イベリア文字 英 Iberian script,西 escritura ibérica

紀元前 5 世紀から紀元 1 世紀半ば頃にかけて,イベリア半島の南部から東部を経てフランス南東部に至る地中海沿岸に存在した刻文文字を,「イベリア文字」と総称する。ローマ帝政期に死語となった非印欧語系のイベリア語の表記に主として用いられた。表音文字で,文字の体系や読み方は解明されているが,意味解釈の上ではほとんど未解読の状態である。イベリア文字は,印欧語系のケルトイベリア語の碑文にも使用された例がある一方で,イオニア系ギリシア文字で書かれたイベリア語碑文もある。イベリア文字の資料は,鉛版,石碑,陶器,貨幣などの刻文である。→ 寺崎
この文字の起源は明らかではないが,半島に最初に存在した音節文字にフェニキア人が植民地を築いた時代(紀元前 7 世紀頃)にもたらされたフェニキア文字,それに続いて植民したギリシア人の文字などの単音文字が結合して成立したと考えられている。なぜイベリアに音節文字が存在したのかは謎である。音節文字という共通点からクレタ聖刻文字,キュプロス文字との関係が注目され,この音節文字は東地中海に由来するものではないかという説もある一方で,イベリア土着のものと推定する説もある。
イベリア半島の言語分布(前 300 年頃) → Languages of Iberia

文字構成
イベリア文字に共通する固有の特徴は,音節文字と単音文字が混合していることである。典型的な東部イベリア文字の場合,文字体系は 28 字前後からなり,母音と継続音(a,e,i,u;l,m,n,ṣ,s)は各々 1 文字で表されるが,唇音,歯音,軟口蓋音は,それぞれが 5 母音と結合した音節文字で表される。有声音と無声音は表記上区別されないが,一定の記号を付加して区別を試みている場合も見られる。文字を書く方向は,地域により,左から右へ横に書かれている場合と,右から左へ書かれている場合がある。(下記東部イベリア文字表は,フリーフォント Keltiberisch.ttf を使用して作成した。)
東部イベリア文字表

文字体系の分類・資料
イベリアの古代碑文は,その文字と言語の特徴から,最初のグループは,ポルトガル南端とその東側に隣接するスペインの一部,次は,スペイン南部のアンダルシーア地方を中心とする地域,3 番目は歴史上のイベリア人の居住地域と対応する地域の 3 種類に分類される。
ポルトガル南端の碑文文字
ポルトガル南端のアルガルヴェ地方とその東側に隣接するスペインのグワダルキビル川下流域で発見されるアルガルヴェ(Algarve)碑文で,ほとんどが石の墓碑銘である。(文字表 → A possible southwestern signary)

Bemsafrimの墓碑銘 → Anderson

南部イベリア文字
普通,イベリア文字と呼ばれるものは以下の 2 グループを指す。一つは南部イベリア文字(escritura sudibérica)と呼ばれるもので,多数の変種がある。スペイン南部のアンダルシーア地方を中心に発見され,主な資料は貨幣と鉛版の刻文である。代表的な資料としては,ガドル(Gador)およびモヘンテ(Mogente)の鉛版がある。この文字で書かれている言語は,東部と同じイベリア語であると考えられる。
南部イベリア文字表 → Omniglot

ガドルの鉛版
下図は,ガドルで出土した,イベリア文字のおそらく最古の資料である。→ 寺崎

モヘンテの鉛版 → Anderson

東部イベリア文字
もう一方のグループは,東部イベリア文字(escritura ibérica del este)と呼ばれ,その分布は,歴史上のイベリア人の居住地域と対応する。スペイン東部のレバンナ地方,カタルーニャ,エプロ川中流域,さらにはフランス南部にまで広がる。資料は最も豊富で,墓石,鉛版,貨幣などの刻文である。主な資料としては,リリア(San Miguel de Liria)およびカステヨン(Castellón de la Plana)の鉛版などがある。この系列の文字は,内陸部のケルトイベリア語の碑文にも用いられている。ルサーガ(Luzaga)の鉛版がその代表例である。
イベリアの貨幣 → Anderson

リリア出土の刻文 → Anderson
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花瓶に描かれたイベリア文字(リリア) → Anderson

バレンシア出土の銘板 → Anderson

ルサーガの青銅板 → Anderson

関連リンク
Iberian scripts | Iberian language
- Omniglot: Iberian scripts
注
- 寺崎英樹(2001)「イベリア文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- Anderson, James Maxwell (1980) Ancient languages of the Hispanic peninsula. (University Press of America)