ブラーフミー文字 Brāhmī 英 Brahmi
ブラーフミー文字は,カローシュティー文字と同様にインドの言語を表記するために考案された文字である。後者の使用された時代と地域が著しく限定されているのに対し,ブラーフミー文字はインドのほぼ全域で,前4・3世紀のマウリヤ(Maurya)朝期から5世紀のグプタ(Gupta)朝期に至るまで長く用いられた。6・7世紀以降は,北インドでシッダマートリカー文字,ナーガリー(Nāgarī)文字,南インドでタミル文字,グランタ文字など種々の文字が用いられるようになったが,それらはすべて,このブラーフミー文字から発達したものである。[1] 図は,ギルナールで発見された p. 851アショーカ王が刻ませた石柱法勅。
ギルナールの碑文 [E. Hultzsch / Public Domain / 出典] |
文字の分布 この文字は周辺地域にたいする影響も大きく,現在,タイ,ミャンマー,カンボジアなど東南アジアで用いられている文字の多くのものもブラーフミー文字起源である。さらに,中央アジア土着のトカラ語,イラン系のコータン・サカ語やトゥムシュク・サカ語,および,一部古代チュルク語を表記する文字としても使われた。チベット文字がこの文字を起源とすることもよく知られている。[1]
文字の起源 起源については,外国起源とするものと,インドで独自に成立したとするものの概略2種類の説がある。外国起源としては,北方セム系文字と南方セム系文字に由来を求める2つの説があり,インド起源としては,インダス文字に由来するとする考えと,のちに進入したアーリヤ人が創出したとする考えが見られる。その中では北方セム文字起源とする外国起源説が有力であるが,定説になるには至っていない。[1]
書字材料と字形 書記は簡単な書字用具,長いチョークとか木炭で書き,石工が刻み,作業が終わってから書記が確認した。この書字用具が字形を決める。文字の線の幅は均一であり,文字の縦と横の割合はほぼ 2 対 1 である。文字の大きさは岩面のスペースによって調整された。[2]
文字構成
母音字・母音記号
子音字
サンプルテキスト
『古アルダマーガディーブラークリット語のルンミンデーイー石柱碑文』
【訳】「神々の恩寵を受けた愛情をもったまなざしをもつ王は,即位20年にしてブッダがここで誕生したのでこのにきて礼拝した。そして石がちりばめられた壁がつくらせた。そして石の柱を立てさせた。尊者が降誕されたので,」[3] |
テキスト入力
ユニコード
ブラーフミー文字のユニコードでの収録位置は U+11000..U+1106F である。使用ブラーフミー文字:フォント Noto Sans Brahmi
注
- ^ a b c 辛島昇/熊本裕/山崎元一/吉田豊 (2001)「ブラーフミー文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 851.
- ^ 田中敏雄 (1981)「インド系文字の発展」西田龍雄 編 (1981)『世界の文字』講座言語. 第5巻. 大修館書店 p.190.
- ^ Salomon, Richard G.,家本太郎・内田紀彦訳「ブラーフミーおよびカローシュティー文字」 (2013) Peter T.Daniels, William Bright [編], 矢島文夫 総監訳, 石井米雄, 植田覺, 佐藤純一, 西江雅之 監訳『世界の文字大事典』朝倉書店, p.401.
関連リンク
- ブラーフミー文字 | Edicts of Ashoka
- Omniglot: Brāhmī Alphabet
- ScriptSource: Brahmi General Overview | Fonts & Keyboards
- 町田和彦『インド系文字のはじまり』
- You Tube: Brahmi Script
- 山崎元一 (2001)「アショーカ王碑文の文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂. pp. 6-10.