古代チュルク語の文字 英 Old Turkic script
8 世紀の中葉に突厥を破り,モンゴリア高原に建てられた「ウイグル可汗国」は,9 世紀中葉になってキルギス族の攻撃を受けて壊滅する。ウイグル族は南方と西方に分かれて敗走するが,南へ向かった者たちは唐への亡命がかなわず四散消滅する。西方に向かった者たちのうち,現在の甘粛省へ入った一派は,そこで一王国を形成するも 11 世紀初頭に西夏に亡ぼされる。[庄垣内]
一方,現在の新疆ウイグル自治区に入った別の一族は,9 世紀後半には「西ウイグル王国」と一般よばれている国家を建設する。この国家は,13 世紀前半のモンゴルの勃興にともなってモンゴル帝国に服する。しかし,ウイグル族は四散することなく,むしろモンゴル文化に大きな影響を与えた。その後,かつての「西ウイグル王国」の中心地はイスラムの影響下に入り,15~16 世紀には,その地のウイグル族は仏教徒からイスラム教徒に改宗する。
このイスラム化以前にウイグル民族の手で書き残された文献を「ウイグル文献」といい,その使用言語を「ウイグル語」という。ウイグル語は,突厥語とともに「古代チュルク語」として一般には扱われている。文献の多くはウイグル文字で書かれている。仏典は,ウイグル文字のほかに,ここで述べるアショーカ王碑文の文字の発展形であるブラーフミー文字や,まれではあるが,ソグド文字,チベット文字によるものもある。マニ教文献には,マニ文字や突厥文字の使用があり,キリスト教文献にはエストランゲロ文字もみられる。
文字構成
古代チュルク語で使用されるブラーフミー文字は,明らかにトカラ語およびトゥムシュク・サカ語の文字の特徴を部分的に受け継いでいる。古代チュルク語でも,トカラ語と同じく第 2 系列の文字が前の文字と短い線でつながれて書かれ,また,上にはヴィラーマ記号として点が置かれる。写本によっては,上に横に並んだ 2 点を置くものもあり,この 2 点表記が語末子音音を表さないとき(前の文字と短い線で結ばれないとき),中間母音 ə をもつ音節の表記と見なされる。
古代チュルク語のブラーフミー文字の最大の特徴は,後舌母音に対立する前舌母音を表現するのに, -ya- を使った合字を用いることである。すなわち, ä,ö,ü を含む音節は子音文字 ya を含んだ合字で表わされ(たとえば,kä は kya,kö は kyo,kü は kya と書かれる),語頭の ä- は aya-,ö- は oya-,ü- は uya- と書かれる。[吉田]
古代チュルク語テキスト
ブラーフミー文字
ブラーフミー文字による古代チュルク語
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医学文献 [Gabain p. 36] |
突厥文字
突厥文字 (オルホン碑文,イセニセイ碑文の文字)
突厥文字 [Gabain p. 12] |
ウイグル文字
ウイグル文字・ソグド文字・マニ文字比較
ウイグル文字・ソグド文字・マニ文字比較 [Gabain p. 17] |
ウイグル文字例 [Gabain p. 26] |
ソグド文字
ソグド文字例 [Gabain p. 24] |
マニ文字
マニ文字例 [Gabin p. 30] |
注
- 吉田豊 (2001)「ブラーフミー文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
- 庄垣内正弘 (1988)「ウイグル語」亀井孝 [ほか] 編著言『言語学大辞典 第1巻 (世界言語編 上 あ~こ)』三省堂.
- Gabain, A. v. (1950) Alttürkische Grammatik mit Bibliographie, Lesestücken und Wörterverzeichmis, auch Neutürkisch 2. verb. Aufl. Otto Harrassowitz. (15.16 MB)