シケル文字 英 Sicel alphabet,独 das sikuliche Alphabet,伊 alfabeto siculo
古代イタリアの諸言語の文字は概してエトルリア文字に由来しているのに対し,シケル語とメッサピア語(Messapic)の文字はギリシア文字に由来する。シレリア(Cικελία。現名シチリア Sicìlia)東部に植民地を開拓したのは,エウボイア(Εὔβοια)人であって,前 700 年代にナクソス(Νάζοϲ),シューラクーサイ(Cῡρακουϲαι),ザンクレー(Ζάγκλη)などの植民地ができた。したがって,エウボイアの首都カルキスのアルファベットがシケル語の文字に寄与したのである。→ 蛭沼 2001
文字構成
シケル文字表 → 世界の文字研究会
シケル語テキスト
サンプルテキスト
ケントゥリパの壷
ケントゥリパ(Centuripae)は,有名な火山エトナの南西にあり,古代のシケリアにおいて,富裕な都市の一つであった。この壷は,1824 年,ここで発見された,いわゆる「グットゥス」(guttus,細頸の壷」)形で,幅は約 25 cm,高さ約 14 cm,把手約 4 cm,容量 3 L 少しである。紀元前 5 世紀半ば頃。
壷の碑文は,①から始まり,文字は,中央に向かって左から右へ記され,そのままぐるりと回り,ここで,②から,今度は右から左へ進み,ふたたびぐるりと回って,③で終わる。→ 蛭沼 1989
シーリの石柱
シケリア東部カタニア(Catania)の南西,カルタジローネ(Caltagirone)の南 20 km,シーリ・ソッターノ(Sciri Sottano)出土。石柱碑文は左下より始まり,左から上に,上より右へ周り,下を左に折れ,再び上へ向かい,前の文字の下で終わる。前 6 世紀。
アドラノの瓦の断片他
アドラノの瓦の断片は,シケリア東部エトナ山の麓カタニア(Catania)州の町アドラノ(Adrano)から出土した瓦の断片の碑文。前 5 世紀。Licodia Eubea の墓石は犂耕式に刻まれている。
アドラノの瓦の断片 | Licodìa Eubea の墓石 |
関連リンク
注
- 蛭沼寿雄(1989)「シケル語」『世界言語編』(言語学大辞典,第 2 巻,三省堂)
- 蛭沼寿雄(2001)「シケル文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)