世界のことば
いったい世界にことばはいくつあるのでしょうか。「正確には分からない」と いうのがいちばん確かな答でしょう。なぜそんな答えになるのか、主な理由を いくつか挙げて見ましょう。
初めにまだ見つかっていないことばがいくつもあるからです。とくにアフリカ や南太平洋の諸島ではまだ十分な調査がされていま せん。例えば、ニュ-ギニア内陸地域には1000を越える、お互いに通じ合わな い言語があると言われています。またサハラ砂漠以南のアフリカでもまだ十分 な調査がいきわたっているとはいえない状態です。
次に少数話者言語が使われなくなって、絶えず滅んでいくことも問題です。そ の一方では、新しいことばが絶えず生まれているとも言われています。ですか ら言語の総数は一定ではなく、絶えず変わっていることになるのです。ある言 語学者は世界にいま6000ほどの言語があると仮定して、その20~50%が21世紀 中に死滅するなどと書き立てています。さまざまな理由から、多くの少数者言 語が、この瞬間も、消滅の危機に曝されていること は確かです。
新しい言語が生まれることもあります。しかし誰かがまったく奇異なことばを 発明して、それをどこかの社会集団に押しつけたというような事態は知られて いません。一方で、ある社会集団が今まで使っていたことばを少し変えて、他 から来た言語と混ぜ合わせて、やがてどのことばとも違う言語に仕立て上げて しまうということはよくあります。ク レオ-ルといわれる混合言語がその代表 的なものです。多くの場合に侵略や植民地化がその要因になっています。日本 語も縄文時代から弥生時代にかけてそのような契機で成立したクレオ-ルであ るかもしれません。
最後に言語と方言とを区別することが難しいことがよくあるからです。身近な 例をあげましょう。南西諸島の沖縄で話されていることばを琉球語と まとめておきましょう。この琉球語が日本語と 言語の歴史的から見て親戚関係にあること証明されています。では、琉球語を 日本語の一方言として数えることにしましょうか。あるいは独立の言語である と認定しましょうか。前の方式ですと、琉球語は方言に区分されますが、後の 方式ですと、それぞれ一言語になり、言語の数が二倍になります。同じような ことはオランダ語とドイツ語、プロヴァンス語とフランス語、またアフリカや 太平洋南部の諸島の言語についても当てはまります。こうして言語をどう認定 するかによっても言語の総数は大きく変わってきます。これもまた世界の言語 の数をあいまいにしている要因の一つです。
主に以上のような理由から、世界の言語をはっきりいくつだということは、ほ とんど不可能です。しかし大体の数をあげることならできます。世界最大の言 語学事典『言語学大事典』(全7巻、三省堂、1988-2001年)には3500余りの 言語が収録されています。この辺りが穏当なところでしょう。
世界にはどんな言語があるのでしょうか。世界のことばを分けるにはさまざま な方法があります。よく行われているのは、親戚同士の言語をまとめる方法と、 特定の目安を共有する言語をまとめる方法などです。第一の方法は歴史比較的 な方法といいます。第二の方法が類型論といわれるものです。
歴史比較の方法では、元の言語が拡散していくつもの子孫が出来たという図 式を基にします。このような言語同士を同系の言語といって、それが規則的 に証明されるとき、それらの言語は同系であるとします。このような言語た ちが語派や語族と いう集団にまとめられます。例えば、英語はゲルマン語派 に属し、ゲルマン語派はイ ンド=ヨ-ロッパ語族に属するといいます。この 方法は循環論に基づいていて、しかも系統樹型の拡散だけを問題にしますの で、うまくいく範囲は限られています。
一方、類型論という方法では、ことばの構造に関する何らかの目安をもとに言 語をまとめたり比較します。母音を「アイウエオ」の5つもつ言語を集めてま とめたりするなどは一番単純なまとめ方でしょう。「能格」と呼ばれる特別な 文法形式を目安にとってその現れ方をさまざまな言語で調べるという難しい問 題もあります。古くから、中国語は「孤立語」でといわれてきました。単語が ぼつぼつと切れていて、それを並べることで文章ができるからです。日本語の ように単語に助詞や助動詞がたくさん付いて文が成り立つものを「膠着語(こ うちゃくご)」、ギリシャ語のように単語内部の音声が交替してまで単語の意 味や用法を変えるのを「屈 折語」と言って、言語を分類することがよくありま す。これも古典的な類型論です。しかし全体として、この方法では、まだ目安 が体系化されていないので、いまのところ言語の構造の異同を全体として眺め られません。
世界には、どの語族にも含まれない、大変珍しい特徴をもつことばが沢山あり ます。日本語やアイヌ語や朝鮮語などもそのような孤立した言語です。いまの ところこれらの言語に系 統関係を発見する見通しはありません。 日本の周りにはこのような言語が多く、日本語は孤 立して言語に囲まれているとさえ言ってよいでしょう。
《金子亨:言語学(2005年掲載)》