キリル文字 英 Cyrillic alphabet,仏 alphabet cyrillique。独 Kyrilliza,kyrillische Schrift,露 кириллица
キリル文字は古代教会スラヴ語の現存写本(10~11 世紀)にグラゴール文字とともに用いられているほか,中世から 18~19 世紀まで,ブルガリア,セルビア,ロシアの正教徒スラヴ人の教会用および日常の書物の唯一の文字体系として広く普及した。近現代では,その体系と字体に一定の改変を加えた諸変種が,多くのスラヴ諸語やその他の言語の文字体系として用いられている。[1]
キリル文字成立の事情
キリル文字の成立について古来多くの主張がなされてきたが,現在では大多数の学者が,グラゴール文字の方がより古く,いろいろな点で体系的な一貫性をもつと考え,これをキリロス・メソディオス兄弟の所産とする一方,キリル文字アルファベットは,より後代にグラゴール文字の体系をギリシア文字ウンキアリス体(uncialis,大文字書体,アンシャル体とも)に引き写すやりかたで新しく作り直したもの,とする見方に立っている。 [1]
キリル文字アルファベットの文字順は,まずグラゴール文字との対応によって配列し,余りの部分はその後に適当にまとめて示す習慣である。それは,グラゴール文字の場合,それぞれの字母の表す数字価により,当初の文字順の復元がかなり精密に行なわれうるのに対し,キリル文字の体系は,数字価についてはまったくギリシア語のアルファベットに従っており,文字順の決め手を欠いているからである。 [2]
キリル文字・ギリシア文字・グラゴール文字対照表 |
キリル文字とその資料
最古の資料
欧米では 1950 年頃まで,キリル文字の最古の確実な使用例は,往時の西ブルガリア(現在のマケドニア共和国)のプレスパ (Преспа) 湖の近くの村の教会跡で,1888 年に出土した天地開闢暦 6501 年(西暦 993 年)の紀年をもつ「サムイル帝の碑文」とされてきた。しかし,1950 年以降,ブルガリアの太守ディミタル (Димитър) の事跡を記した 943 年の紀年のある石片が出土し,また,1952 年はブルガリアのプレスラフの城市遺跡の小教会跡から,紀年はないものの,シメオン皇帝 (864~927) とその子ペタル (Петър) 1 世(在位 927~970)に仕えた高官モスティチ (Мостич) の墓碑銘が発見されて,キリル文字使用例の年代は 10 世紀前半まで繰り上がった。 [3] [4]
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オストロミールの福音書 Остромирово Евангелие
『オストロミールの福音書』は,執筆年代が確定していて現存する最古の写本である。内容は福音書,標準本系アブラコス(日曜祝日典礼用福音書抜粋)であり,キリストの生涯や教えについての読み物が教会暦の祭日に従って配置されている。[5]
写本は,世襲領有権をもつ最古の名門一家のオストロミール(洗礼名ヨシフ)の依頼により 1056 年 10 月 21 日から 1057 年 5 月 12 日の間に書かれた。『オストロミール福音書』は,文字と,写本における芸術的装飾の模範であり,古代ロシア文化の記念碑である。羊皮紙 294 葉に,書体はウスタフ体,ニ段落構成で,サイズの大きな葉 (35 x 30 cm) に書かれている。
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白樺文書 Берестяные грамоты
古(中世)ロシアの白樺文書(11~15 世紀)は,ロシアの諸古都市の考古学的発掘のときに発見された,白樺の樹皮に書かれた文書類である。最初に発見されたのは,1951 年ノヴゴロドであった。 [5]【参照】 白樺(樹皮紙 1)
白樺文書の年代は考古学的手法で定められる。このうち最も有効なのは,年輪年代学の手法である(古代の橋・その他の建築用木材の伐採年代を確定するのが可能となった)。この方法が示す白樺文書の年代の精度は 20 年ないし 40 年程度である。
この白樺樹皮の絵本(文書 419)は端のところに縫い目の穴跡を残した 3 枚の二つ折り樹皮からなっている。このテキストの所有者は,8 週間に 1 回ずつ日曜日に唱えられる晩禱(晩の公祈祷)のなかの最も難しい下りを記したこの豆本(縦横 5 cm × 5 cm)を一種のカンニング・ペーパーとして使ったものであろう。 [6]
白樺文書 № 419 [ информация об авторе / Public Domain / 出典] |
白樺文書の 3 分の 2 以上は個人的な書簡であり,その大部分は,日常生活での実際的な問題を書いたものである。その内容は,出来事の報告,さまざまな依頼,主人からの命令であり,商売その他の金銭的な事柄,などが記されている。書簡の書き手・受けとり手の社会的身分は極めて様々であり,文通には女性の参加が目立っている。このことは,当時の識字率がかなり高かったことを物語っている。白樺文書の最も有名な書き手は 13 世紀前半の 6 歳ぐらいのオンフィム(Онфим)少年である。 [7]
オンフィムの落書き [Onfim / Public Domain / 出典] |
キリル文字のさまざまな書体
楷書体 Устав
11~14 世紀,中世ロシアの写本で用いられた楷書体(ウスタフ:「きまり」)とは,幾何学的で明瞭な外形をもつキリル文字の書体の一つで,中世ギリシア語の典礼用の書体の影響を受けて現れたものである。個々の字は分けて垂直に書かれる。11~12 世紀,書体は厳格に均整が保たれ,おのおのの字も基本的に左右対称である。13 世紀に入ると,均整の度合いは変化し,字形は細くなる。さらに 14 世紀になると,前世紀の変化を受け,細長くのびた文字間隔の狭い楷書体が登場した。[5]
Новый устав («Пересопницкое евангелие», XVI век) [Неизвестен / Public Domain / 出典] |
行書体 Полуустав
15 世紀になると,楷書体は「行書体」へと変わっていき,これは,羊皮紙から紙へ変わったことに対応する。行書体の字母の外形は,左右の厳格な均整を欠き,楷書体の直線部分が行書体では曲線で書かれたり,丸みを帯びた線が正確な円弧の線形でなくなった。また,文字間隔が一定でなくなったり,同一の写字者によるものであっても一つの字形にいくつかのヴァリエーションがあったりする。[5]
Gospels written in 1429 by a monk named Gabriel [Diringer p.349.] |
16 世紀最初期の活版印刷本は,写本の行書体に基づいて作られた。ロシア最初の印刷刊行本と言われるイワン・フョードロフによるもの(後述)ではこの書体が採用され,これは 18 世紀初頭ピョートル大帝の文字改革まで保たれた。
草書体 Скоропись
草書体は,字母および他の記号が切れ目なく続けて書かれる書体の一つである。14 世紀から草書体の使用が確認されており,当初,草書体は事務文献(経済,行政,外交に係わる文書)において用いられていた。15 世紀末には,草書体で書かれた文学作品や典礼書が現れるようになる。[5]
Жалованная грамота великого князя [Ivan IV of Russia / Public Domain / 出典] |
組み合わせ装飾文字 Вязь
14 世紀末からビャーシと呼ばれる組み合わせ装飾文字が,写本や初期印刷本の表題に使われた。字の個々の部分が短くなって別の字に組み入れられたり,それらの部分に飾りをつけられたりする。 [9]
Вязь молитвы «Достойно есть яко» на основе скорописи, общий вид [Sasha1648 / FAL 1.3 / 出典] |
活字印刷
ヨーロッパでは 1440 年代にグーテンベルクによって活字印刷が始められたが,キリル文字による印刷は 1491 年クラコウ(クラクフ)で出版された祈禱書が最初であった。そして,最初期のキリル文字印刷のひとつは,ベラルーシの啓蒙思想家フランツィスク・スカルィナ(Францыск Скарына 1490 年頃 ~ 1552 年頃)によるものである。スカルィナは,1517 年プラハ,東スラヴ世界において初となる聖書の「詩篇」の翻訳・出版を行った。[9]
Title page of Skaryna's Bible [Francysk Skaryna / Public Domain / 出典] |
フョードロフ Иван фёдоров
ロシアで年号がわかっている最初の印刷刊行本は,1564 年モスクワ刊行の『使徒行伝』(Апостол)であった。出版は,イワン・フフョードロフ(1510 頃~1583 年)とピョートル・ムスティスラーヴェツ(Пётор Мстиславец 生没年不詳)による共同作業であったが,通常,フョードロフが書籍印刷の創始者とみなされている。[10]
フョードロフ「使徒行伝」(1564 年)[Иван Фёдоров / Public Domain / 出典] |
文字改革
ロシアでは,現代の文字体系になるまでに 2 度の大きな文字改革があった。1つ目は 18 世紀ピョートル大帝による「世俗文字」の導入,2 つ目は 1917 年の二月革命後の小規模の改良である。
世俗文字 Гражданский шрифт
市民の執筆、1707年 [Лобачев Владимир / CC0 / 出典] |
16 世紀の印刷文字は,手書きのキリル文字行書体を正確に再現したもので,こうした形の文字は 18 世紀初めまで保たれていた。18 世紀初め,ピョートル大帝期に,書体・字体の変化とアルファベット改革がほぼ同時に起こった。1708 ~10 年に行われた文字改革はピョートルによる西欧化の一環であり,焦点は,字体の簡素化とアルファベットの構成全体の見直しであった。[11]
この時導入されたのが,ロシア国内の非教会・非宗教的刊行物を出版する目的で作られた「世俗文字」(あるいは「非教会文字」,「民間文字」)である。字体は,ラテン文字に似せて,そして主として 17 世紀末から 18 世紀初めにモスクワで使われていた,新しい手書き書体を基礎にして単純な形に設計されている。書体のデザインにはピョートル自身が指導的かつ積極的な役割を果たし,彼が校閲した文字表が残っている。[12]
アルファベット組成,字体は,ピョートル大帝の改革を承けて,その後アカデミーによる 3 度の改革のあとに,18 世紀後半に確定した。なお,従来の教会スラヴ語の活字体は,世俗文字導入後も教会刊行物の中で今日でも使われている。[13]
1918 年の改革
現在のロシア・アルファベットの先行体系が前述のように 19 世紀初頭までに確立し,それが 1917 年の二月革命後に小規模の改良を経て現行の体系となった。1918 年 10 月 10 日付けの教育人民委員部の政令がだされ,改革案は施行されることになった。この改革は字母と正書法の両方に関わるもので,字母については,不要であった 4 字母が廃止され,それに伴って正書法も修正され,同音異義語で書き分けていたものは同じ綴りになってしまった。しかし,今でも旧正書法を保ち続ける個人・出版社もある。[14]
キリル文字系アルファベット
ロシア語のほか,その組成や字形・発音などに部分的な違いを含むものの,同じようにキリル文字の体系を起源とするアルファベットをもつ言語は,ベラルーシ語,ウクライナ語などであり,いずれも正教会の宗教的伝統に連なるスラヴ人の国々の言語である。一方,革命前から多くの小数民族が,ロシア語アルファベットに倣った文字体系を採用してきた。[15]
現代ロシア語字母表
現代ロシア語で使用されるキリル文字は〈表 2〉に示す 33 文字である。書体は,立体・斜体・筆記体の 3 種が用いられる。
次に,スラヴ諸語で用いられるキリル文字アルファベット(小文字)を示す。ロシア語アルファベットに加えて用いる文字を赤字で示す。
旧ソ連内の少数民族の文字体系
旧ロシア帝国内の非スラヴ系民族で,革命前からロシア語アルファベットに倣った文字体系を用いてきたのは,ヤクート人,ハカス人,チュヴァシュ人などであるが,革命後にはそのような少数民族の数は一気に増大し,旧ソ連内のウズベク人,カザフ人,タタール人,アゼルバイジャン人,モルダヴィア人,タジク人など,大人口の有力民族の多くを含む 60 以上に達した。旧ソ連の外では,(かつて独自の文字使用の長い伝統をもつ)旧モンゴル人民共和国がロシア・アルファベットに倣った文字体系を採用した。 [15]
次表は,ロシア文字による非スラヴ系言語を表記するアルファベット(小文字)である。ロシア語アルファベットに加えて用いる文字を赤字で示した。
テキスト入力
ユニコード
ユニコードのキリル文字系列の配列は〈表 5〉のとおりである。配列は次のとおり分類される。基本キリル文字 (U+0400..U+04FF),補助キリル文字 (U+0500..U+052F),拡張キリル文字 A (U+2DE0..U+2DFF)縮小補助文字で他の文字の上にルビのように付随して用いる,拡張キリル文字 B (U+A640..U+A69F)初期キリル文字・各種補助記号等。
ユニコード表 |
入力方法
ロシア語用キーボードを設定すると,タスクバーにはロシア語を表す「RU」が表示される。仮想キーボードおよび入力方法については 多言語環境の設定 を参照。Windows では,アゼルバイジャン語,ウクライナ語,ウズベク語,カザフ語,セルビア語,タジク語,タタール語,トルクメン語,バシキール語,ベラルーシ語,ブルガリア語,ボスニア語,マケドニア語,モンゴル語,ヤクート語のキーボードを設定することができる。
ロシア語キーボード |
注
- ^ a b 佐藤純一 (2001)「キリル文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p.337.
- ^ 佐藤純一 (2001) p.338.
- ^ 佐藤純一 (1999)「特集:スラヴ文字」『たて組ヨコ組』53 号,アルシーヴ社編,モリサワ, p. 12.
- ^ 佐藤純一 (2001) p.340.
- ^ a b c d e『ロシア語研究:ロシア語研究会「木二会」年報』ロシア語研究会「木二会」年報編集委員会 編 (2000, 13 号)
- ^ V. L.ヤーニン 著, 松木栄三, 三浦清美 訳 (2001)『白樺の手紙を送りました : ロシア中世都市の歴史と日常生活』山川出版社 p. 168.
- ^ 小林潔 (2004)『ロシアの文字の話 ―ことばをうつしとどめるもの』(ユーラシア・ブックレット 57)東洋書店. p. 14.
- ^ 小林 p. 20.
- ^ a b 小林 p. 21.
- ^ 小林 p. 24.
- ^ 小林 p. 27.
- ^ 小林 p. 38.
- ^ 小林 p. 32.
- ^ 小林 p. 40.
- ^ a b 佐藤 (2001) p.342.
関連リンク・参考文献
- キリル文字 | Cyrillic script | Кириллица
- 地球ことば村 古代教会スラヴ語
- 中西コレクション(国立民族学博物館)キリル文字
- Omniglot Cyrillic script
- 黒田龍之助 (1998)『羊皮紙に眠る文字たち』現代書館.
- 原求作 (2014)『キリール文字の誕生』上智大学出版.