バビロニア文字 英 Babylonian script
現代のバグダッドからバラスに至るメソポタミア南部を中心に,古代オリエント世界のほぼ全域で使用された文字。これは,バビロニア語が紀元前 2 千年紀後半に国際共通語となり,アッシリア地方(ヌジ Nuzi),北方山地(ミタンニ Mitanni),小アジア(ハットゥサ hattussa),シリア・パレスチナ,エジプト,エラム等の地域でも書かれたためである。
文字体系はアッカド文字に準じる。バビロニア文字はアッシリア文字よりも行書風に崩して書く傾向がある。そのため,バビロニア文字では同じ字画をもつ部分が,アッシリア文字ではまったく異なる字画に整えられている場合もある。→ 池田潤 2001 「バビロニア文字」→ 古バビロニア語の主な CV 型音節文字表 → 参照 Cuneiform Syllabary
古バビロニア語の主な CV 型音節文字表 |
文字資料
ミショー石
最初にヨーロッパに持ってこられた楔形文字碑文で,発見者である植物学・探検家アンドレ・ミショー(André Michaux,1746~1802)の名をとって「ミショー石 Michaux stone, Caillon Michaux」と呼ばれる。1789 年にパリの国立図書館に買い上げられ,ミショーには内金として 1,200 フラン,残り 3,000 フランは息子に支払われた。
内容は,父親から娘に結婚持参財として贈られた土地に関する記述であり,前 11 世紀に作られた黒い蛇紋石の境界碑(クドゥル Kudurru)。本文の上には,この証書の保証人たる神々のシンボルが描かれる。高さ:40 cm 幅 22 cm 厚さ;14 cm → 楔形文字をよむ
ハンムラビ法典
バビロニア王ハンムラビ(在位前 1792~50 年)が作らせた法典または法集。同王自身はこれを「正しい判決」と呼ぶ。同法典が刻まれた玄武岩製の石柱は 1901~1902 年にフランスの調査隊がエラムの旧都スーサで発見。ほかに粘土板写本が多数ある。擬古バビロニア文字で書かれる。
ハンムラビ法典碑,高さ 2.25 m あり,表・裏両面に,法碑文が刻まれている。表面の上部に高さ 65 cm,幅約 60 cm のレリーフがあり,王座に座るシャマシュ神(太陽神,普遍的な正義の神)を崇拝するハンムラビの姿が刻まれている。レリーフの下には 16 段(コラム)にわたって前書きと「条文」が書かれる。もともとその下にさらに 7 コラムの碑文があったと考えられているが,戦利品として持ち出された際に削り取られた。裏面には 28 コラムに分けられていて,残りの「条文」と後書きが書かれている。表面の 1 コラムは,平均約 70 行からなり,裏面の 1 コラムは平均約 90 行ある。→ 中田 → 杉 2006 模写図と文書例
アトラ・ハシース物語
アトラ・ハシース物語は,「ギルガメシュ叙事詩」とならぶバビロニア人の考え方や感性に大きな影響を与えただけではなく遠く現代人の想像力や世界観にも影響を及ぼしている。これは神話である。そこには人間の起源や運命,その存在理由が,素朴だが納得のいくように説明されている。
この物語は,全体の 2/3 が復元され,かなり正確に物語の全体像を掴むことができる。書かれたのは前 18 世紀頃で,1200 行ほどの詩が 3 枚の粘土板に分けて記されている。
アトラ・ハシース物語第1欄1~4行(古バビロニア文字) | |
1. | i-nu-ma i-l[u] a-wi-lum |
inūma ilū awīlum | |
神々が人間のように | |
2. | ub-lu du-ul-la iz-bi-lu šu-up-š[i-i]k-ka |
ublū dulla izbilū šupšikka | |
労働をおこない,苦役を負っていたとき | |
3. | šu-up-ši-ik i-li ra-bi-[m]a |
šupšik ilIrabīma | |
神々の苦役は大量で | |
4. | du-ul-lu-um ka-bi-it ma-a-ad ša-ap-ša-qum |
dullum kabit mād šapšāqum | |
労働は重く,苦しみが多かった |
ネブカドネザル 2 世銘文
バビロニア王,ネブカドネザル 2 世(前 604~562 年)の煉瓦に刻まれた銘文(バビロニア語)。→ ウォーカー
数学書
セレウコス朝時代(前 312~63 年)の数学文書(大英博物館所蔵粘土板 BM34568)は,1937 年ドイツ人牧師ハインツ・ヴァショウ(Heinz Wischow, 1914~1943)によって解読された。→ 室井 2000
次は,文書表(上図左)第 1 欄 1~5 行の翻字と訳文である。
1. [4 uš 3 sa]g-ki en [bar-NUN] m[u] nu-zu-ú 1/2 šá uš-ka
2. [a-na s]ag-ki-ka tab-ma šu-ú 4uš GAM 30 du-ma 2
3. [2 a]-na 3 tab-ma 5 5 bar-NUN š[a]l-šú šá sag-ki-ka
4. [a]-na uš-ka tab-ma šu-ú bar-NUN 3 sag a-rá 20 du 1
5. [1] a-na 4 tab-ma 5 5 bar-NUN
1. [4が長さ。3が]幅。[対角線(の長さ)は],いくらか。君は,(答を)知ら
ないのだから,(次のようにせよ)。君の長さの1/2を
2. 君の幅[へ]加えよ,そして前述のもの(対角線)である。長さ4を0;30に掛
けよ,そして2。
3. [2]を3へ加えよ,そして5.5が対角線(の長さ)である。君の幅の3分の1
を
4. 君の長さへ加えよ,そして前述の対角線である。長さ3を0;20倍せよ,1で
ある。
5. [1]を4へ加えよ,そして5。5が対角線(の長さ)である。
バビロニアの世界地図
知られている最も古い世界地図で,紀元前 600 年頃のバビロニアの世界地図。世界を “苦い水” と呼ばれる水の輪で取り囲まれた円盤として描いた地図。ユーフラテス川はバビロンを抜けてペルシア湾岸の沼沢地へ流入している。国や市は円で囲まれ,円盤のまわりには,伝統的生物の住む地域として 8 つの三角形が描かれている。粘土板はアッカド王サルゴン,洪水伝説の英雄ウタナビシュティムに言及している。材質は粘土で,長さ 12.2 cm,幅 8.2 cm ,シッパルで出土,北が上。→ 吉川守 1990
旧約聖書
シュラーデル(Eberhard Schrader, 1836~1908)は,旧約聖書の伝説がすべてバビロニア起源であることを論じた『楔形文書と旧約聖書』(The cuneiform inscriptios and the Old Testament. London: Williams and Norgate)を 1906 年に出版し,原文と訳文をかかげて実証した。archive.org 下記は,「創世記」の冒頭部分である。
1. I'-nu-ma í-liš la na-bu-u ša-ma-mu “When above the Heaven had not yet announced, 2. šap-liš ma-tuv šu-ma la zak-rat Beneath, the land had not yet named a name, 3. apsû-ma rĩš-tu-u za-ru-šu-un ― The ocean, the august, was their generator, 4. mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-šu-un The surging sea the mother of their whole, ― 5. mĩ-šu-nu iš-tí-niš i-ḥi-ḳu-u-ma Then their waters embraced one another and united; 6. gi-pa-ra la ki-iṣ-ṣu-ra ṣu-ṣa-a la ší-'. The darkness however had not yet been withdrawn, a sprout had not yet sprung forth. 7. I'nu-ma ilî la šu-pu-u ma-na-ma “When of the gods as yet none had arisen, 8. šu-ma la zuk-ku-ru ši-ma-tav la . . . . . . Had not yet named a name, not yet [determined] the destiny, 9. ib-ba-nu-u-ma ilî [rabûti] Then were the great gods produced, 10. (ilu) Laḥ-mu (ilu) La-ḥa-mu uš-ta-pu-u . . . . The gods Lachmu and Lachamu proceeded forth 11. a-di ir-bu-u . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . And grew aloft also .... 12. (ilu) Šar (ilu) Ki-Šar ib-ba-[nu-u] . . . . . . . . . . . The gods Šar and Ki-Šar were produced. 13. Ur-ri-ku ûmî . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . “The days extended ...
参考サイト
- シュメール文字 | 古代ペルシア楔形文字 | エラム楔形文字
- Borger, R. (1981) Assyrisch-babylonische Zeichenliste. archive.org
- Weisberg, David B. Neo-babylonian texts in the Oriental Institute Collection. oi.uchicago.edu
注
- 池田潤(2001)「バビロニア文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- 『楔形文字をよむ』ブリジット・リオン, セシル・ミシェル 編 ; 中田一郎 日本語版監修 ; 渡井葉子 訳(山川出版社, 2012)
- クリストファー・ウォーカー 著 ; 大城光正 訳(1995)『楔形文字』(学芸書林)
- 杉勇(1967)「楔形文字の世界」『世界の文化史跡2オリエントの廃墟(講談社)』
- ―(2006)『楔形文字入門』(講談社)
- 世界の文字研究会編(2009)『世界の文字の図典』(吉川弘文館)
- 中田一郎(2007)『メソポタミア文明入門』(岩波ジュニア新書)
- 室井和男(2000)『バビロニアの数学』(東京大学出版会)
- モーリス・ポープ [著] ; 唐須教光 訳(1995)『古代文字の世界』(講談社)
- ―, NHK取材班(1990)『NHK大英博物館 1 「メソポタミア・文明の誕生」』(日本放送出版協会)
- Borger, Rykle (1979) Babylonisch-assyrische Lesestücke. (Roma : Pontificium institutum biblicum)
- The sculptures and inscription of Darius the Great, on the rock of Behistûn in Persia : a new collation of the Persian, Susian, and Babylonian texts, with English translations, etc.1907