV 画面を見たが、その内容(方言)を全く理解できなかった。その時、何故同じ 日本列島なのに、理解できない話し言葉があるのか、不思議な感情にうたれた。
「沖縄の方言はわからないでしょう。首里でも道ひ とつ隔てただけで、ことばが通じないことがあるくらいですから。久高島の ことばはもっと難しいですよ」と話していた首里の知人を思い出した。その 時彼は「沖縄は万葉言葉が今もまだ、10000も使われているんです」と誇らし げに、にこやかに話していた。
久高島は沖縄本島とわずかしか離れていない。王宮があった首里とも宗教的 に深い繋がりを持つにもかかわらず、この島の老人の方言は、沖縄本島の人 にも難解であった。この島の方言でおじいさんのことを「ウプシュー」おば あさんを「ファーファー」と発音するのだと、後に糸数さんから教わった。
いったい世界に言語の種類はいくつあるのだろう…。 「お父さん、お母さん」という単語で、近隣の地域の言葉を比較してみよう。
お父さん お母さん沖縄・久高島方言 アッティミー アム(ン)ー 沖縄・首里方言 シュー/ターリー アンマー/アヤー アイヌ語 ミチ/オナ ハポ/トット 韓国語 アポジ オモニ 中国・北京語 フゥー・チン ムゥー・チン 中国・広東語 バーバー/アーバー/ロウダウ マーマー/アーマー/ロウマーヂー 少数言語をふくめると何千という数になるのだろう。そして言葉は、いったい 何処まで遡っていけるのだろうか…。
一方、連綿と古層から伝わってきた祭儀「イザイホー」もあの1978年を最後に 消滅した。祭儀の4日間、カミンチュ(神女)たちは美しいオモロ(神謡)を 唱え、ニライカナイの神に静かな祈りを捧げた。その根源的で純粋なエネルギー が次世代の創造へと繋がっていく事を祈りつつ…。と同時に、今世紀、少数言 語を含め世界の言語が一つでも多く、記録されることを願わずにはいられない。
《K. N.:写真家(2005年掲載)》