エスキモー(イヌイット)文字 英 Eskimo writings
エスキモーはグリーンランド,カナダ極北,アラスカ,チュクチ半島(ロシア)に居住し,人口は 10 万人強,そのうちエスキモー諸語を話すのは約 8 万人と推定される。18 世紀初頭にヨーロッパ人と接触して以後,各地に進出してきたキリスト教の宣教師によって,会派によって異なる様々な表記法がエスキモー諸語のために考案されてきた。語域が広いだけに種類は少なくない。このような広義のエスキモー文字は,大きく,1)音節文字,2)ラテン文字系(グリーンランド語等),3)キリル文字系(アリュート語等),の 3 種に分かれる。2)と 3)は単音表示的。3 種のうち,1)を狭義において「エスキモー文字」ということが多い。1)はカナダ極北に,3)はアラスカのごく一部(すでに過去)とチュクチ半島に限られ,全体として 2)が優勢である。さらに,絵文字の伝統があった南西アラスカには,アラスカ文字 [1]の名で知られる音節文字があった。
Inuktitut dialect map [Asybaris01 / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
狭義のエスキモー文字として知られているのは,カナダのエスキモー語域のうち,ウンガヴァ地方(ケベック北部),キーワティン地方(ハドソン湾北東),バフィンランド,および中部極北に住むイヌイット(「人(複数)」)が使用するクリー文字の系統を引く音節文字である。クリー文字に基づいてエスキモー語の表記法を完成し,積極的にその普及を図ったのは,1875 年にハドソン湾のエスキモー語域に遣わされて来た英国国教会のペック(Edmund J. Peck, 1850~1924?)である。しかし,ペックの表記法では,/k/ と /q/,/g/ と /ng/ を区別できず,さらに,閉音節の末尾子音を表示することができなかった。結果として,同一の文字が何種類もの音節を表しうるために,前後関係に意味の判断を委ねざるをえないことになる。ペック以後は,それぞれの地域と宗派によって,さらに後には言語学者がこれに加わって,様々な改良案が提出されていった。
1977 年にカナダーイヌイット同盟(Inuit Tapiriit Kanatami)の言語委員会によって,異なる慣用を1種に統一し,かつ各地の方言に特徴的な音の表示法をも明確化しようとの提案がなされた。ところが,このような改変には,古い体系の音節文字で印刷された聖書に親しんできた年配者などからの反発や抵抗が生じ,今日,統一案の受容は地域によって異なっている。しかし全体としては,小学校の授業,ほとんどの雑誌や新聞,ワープロ等にも採用されるようになるなど,しだいに定着しつつある。 [2]
文字構成
イヌイット語テキスト
サンプルテキスト
世界人権宣言第一条 [Universal Declaration of Human Rights -Inuktitut -] |
文字入力
文字コード
イヌイット文字を含む統合カナダ原住民音節文字(Unified Canadian Aboriginal Syllabics)のユニコードでの収録位置は U+1400..U+167F である。
入力方法
Languagegeekサイトで提供する各種言語用キーボードからイヌイット語を選択する。なお,このソフトウェアキーボードを利用するには,別途 Tavultesoft 社の Keyman Desktop を必要とする。下図はイヌイット語キーボードの例である。短文を引用するような場合は, 多言語環境の設定を参照。
注
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南西アラスカでいまも敬慕の念をこめて語られるヘルパー・ネック (Helper Neck 1860 ~ 1924) というひとりのユッピク・エスキモー(Yupik)が今世紀初頭,独力でつくりあげた音節文字。1901年当時,ネックは,語を象徴的に表示する文字をつぎつぎ増やしてさえいけばよいと考えていた。ところがエスキモー語は,単一の語幹に接尾辞をつぎつぎと付加することによって語がきわめて長くなる,いわゆる複統合的な言語である。ほとんど他の言語と較べものにならぬほど,語は派生が自由で,複雑な文法関係のちがいをも表現しうる。「名前」というひとつの名詞語幹からでも,容易にかぞえがたいほど膨大な数の名詞や動詞がうみだされる。そのような語にひとつひとつ別の記号をあてようとするようなもので,これの実行不可能なことはネックにもすぐ見透しえたにちがいない。
The Lord's Prayer in Yugtun script [Kiatuak / Public Domain / 出典] しかし突如,音節表示の概念が得られると,あとは早かった。すでに 1905 年には,字形は線状的となり,単音表示に一歩をふみだした音節文字ができあがっている。新しい文字をうむ発想を得たきっかけを尋ねられたネックは,神さま以外にだれが「喋る紙(宣教師がラテン字母で書きとめたテキスト)」の秘密をもらしてくれましょうか,という意味の答えをしている。この「アラスカ文字」より約1世紀まえに,チェロキー文字を考案したシクウォイアも同じ道を辿っていた。
ネックの音節文字は最終的には約 80 の文字に落ちついていった。文字が完成すると,ネックはこれを若いエスキモーに教えにかかった。一時は習得者もかなりの数にのぼったとされるが,モラヴィア派宣教師が 1920 年代につくったラテン文字の正書法におされ,ついに一般に広まることはなかった。
宮岡伯人 (1984)「ヘルパ・ネックのいわゆる[アラスカ文字]」『民博通信』, 宮岡伯人 (2001)「アラスカ文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, pp. 39-40. - ^ 宮岡伯人 (2001)「エスキモー文字」河野六郎, 千野栄一, 西田龍雄 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
関連リンク・参考文献
- イヌクティトゥット語
- 中西コレクション (国立民族学博物館)エスキモー文字
- Omniglot: Inuktitut syllabary
- Languagegeek: Inuktitut Syllabarium