旧ソ連邦内のチュルク系諸語の表記
中央アジアのチュルク系言語を用いる地域は,伝統的にイスラム圏にあり,アラビア語・アラビア文字,ペルシア語・ペルシア文字の使用が一般的であった。これらの地域で用いられた言語がロシア文字による正書法を持つにいたる契機は,十月革命後のソビエト政権の言語政策・民族政策にあると考えられている。1918 年に成立したロシア=ソビエト連邦社会主義共和国に,中央アジアの 5 つの共和国ーカザフ,トルクメン,ウズベク,キルギス,タジクが加盟(1924年,国家分割)し,本来は近世ペルシア語の中央アジア方言である「民族言語」に,カザフ語,ウズベク語などの呼称が安定した地位を得るようになった。
1920 年代に,多くの「民族言語」に対してラテン文字を基盤にした正書法が一斉に作成された。その後,ラテン文字アルファベットを採用した諸言語は,1940 年以降すべてロシア文字アルファベットに移行し,ソ連邦の崩壊まで続く。
言語 | アラビア文字 | ラテン文字 | ロシア文字 | ラテン文字 |
ウズベク語 | ~1927 | 1927~39 | 1940~1992 | 1992~ |
カザフ語 | ~1930 | 1930~40 | 1940~ | 注 1 |
キルギス語 | ~1924 | 1926~40 | 1940~ | |
タジク語 | ~1928 | 1928~39 | 1939~ | |
トルクメン語 | ~1928 | 1929~40 | 1940~1993 | 1993~ |
新ウイグル語注 2 | ~1930 | 1930~46 | 1946~ | |
トルコ語 | ~1928 | 1928~ |
ソ連邦の言語・民族政策
1926 年 2 月 26 日から 3 月 6 日まで,アゼルバイジャンのパクーで開催された第 1 回全ソ連チュルク学会議で「新チュルク文字中央委員会」が結成され,それまで使っていた音韻構造にそぐわないアラビア文字をラテン文字基盤の「新文字」に移行させることが採択された。中央アジアに位置する前記共和国は,チュルク民族の大きな勢力となる可能性があり,また,イスラム教徒としてのまとまりも民族集団としてのまとまりも強固であった。[藤代: p. 1160] 採択に至る過程において,一部には,世紀初頭以来のジャディード運動の系譜を引く人たちが独自の改良アラビア文字論を唱えその実践もはじめていた。[塩川: p. 163] ラテン文字化は,民族のアイデンティティと言語を統合する手段であったが,汎イスラム感情に対する対抗措置でもあったという。[荒井: p.18]
その後,ラテン文字アルファベットを採用した諸言語は,1936 から 1941 年にかけてすべてロシア文字アルファベットに移行する。30 年代末期から学校教育でロシア語学習が義務化され(1938 年),教育現場ではロシア語使用が主流となった。この文字の変換は,1920 年代末から 1950 年にかけてソ連邦の言語学界に大きな影響を残した「マール主義」という,マルクス主義に則ったとする言語理論があった。これは「人類の最終的発展段階である共産主義社会にあっては,無階級的支配・非民族的な単一の世界共通語が形成される」などの主張であった。しかし,行き過ぎたマール主義は,1950 年 5 月,スターリンにより反マルクス主義的として否定され,言語学的論争は終息した。[藤代: p. 1161]
1920 年代にラテン文字が与えられたにもかかわらず,30 年代になるとロシア文字に移行された背景には,レーニンとスターリンの言語政策の違いがあると言われる。千野は,「スターリンはキリール文字を与えることによって,自分たちの社会主義圏ともいうべきものへの帰順を感じとっていたのであろう。それだからこそ一度はラテン文字を与えた諸民族に改めてキリール文字を強制したのである。」と指摘している。[千野: p. 193]
中央アジアの動きに同調したカフカースの諸言語,またエウェンキ語,エウェン語等のツングース系言語を含む「北方諸民族言語が,一時期,一斉にラテン文字を採用し,その後 1930 年代末~ 40 年代初めにかけて,斉一的なロシア文字への変更を容易にしたという側面がある。20 ~ 30 年代の民族言語擁護を目的とし,実際にある程度の成果を上げた民族言語政策も,結果としてはロシア語へのスムーズな第 1 言語取り替えを促し,ロシア文字はこの政治目的に大いに寄与した面があった。[藤代: p. 1162]
注
- 荒井幸康 (2004)『「言語」の統合と分離 : 1920-1940年代のモンゴル・ブリヤート・カルムィクの言語政策の相関関係を中心に』博士論文:一橋大学.
- 塩川伸明 (1999)「ソ連言語政策史再考」『スラブ研究 46』国立国会図書館 ONLINE 公開
- 千野栄一 (1994)「ペレストロイカにみる文字の文化圏」『言語学の開かれた扉』三省堂.
- 藤代節 (2001)「ロシア文字による非スラヴ系言語表記」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
関連リンク・参考文献
- 金子亨 (2000) 「ラテン式書記法始末記」金子亨記念文庫