E S S A I S
アンゴラ河出口
折に触れて書いたエッセイを紹介します.雑誌に書いたものもあればさまざまのサイトに書いたものもあります.
1) ことばでこころをこわしてはいけない!
何気なく,あるいははっきりした悪意をもってことばが人のこころをひどく傷つけることがあります.
こんなことがあるという話を書きます.聞こえよがしの悪口や揶揄が鬱病を作
り,若者の行く道を阻んだ例です.心
2)鉄とダイアモンド
話者が少数になって存立が危うくなった言語,いわゆる危機言語にはなぜダイアモンドのような希少価値がつかないのでしょうか.一方英語のように圧しの強い言語もあります.仮に鉄の言語とでも名付けておきましょう.『言語』に書いたエッセイを乗せておきます.
鉄とダイアモンド.
3) 遙かなるアルカディア
1970年代ドイツに生成理論を研究するグループが誕生しました.それに一番貢献した友人バウムゲルトナーが無くなりました.彼を偲んで当時の話を簡単にまとめておきました.
「遙かなるアルカディア」
4))「残された夢」リージア・ジェレミャーノヴナ・キーモヴァさん追悼
ニヴフの友人リーヂア・ヂェレミャーノヴナ・キーモヴァさんが亡くなりました.
まだ64歳でした.彼女を偲んでいままでのお仕事を紹介します.ニヴフ語の上手 な話し手でした.「カネコサン,イネヴェ
ヤー」(おあがんなさいよ)という声が聞こえてきます.
「残された夢」
5)「Uëda Mannenのこと」CES4(2001)
Leipzig大学客員教授をしていたとき(1999/2000)私はGeorg von der Gabelenzが創設した東洋学研究所に勤務しました.その研究所はソシュールやパウルなどの学んだ言語学研究所と別だが,共に由緒正しい古い学問のメッカに属します.上田万年がドイツに留学したとき にはガベレンツはすでにベルリン大学に移っていました.そのためか 彼は留学の全般をベルリンで過ごし,ガベレンツの薫陶を得たと称し ています.留学の後半は ライプツィヒに移り,言語学研究所に学籍を 取得しました.私はベリン大学とライプツィヒ大学で上田の事績を調べましたが.このエッセーはその報告です.
「Ueda Mannenのこと」
6)ユーラシアのグリフォン
1997年の夏の始めノヴォシビルスクの人文科学研究所を訪れたときの話です.旧聞に属しますが,結構いまでも問題になるようなことが書いてありますし,珍しい雑誌に書いたものなので,揚げておきます.
ユーラシアのグリフォン
7)敬語と待遇表現
2005年秋湖南農業大学での講演を改訂して「敬語と待遇表現」「させていただきます」二つに分割して載せておきます。
敬語と待遇表現
8)ことばの「内向きの民族主義」に抗して
このところ母語・国語・母国語などの言語学的な概念を用語を混用して「内向きの民族主義」を作り上ようとする風潮が見られます。ここではサイト「地球ことば村」のために書いたものを転載します。これらの概念をはっきりさせて混用によって欺かれないようにと願うためです。
母語と国語と母国語と
9)人工言語と自然言語(月刊『言語』2006.11)
特集「人口言語の世界」に書いたエッセイを採録します。
人工言語と自然言語
10)地球ことば村メルマガ書評
○1:ノーム・チョムスキー『お節介なアメリカ』ちくま新書、2007年9月
○2:吉本隆明『日本語のゆくえ』2008
11)「徳永先生の蔵書のこと」(古書通信937号)
12)シンポジウム『日本語とその隣人たち』→forewords
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