トルコ語の文字 英 Writing system for Turkish
トルコ人は自らを Türk (テュルク)と呼ぶ。この語は,「トルコの」という意味の形容詞としても用いられる。トルコ語を表すのは Türkçe (テュルクチェ)という単語である。
トルコ語は,東ヨーロッパからユーラシア中央部を経てシベリアに至る広い地域に分布する緒言語と同じ系統に属する。これらの諸言語をチュルク諸語という。チュルク諸語には,トルコ語をはじめとして,アゼルバイジャン語(カフカースおよびイラン北西部),トルクメン語,ウズベク語,キルギス語,カザフ語(以上中央アジア),ウイグル語(中国西部),タタール語(ウラル山脈の西),ヤクート語(シベリア東部)などの言語が含まれる。
実は Türk という語は,トルコ語以外のチュルク諸語に属する言語を話す人々によっても,広く自称として用いられてきた。つまり Türkçe という表現は,狭義の「テュルクチェ」すなわち「トルコ語」と,広義の「テュルクチェ」すなわち「チュルク諸語(に属する諸言語)」という2つの意味を持つ。日本語では,狭義の「テュルクチェ」を「トルコ語」(英:turkish, 仏:turc, 独;türkische Sprache),広義の「テュルクチェ」を「チュルク(諸)語」(英:Turkic languages, 仏:langues turques, 独:türkische Sprachen)と呼び分けることが広まりつつある。 [1]
トルコ語の文字の歴史
トルコ語は,1920 年代末までアラビア文字を用いて表記されていたが,現在ではラテン文字を用いて表記される。以下の記述は林徹 (2001) [2]による。
初期のトルコ語文献
西アジアのアナトリアでは,11 世紀にトルコ系のセルジューク朝が成立した後も,トルコ語は話し言葉であり,書き言葉としてはもっぱらペルシア語が用いられていた。13 世紀にようやく,アラビア文字を用いたトルコ語文献が現れ始める。この時期のアラビア文字トルコ語文献には,アラビア語・ペルシア語からの外来語彙が少ないこと,トルコ語固有語彙における母音が文字ではなく母音記号によって表記されたこと,などの特徴がみられる。
オスマン語
オスマン朝がアナトリアとバルカンを支配下に収める 15 世紀以降は,アラビア語・ペルシア語からの外来語を大量に含むトルコ語がオスマン朝の書き言葉として定着し,多くの文献が残された。表記法に標準化も進み,オスマン朝にちなみ「オスマン語(Osmanlıca)」と呼ばれるようになる。
マルコによる福音書 アラビア文字表記 Nida [3] |
アラビア文字以外によるトルコ語の表記
トルコ語は,アラビア文字以外に,アルメニア文字,ギリシア文字とによっても表記された。
アルメニア文字による表記
アルメニア文字を用いたトルコ語文献も,17 世紀頃から見られる。19 世紀には新聞や雑誌なども出版された。
マルコによる福音書 アルメニア文字 Nida [3] |
ギリシア文字による表記
ギリシア文字によるトルコ語文献は,主に 18 世紀初頭から 1920 年代まで 600 点近くが出版されている。カラマンル(Karamanlı)と呼ばれる,トルコ語を母語としたギリシア語を解さないギリシア正教徒のためのものだった。ギリシア文字による表記は,アラビア文字を用いたオスマン語よりはるかに表音的で,当時のカラマンルの人々の発音をかなり忠実に表している。
マルコによる福音書 ギリシア文字 Nida [3] |
文字改革の試み
切り離された文字 [ AKÇAY, Yusuf, p. 8.] |
アタチュルクによるラテン文字化
ラテン文字の読み書きを自ら教える「教頭」ムスタファ・ケマル大統領 [ムスタファ・ケマル大統領 / Public Domain / 出典] |
トルコ語をアラビア語とペルシア語の伝統から一気に解き放したのは,オスマン帝国を崩壊させた新生トルコ共和国が生み出した脱イスラム化のイデオロギーであった。ところで現在では,脱イスラム化イデオロギーによって生み出された正書法であるものの,それ自体が持つ合理性と,80 年余りにわたって使われてきた事実とにより,トルコ語のラテン・アルファベットによる現正書法は,もはや特定のイデオロギーを連想させることのない,中立の存在になっている。 [5]
文字構成
オスマン語
オスマン語が帝国の公用語として広く使用されるようになるには,アラビア文字が最小限の母音しか表記せず,同じ文字が異なる音を表す場合も少なくないという問題があった。オスマン語の項は勝田茂 (2002) [6] による。
オスマン語アラビア文字
例文:聖なるラマザン
Mübârek Ramazânın ayın on dördü gibi aylı yıldızlı bir gecesi idi.Kervânkıran yıldızı bir pırlanta taşı gibi parlıyordu. Poyraz yeli serin serin esiyordu. Türklerin ikāmet ettikleri mahallenin denize nâzar bir evinde Nigâr Hânım'ın salonunda bulunuyorduk |
聖なるラマザン月の満月のように(美しい)月と星の夜だった。金星(明けの明星)がダイヤモンドのように輝いていた。ポイラズ風が涼しげに吹いていた。トルコ人たちが居住する地区の海に面した家のニギャール婦人のサロンに私たちはいた。 |
[勝田: p. 110, 翻字・訳 p. 164] |
現代トルコ語
1 つの文字がほぼ 1 つの音(素)に対応する表音的な表記を基本とし,全 29 文字からなる。
トルコ語アルファベット
Bütün insanlar hür, haysiyet ve haklar bakımından eşit doğarlar. Akıl ve vicdana sahiptirler ve birbirlerine karşı kardeşlik zihniyeti ile hareket etmelidirler. |
世界人権宣言第一条 [Universal Declaration of Human Rights -Turkish (Türkçe)] |
注
- ^ 林徹 (1998)「トルコ語」『世界の言語ガイドブック2』三省堂, p. 186.
- ^ 林徹 (2001)「トルコ語の文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, pp.679-692.
- ^ Nida, Eugene A. ed. (1972) The book of a thousand tongues United Bible Societies, p. 439.
- ^ AKÇAY, Yusuf (2007) OSMANLI DÖNEMİ ALFABE TARTIŞMALARI BAĞLAMINDA DR. İSMAİL HAKKI BEY VE ISLAH-I HURUF CEMİYETİ
- ^ 林徹 (2011)「文字改革―トルコの場合」町田和彦 編『世界の文字を楽しむ小事典』大修館書店, pp. 172-177..
- ^ 勝田茂 (2002)『オスマン語文法読本』大学書林.
関連リンク・参考文献
- 中西コレクション (国立民族学博物館)ラテン文字 トルコ語
- ムスタファ・ケマル・アタテュルク | Mustafa Kemal Atatürk | Turkish alphabet | オスマン語
- トルコの言語純化運動
- Lexilogos: Ottoman Turkish keyboard
- Omniglot: Turkish